第2話
文字数 3,039文字
フルールは自らを、自分は皇族委員会の上院に務める人の付き人であると説明した。ロッティのイメージでは、そんな高貴な人に仕える人間というのは、もっと常日頃からその人の傍にいて、極力人前に出ず余計な関わりを持たずで、人々の陰にじっといるような存在だと想像していた。そんな人間が、多くの人たちに認知され可愛がられるぐらい街の人たちと距離を詰めていることが意外だった。以前『ルミエール』にいる間に訪れたときにフルールの姿を見かけたかどうか記憶を必死に辿ってみるも、いちいちすれ違う街の人間のことなど憶えているはずもなく、フルールがいつから街の人たちと関わっていたのかは分からないが、それでも今こうしてフルールに声を掛けていく人たちの様子を見る限りでは、随分長い付き合いがあるように思えた。
ロッティのその疑念が顔に出てしまっていたのか、じっと見ていたロッティの視線に気づいたのか、フルールは立ち止まってロッティの方を振り返った。丁寧にスカートの上で重ねられた手は微動だにしなかった。
「あ、すみませんフルールさん、じっと見てしまって」
しかしロッティが慌てて弁明するも、フルールは返事をせずに黙ってこちらを見ているままであった。その表情にわずかに悲しい色が見え始めロッティはさらに慌てふためくが、フルールも我に返ったようにはっと息を呑んで、丁寧に折り畳まれていた綺麗な手で意味もなくドレスのスカートの裾を弄った。
「いえ、ロッティ様を見ていたわけではありません。不快にさせていたなら謝ります」
「……いや、不快になんてなってないです、大丈夫です。むしろこっちこそ早とちりしてすみません」
ロッティが軽く頭を下げて謝るが、フルールはそれでもぼうっとこちらの方を見ていた。自分を見ていたわけではないなら何を見ていたのかと気になったロッティは後ろを振り返るが、すれ違った人が多く、誰を、どれを見ていたのかはとても分かりそうにはなかった。
「すみません。私情を挟んでしまいました。宿までもう少しです。ご案内します」
フルールは気を取り直したのか、すっかり機械のような冷静さでそう言うと再び歩き始めた。
いったい今のは何だったんだろうと引っかかったロッティは、やけにこちらの知らない情報を多く持つ物知りなガーネットの方を何となく見てみるが、ガーネットも珍しく無表情な鉄皮が剥がれて、きょとんとしたまま不思議そうに首を傾げていた。
フルールに案内された宿は、一言で言えば豪邸であった。自分たちにこんな豪勢な宿に泊まる金は持ち合わせてないとロッティは恐れたが、言い渡された料金は予想を遥かに下回る安さであった。その安さにむしろ何か裏があるのではないかと不審に思うも、ガーネットがむしろ納得したように小さく頷いているのでロッティも渋々受け入れた。フルールは始終感情を表に出さずに、マイペースに宿についての説明をしてくれていた。
フルールは宿の中に入ることはなく、最後に「お疲れ様です。用があれば申し上げてください」とだけ言い残してそのまま宿の外に居座り続けていた。初めて出会ったときと変わらぬ立ち姿で佇むフルールに、ロッティは戸惑いと抵抗を覚えたが、ガーネットはさっさと宿の中へ入っていくのでロッティもフルールの方を何度か振り返りながらもその後をついていった。フルールは律義にロッティの視界から消えるまでロッティたちが入っていくのを見送っていた。
受付の人にも話が通っていたのか、ガーネットが名前を名乗るとすんなりと部屋番号の記された鍵を渡してくれた。赤い絨毯が敷かれた廊下を長々と歩いてたどり着いた個室は、いくつも小さな部屋を抱える大きな部屋であった。リュウセイ鳥の伝説のあった街では一緒くたになっていた浴室と洗面所もそれぞれ小部屋に分けられ収まっていた。浴室の風呂場は一度に二人でも入れそうな広さで、台所にもカップが二つと簡単な調理器具まで備わっていた。ベッドも同じ空間に二つあるのではなく、それぞれで寝室が二つに分かれていた。
リュウセイ鳥の伝説を巡った争いで警戒心がますます強くなったロッティは宿への疑惑を拭いきれないまま、荷物をそっとベッドの脇に下ろしていく。ガーネットもロッティとは別の寝室に行ったかと思うとすぐにロッティの前に現れてロッティの名を呼んだ。ガーネットの持っていた荷物はすでになかった。
「早速行くところがあるの。ついてきて欲しい」
フルールに対するときと違ってやはり淡々としていた。ベッドに恐る恐る腰を下ろしていたロッティがぱっと顔を上げるも、やはり微妙にガーネットとは目線が合わなかった。
「行くところって、どこに行くんだ」
ロッティは財布やメモする紙にペンといった最低限の荷物だけを持って、ガーネットと一緒に部屋を出た。一瞬、もう少し準備してきた方が良いかとも思ったが、肝心のガーネットが手ぶらだったため大丈夫だと結論付けた。
ガーネットはロッティの質問には答えずさっさと廊下を渡っていき、受付の人の目の前を突っ切って宿を出た。宿の外では、律義にフルールがすれ違う人に会釈しながら待っていた。
「フルール、皇族委員会の講堂に案内してくれるかしら。ブルーメルと話がしたいの」
ガーネットの頼みに、フルールはくりくりとした瞳を少しだけ見開かせていた。すぐに内容を飲み込んだのか、納得したように小さく頷き微笑んだ。
「分かりました。それではご案内いたします」
フルールはロッティたちの様子を気にかけながら再びロッティたちの歩調に合わせて歩き始めた。
いきなりそんなに偉い人間のところに会いに行くことに戸惑ったロッティだったが、ふと頬に視線が当たるのに気がついた。振り向くと、ガーネットが少しだけ悪戯っぽく微笑んでいた。その表情は少女みたいな幼さが確かにあったが、ガーネットは何事もなかったかのようにそっぽを向いてロッティを置いていくよう早足で歩いていった。
先を行くフルールとガーネットの後をついていきながらじっくり街並みを眺めていると、馬車に揺られているときに壁を越えて見えていた時計台が目に入った。街の中で見てみると馬車の中から見えたときとは印象が違い、他の建物と比べても一際高い時計台を中心にしてずらっとコの字に展開されている建物が、家々の屋根の上から厳かな雰囲気を纏って覗かせていた。シリウスに入ってから宿までの道のりはそれなりに長かったが、時計台を取り囲む厳粛そうな建物が講堂だとすれば、さらに長い道のりになりそうであった。