第26話
文字数 3,398文字
「そんなにブルーメルさんが苦手なら、告知とかも気にしなければ良いのに」
フルールばかりに買い物を任せるのに抵抗と情けなさを覚えたロッティが、ガーネットも誘って買い物がてら散歩に出ていると、ガーネットはロッティの心を見透かしたようにそんなことを言ってきた。
「苦手だけど……でも、こっちにだって直接会ってでも言ってやらなきゃいけないことがあるんだ」
「そう……あまり、無茶なことは言わないであげてね」
ガーネットはここ最近、以前までの無表情を貫くように努めているのか、あまり感情を表に出さなくなった。しかし、短い付き合いながらも共に旅をしてきたロッティは、ガーネットが何の意味もなくそのような態度を取る人ではないことをもう十分に知っていた。
「何か……隠していることがあるのか……?」
それとはなしに訊いてみているが、ガーネットは決まってこう答えた。
「十月二十日、その日が終われば分かるよ」
そのときのガーネットは、決まって瞳を潤ませていた。
街を歩いていると、人の流れが多くなったように感じたが、その正体は広場で施設の設置に関わる人たちによるものであった。フルールと一緒に街を巡っていたときは、主に奉仕活動を中心に動いていたために訪れる機会は少なかったが、広場を取り囲むように建てられている建物には広いバルコニーが備わっており、広場の中心で何かパフォーマンスしている人がいればそれを大勢の人が眺められる空間となっていた。今現在、まさにその広場の奥中央にて舞台のようなものの設置が進んでおり、その設置のために忙しそうに広場を出入りしている者たちと、それを何事かと興味津々に眺めている者たちとがいた。
「委員会の人たちね」
ロッティの知らぬ間に委員会を辞めていたらしいガーネットが、まるで他人事のようにそう言った。仮にも何ヶ月間か一緒に働いていた者同士、何か感じるものがあると思っていたが、予想以上に何の感慨もなさそうに独り言ちるガーネットにロッティは驚いた。広場で忙しそうに動いている人を眺めるガーネットの視線は、まるでロッティと初めて会ったときに見せた、何者をも寄せ付けようとしない視線と似ていた。
「なあガーネット……」
「ん?」
ロッティの声にガーネットが振り返る。ロッティと過ごした時間は嘘ではないのか、初めて会ったときとは違って、人を寄せ付けようとしない雰囲気はロッティの方を振り返ると緩められ、柔らかいながらもどこか申し訳なさそうな顔つきでロッティの続きの言葉を待っていた。その吸い込まれそうな赤い瞳に、自分は少しでもガーネットの気持ちに近づけたのだろうかとつい問いかけたくなる。会ったときのような自分以外誰も信じられないという目で世界を見ていた少女が、自分に対して多少なりとも感情を表に出すようになったことの意味を訊いても良いのだろうかと、ロッティは胸が苦しくなった。
「いや……ごめん、何でもない」
呼びかけたロッティ自身が会話を打ち切ったことには何の不満もないようで、ガーネットは何も言わずにそのまま先に行ってしまった。怖気づいた心を落ち着けさせて、寂し気な背中の隣に並ぶ。ガーネットはそれ以降ロッティが話しかけない限り話しかけてくることはなかった。
重大告知の日が近づくにつれて街全体に走る緊張感が強くなっていった。固唾を呑んで行く末を見守る雰囲気が街全体でもわもわと出来上がっていくのが肌身に感じられた。そんな街全体の雰囲気に感化されるように、ロッティたちの仮住まいの家でも、互いに交わされる会話は少なくなっていった。何かを思い詰めたように俯きがちなガーネットと、そんなガーネットをちらちらと見ながらも心ここにあらずなロッティに挟まれたフルールは、二人に掛ける言葉が見つけられないように困っていた。誰もがそんな空間に居辛さを感じているはずなのに、誰も動くことが出来ないでいた。
そんな硬直状態の中、違うやり方で打破したのはガーネットだった。重大な告知の前日の朝、書き置きを残して忽然と行方を眩ませたのだった。
『やらなくてはいけないことがあるので街を出ることになった。場所は言えないけど、またすぐに戻るから心配しないで』
ロッティは、その置き手紙を破り捨てたい衝動に駆られたが、潤んだ瞳で手紙を繰り返し読むフルールのおかげで何とかその暴挙を思い止めることが出来た。やり場を失ったエネルギーはすべて彼方へと消えていき、すっかり魂を抜かれたように力の入らなくなったロッティは自室のベッドに横になることしか出来なかった。ロッティは破り捨てたい衝動に駆られたことをひどく恥じた。ガーネットの行方の眩ませ方は、ロッティ自身が『ルミエール』を去ったときと全く同じやり方だったからである。今すぐにでも自分の胸を引き裂いて楽になりたい気持ちと、そうすることで帰りを信じて待ってくれている『ルミエール』の悲しむかもしれない想像と、ガーネットに信じてもらえなかったのではないかというショックとで、頭がぐちゃぐちゃになり、ロッティはベッドの上で身動きできなかった。
どれぐらい時間が経っただろうか、窓がないため外の様子が分からなかったが、ぐうぐうと自分の物ではないかのように勝手に主張をするお腹からして、昼はとっくに過ぎているだろうと思われた。そもそもロッティには朝食をまともに摂った記憶すらなかった。すべてがどうでも良くなったとは思わなかったが、これまで深く考えることを避けていたような自分の気持ちに、新しく降ってきたショックとが複雑に混ざり合い、何から手をつければよいかひたすら途方に暮れていた。
無気力に横になるロッティの頬が、ふいにぺちぺちと叩かれた。初めは無視していたロッティだったが、あまりにもしつこく頬を突いてくるので観念して首を回すと、いつの間にか部屋に入ってきていたフルールがぷくっと頬を膨らませてロッティを睨んでいた。そんなフルールの表情にすら懐かしさを感じ、ロッティは目頭が熱くなった。
「ロッティ様、起きてください。いつまでそうしているつもりですか」
表情に反してフルールの声はとても慈悲深く、優しいものだった。フルールがそっと手を差し伸べる。その手の意味を理解して、ロッティはそれに掴まり何とか身体を起こす。随分と無気力になったと思った自分の身体は、思ったよりも軽々と起き上がった。
「私も混乱しています。きっとまだ整理できていないのだと思います……それでも私には、私たちにはやるべきことがあるはずです。そう思うと、こんなことで意気消沈している場合ではないと思いました」
居間へと連れていくフルールが独り言のように、しっかりはっきりとした声で話し始める。
「私が
フルールは優雅にワンピースのスカートを靡かせながらくるりと振り返った。ロッティを見つめるその瞳には、感謝の色がありありと表れていた。
「だから私は、そのことを私の一番大切な人に伝えるつもりです。会ってそれを伝えに行きます。まずはそこから始めることにしたのです。それが私にとって一番大切なことだから」
フルールは大切そうに自分の胸に手を当てた。ロッティがフルールに贈った髪留めがきらりと頼もしく光った。
それからフルールはロッティに向けてそっと答えを促すように手を差し出した。
「ロッティ様にとっては……何が一番大切なことですか?」