第12話
文字数 3,420文字
レオンはもう、先ほどまでの勢いはなかった。身体をふらふらと動かしながらも、明らかに片方の脚を庇うような歩き方をしており、やがて疲れたのか、ハルトたちの方に身体を向けてゆっくりと座り込んだ。ハルトたちを見つめるレオンの群青色の瞳は、とても涼しく優しげで、既に敵意の欠片も持ち合わせていなかった。
「よくやったハルト。あとはあのシャルルという男の執念か」
いつの間にかハルトの側にやって来ていたクレールが、そっとハルトの肩に掴まるように手を乗せた。ハルトは慌ててクレールの身体を支える。額から血を流し、片方の腕をだらんとぶら下げ苦しそうに顔を顰めさせながらも、命に別状はないようであった。
ハルトはもう一度レオンの方を見る。レオンに近づけるほど体力の残っている者はいなさそうだったが、それでもレオンは諦めたように力を抜いてその場に座り続けていた。ハルトはそのレオンの様子に、その優しい瞳に、ハルトは初めからレオンが自分たちの命を奪うつもりではなかったのではないかと思い始めた。
息のつまる瞬間の連続に、ハルトが途切れていた息を整えようと深呼吸を繰り返していると、するりと横をシャルルが通り過ぎていき、レオンの方に向かって行った。シャルルが近づいてきても、レオンはもう動こうとしなかった。やがてシャルルがレオンの目と鼻の先の距離まで近づいて、ゆっくりと剣を高く掲げた。
「悪い、クレールっ」
ハルトは、肩に掴まるクレールをどけて慌ててレオンたちの方に駆ける。しかし、ハルトよりも先に、レオンと剣を高く持ち上げるシャルルとの間に一人の女性が割って入ってきた。
「もうやめて! お願いだから!」
そう言って飛び出してきた女性はシャルルの前に両手を広げてレオンを庇うように立った。流石のシャルルもそれに怯み、剣を下げると、女性はレオンの身体に飛び込むように抱き着いた。レオンの血で服が汚れるのも構わずに、きつく瞳を閉じてレオンのことを強く抱き着いていた。
「ステファン……」
レオンがステファンと呼ばれた女性をどかすように鼻先で脇や腹をつつくが、ステファンは意地でもどこうとはせず、シャルルのことをきつく睨んだ。その女性の必死な気迫に圧倒され、強い執念を持っていたシャルルも剣を動かせずにいた。ロッティに連れられこの地に来た人たちの誰もが動けず、その女性とシャルルの行く末を傍観することしか出来ずにいた。
シャルルは我に返ったように首を振り、剣先をステファンの鼻先にまで突きつけた。しかし、それでもステファンの瞳は揺らぐことなく、赤く光らせながらシャルルのことを睨み続けていた。
「っ……そこをどけ。じゃないと、お前ごとそいつを斬る」
「させない! 私の命に代えてでも、この人は斬らせない!」
ステファンは怒鳴り返し、シャルルの剣に怯えることなく手で押しのけた。武器らしい武器を何一つ持たない物腰の女性一人相手に、シャルルが気迫だけで押し返されそうになっていた。ステファンを無視してレオンに剣を振りかざそうにも、それすらも阻止されてしまうのではないかと予感させるほどの気迫が、ステファンには確かにあった。
「私も貴方と同じなのよ。かつて貴方の恋人が自分の命と引き換えに貴方を助けたときと同じように、私も理不尽に、私の大切な人と引き裂かれようとしているのよ。貴方の恋人がそうした理由、貴方の大切な人が命を落としたのと同じ理由で、私も理不尽に大切な人が殺されかけているの。だから私は、退かない!」
「っ、そいつと俺を一緒にするな!」
「同じよ!」
核心を突かれたのか、シャルルが語気を荒げて怒鳴るも、ステファンは気丈な態度を崩さず退こうとはしなかった。ハルトは、ステファンが言っていたような詳しいことをシャルルから聞いていたわけではなかったが、先ほど垣間見た執念と今の態度とを照らし合わせてみても、それが真実であろうことは容易に想像できた。それに怯まず喰ってかかれるシャルルの意志と精神力の強さに感服したが、ステファニーの必死の気迫がそれをもはるかに凌いでいた。
ハルトはゆっくりと、シャルルが早まって二人を斬りつけないようにと祈りながら、その二人に近づいていく。
「レオンも、始めはただここの人たちのために生きていた。でも、レオンたちの力を恐れたここの人たちが、勝手に自分たちで招き入れておいて、勝手に元々いた場所へ帰ることを許さないようにして、勝手に人を脅かす存在って決めつけて、勝手に殺した……その後も転生してきたレオンたちを殺し続けて……法でも存在を許さないようにして……ねえ、いったいレオンたちは……私たちは、この世界のどこで生きれば良かったの?」
「…………でも、だからと言って、今何も知らずに生きている人たちを巻き込んで殺すことは許されない。それに俺は、お前らが原因で俺の大切な人をなくした。その復讐に、やってきただけだ」
「その復讐が、その考えが、今のこの争いにまで導いてしまったのよ。私たちも……大切な人や一緒に生きる仲間を理不尽に奪われ続けて、それでも残った人たちと一緒に生きたくて、今ここに立っているの。その奪ってきた人たちの中には、私たちのことを知りもせずに、昔の人間と同じように、ただ危険だから、そんな考えの人が大勢いたの」
それから「貴方の大切な人は、少し違っていたけどね」と小さくぼやくと、ステファンの瞳が再び、宝石のように赤く光り輝く。その瞳を向けられたシャルルの剣が、力が抜けていくように下を向き始めた。そんなシャルルにも、ステファンは胸が痛んだように表情を曇らせた。
「貴方の気持ちは、胸が痛くなるほど分かるの。境遇は違っていても、大切な人を奪われた心の痛みは同じだから。でも、お互いがそれぞれ今はなき大切な人を想って、お互いが互いにその想いを糧にして恨み合っているだけじゃ終わらないの。だから私は、私たちは……終わらせようとしたの」
ステファンは、心の底から悲しんでいるようであった。それでもレオンを抱いたまま離れず、シャルルから退く素振りは一切見せなかった。その無言の圧は、窮地に立たされているにもかかわらず、「これ以上構わなければ貴方たちに危害は与えない」と言っているようであった。
ステファンはしばらくシャルルの顔を見つめた後、レオンに「ここから離れよう」と呼びかけていた。動こうとしないレオンの身体を健気に押し上げ立たせようとするステファンの姿に、先ほどまで交戦していた自分たちが何だか恥ずかしい存在であるかのような虚しい気持ちにさせられた。シャルルがそれを止めようとする素振りを見せるも、勝手が分からない子供のように、剣を中途半端に上げたまま動けずにいた。他のメンバーからもこのままレオンたちを見逃すのは不味いと焦る気配は伝わってくるが、誰も決定的な行動に出られなかった。誰しもがステファンの話に心を詰まらせていたようだった。
しかし、ふと、ハルトの頭の中でロッティの言葉が過った。皆と生きたいという友人の想いが、そう願いながらも自分とそう変わらない同胞たちと戦うことを決意した友人の覚悟が、ハルトに動けと訴えていた。
ハルトは、動けずに呆然と眺めている者たちの合間をすり抜けてステファンたちに向かう。ステファンたちの進行を遮るように立ちはだかると、気配にすでに気づいていたのか、ステファンは鋭い目つきでハルトのことを睨みつけ、対してレオンは静かに目を伏せているだけであった。シャルルたちの間から、固唾を呑む気配がした。
ステファンの話や、アルディナの手記に描かれた何千年分もの壮大なストーリーに、頭を悩ませなかったわけではなかった。現にハルトは、アルディナの手記の内容を知ったその日から、考え続け、今でもどうすれば良かったのか、どうすればこんな事態を招かずに済んだのかということに対して答えが出せないままであった。それでも、こうして自分をステファンたちの前に立ちはだからせたのは、自身に歩み寄ろうとしてくれた友人の言葉であった。