第9話
文字数 3,099文字
レオンは突き放すような話し方をしたが声音は優しかった。レオンはもう一度ステファニーのことを見た。ステファニーはレオンの視線にも気づかず、帝都の景色を眺めながら隣に並ぶアリスと愉しげに話していた。
「お前がそう信じられる根拠はアイツのことか? なら、なおさらお前の希望もふいになる。俺たちだって、アイツがいる間は何もしないさ。だが……俺たちは運命の日に備え、今日までずっと準備してきた。ミスティカ族の予知を以てしても準備せざるを得なかった……この意味がお前にも分かるだろ」
アリスは何も知らない顔でステファニーと微笑みあっている。グランの話で盛り上がっているかもしれなかった。アリスはグランの話をしているときが一番楽しそうなのをロッティは十分に知っていた。
「そのために俺たちがついている」
「無駄さ、お前たち二人が頑張ったところで……」
「それだけじゃない……俺には、ハルトやルイがいる。それにセリアも……長い付き合いで、俺がアインザーム族だと知っても気にせずに俺を友達だとして接してくれた人がいる。俺はアイツらとなら、そんな世界を見つけられるんじゃないかって、そう信じられるんだ」
ふと、アリスが視界に入った。
「それに俺たちは、たとえそうなったとしても……」
ロッティは反論を続けようとしたが、その先を言うのが躊躇われ言葉に詰まってしまった。その言葉をはっきりと口にしてしまえば、最悪の未来が訪れることを確定させてしまいそうな予感がした。心を奮い立たせ、ロッティはアリスのことをまっすぐ見つめた。
レオンもロッティの話に押し黙ったままだった。何も言わずに無言で景色と、アリスたちの様子を見守っていると、アリスがふいにロッティたちの視線に気がつき、ぷりぷりしながらロッティたちの方へ近づいてきた。
「ちょっとー。こんな良い景色を前にして何でそんなに陰気臭い顔してるのー?」
アリスが「ほら、こっち来なよ」さっとロッティとレオンに手を伸ばす。咄嗟に反応できなかったロッティたちだったが、それを見かねたアリスは引っ込んだままのロッティたちの手を無理やり手に取り、前に連れてきた。ロッティもレオンも無言でアリスに引っ張られていた。
アリスに連れられ、ロッティたちは六人一緒に横に並んで、帝都の風景を一望した。後ろに目をやると、六人の影が長く伸びていた。その影の形に違いなどなく、影たちは照れ臭そうに互いの距離を取り合っていた。
「この世界には、こんなに良い景色がたくさんあるんだね。私、そんなことも知らなかった。こんな景色が世界中にあるから、冒険家たちも冒険するんだろうね」
アリスが感慨深げに、確信めいたような口調で独り言ちた。溜息にも似た深い息は心から感心していることを表していた。今この瞬間だけは、種族を超えて同じ気持ちを共有しているだろうとロッティは信じた。この瞬間がずっと続く未来になれば良いと、ロッティは願わずにはいられなかった。
その後、アリスがまだまだステファニーたちと話し足りなさそうにしながらも、夕陽がもうすぐで沈みそうで空の半分が暗く染まりつつあるのを見て、ロッティたちは帝都に帰還した。ステファニーは最後まで朗らかな笑みを絶やさずにロッティたちに手を振って見送ってくれたが、最後の最後に、ふとその表情が悲しそうに曇ったのをロッティは見逃さなかった。耳が良いミスティカ族のステファニーはロッティたちの会話も聞こえていたはずだった。ステファニーはロッティたちの会話を聞いて何を思ったのだろうか。乗ってきたソリが浮かび上がるにつれて、ロッティたちをいつまでも見送ってくれているステファニーとレオンの姿は小さくなり、やがて二人の影は寄り添い合うように重なって見えた。
翌日、今日もアリスが来ることを疑わずに買い出しを済ませたロッティはテーブルでグランと一緒になって、ぼうっとはじきを飛ばし合っていた。しかし、中々アリスはやって来なかった。不安になったロッティだったが、グランは「アイツも遅くなるときぐらいたまにはある」と眠そうな顔ではじきを無心に飛ばしていた。ロッティの手元にあったはじきがテーブルの外に飛び出て、床に落ちる。ロッティはグランの言葉を信じて、不安を頭の片隅に追いやりながら床に落ちたはじきを拾った。
しかし、時計台の鐘の音もとっくに鳴り、アリスが普段なら下町に訪れるぐらいの時間になってようやくアリスは小屋にやって来た。グランはアリスに飛びついた。先ほどまであんなに眠そうな顔をして余裕綽々そうだったのに何という変わり身の早いことかとロッティは呆れそうになったが、アリスの顔色がひどく悪く、辛そうに腰を丸めていたので、その呆れも吹き飛んだ。
「おいアリス、大丈夫か? 具合悪いならこいつだけ寄越して城で休んでればいいだろうがっ」
グランがこいつと言って無遠慮にバニラを指差しながら捲し立てるようにアリスに詰め寄り、優しく肩を抱いて椅子へ連れて行く。アリスは力なくグランに引きずられていたが、椅子に座ると辛そうな表情が少しだけ和らいだ。グランがロッティの分のはじきもひったくるように集めながら机の上を綺麗にして、珍しくカップに水を注いでアリスに運んできた。アリスは突然目の前に現れたカップをぼんやり見つめていたかと思うと、ぱっと顔を上げてグランに微笑んだ。
「ありがとう、グラン」
「馬鹿野郎、そんなことでいちいち礼を言うんじゃねえ」
その後、アリスはこの状態でも下町に行くと言いだして、グランは猛烈な勢いでそれを止めにかかった。ロッティも正直、こんな状態のアリスには大人しくしていて欲しかったが、アリスは強情だった。しかし、普段は一歩下がったところで黙って見守っているバニラが、珍しく冷たい声で抗議した。
「お嬢様がどうしてもと言うので、グラン様のところまで来ることは承知しましたが、それ以上は何もしないというのがお約束です」
「でも……私が行かなきゃ、ダメなの。だって、私が来るのを待って、辛い一日を耐えている人がいるんだよ? 私一人が辛いのを我慢して行くことで、救われる人が何人もいるんだよ?」
「それでも、ダメです」
バニラは諭すように厳しくもありながら優しい目つきでアリスを見た。座っているアリスに目線を合わせるように膝をついてしゃがんだ。
「お嬢様の存在が希望という人がいるのなら、お嬢様の辛そうな姿もまた、その人たちにとっても辛いもののはずでございます。貴方が無理をして倒れてしまえば、それこそ誰がお嬢様を希望にしている人を助けるのですか」
バニラのその言葉には高潔な精神が宿っていた。ロッティたちには馴染みのない、貴族での指導風景がそこにはあった。アリスは苦悶に顔を歪ませながらも、静かに頷いて、椅子に深く座り直した。
「よく葛藤を抑え込んでくれました、お嬢様」
「でも……それでも、私を待っている人に何とか連絡しなくちゃ」
「それなら、私たちが行く」
いつの間にか部屋から出てきていたガーネットは、壁にもたれかかりながら腕を組んでアリスのことを見つめていた。ガーネットはそう言うと、壁からそっと離れ、ロッティの傍に寄った。ロッティはアリスの急な不調に嫌なものを感じて思わずガーネットを探るように見てしまうが、ガーネットは険しい顔をしながらも、ロッティの嫌な予感を振り払うように優しく首を横に振った。