第24話
文字数 3,108文字
ロッティは下町の古びた建物の上で夜空に浮かぶ星を眺めていた。何も考えず眺める星は綺麗で、この夜空が先日大樹ユグドラシルの枝から見上げた夜空と繋がっていることがどこか奇妙で不思議な感覚がした。しかし、かつてこの大陸にやって来たエルド族たちも同じようにこの星空を眺めていたかと思うと、その時代の人たちと一緒に見ているような一体感と安心感があり、勇気づけられるようだった。星を見て落ち着く人の心は、昔の人との繋がりをどこかで感じていることから来ているのかもしれないとロッティは考えた。
長い間星をじっと見上げていると、段々と肌寒くなってきて、ロッティは立ち上がって、建物の屋上から降りて適当に散歩し始めた。静まり返ってすっかり眠っている街並みをしばらく歩いていると、まもなくして向かいからハルトとルイがやって来るのが見えた。ハルトとルイもロッティの存在に気がつくと、二人とも複雑そうな表情を浮かべながら手を挙げてきた。
「今から話すのは大丈夫か?」
ロッティは何となくな気持ちでそう言ってみると、二人とも静かに頷いた。ロッティは二人を連れて、先程同居人に教えてもらった、夜空が綺麗に見える高台へと向かった。これまで再会したら何かしら騒がしくさせていた二人も、高台へと向かっている間、まるで無言だった。
しかし、その高台には先約がいた。セリアがぼんやりとベンチに座って星空を見上げていた。あまりにも無防備なその表情に、先ほどまで自分もこのような表情をしていたのかとロッティは少し恥ずかしくなった。
「セリア……」
「……あれ、ハルト君に、それにルイ、さんと、ロッティまで……」
「なーんで俺だけちょっと距離あるんだよー」
喚くルイを他所にハルトはセリアに会釈した。
「あの酒場での続き、ここでセリアも一緒に話さないか」
そのハルトの誘いに、セリアも複雑そうな笑みを浮かべたまま頷いた。
ルイは車椅子に乗ったまま、ハルトとセリアはベンチに座って、ロッティは立ったまま、それぞれが星空を見上げていた。互いに何を言って良いか分からない雰囲気で、何も言い出せないのをごまかすように星を見上げているような気がした。自分から言い出すべきだとロッティは自覚していたが、どくどくと五月蠅く鳴る心臓の音が覚悟を固めるのを邪魔していた。それでもロッティは、その鼓動を意識しないように、星を見て、そして同じ星を見ている人たちのことを想像した。
随分遠いところに来た。ロッティははっきりとそう感じていた。そして人生は思い通りにならないと、つくづくロッティは感じていた。少なくとも、自分の願うものはずっと遠くに行ってしまったような虚しさが心を巣食っていた。それでもロッティは、もう一度手を伸ばしたいと思った。
「俺は、アインザーム族、らしいんだ」
震えながら出てきたその言葉は、夜で冷えた静寂な空気を確かに震わせた。その言葉の意味を、ハルトたちはどう受け取っているのだろうか。ロッティはハルトたちの反応を、気が遠くなる思いで待っていた。
緊張し、ロッティが身を強張らせていると、ふとその空気が弛緩するのが肌で感じられた。
「それがどうしたんだよ」
ハルトはベンチから立ち上がり、何かを辛い出来事を思い返すように目を細めながら星を見上げていた。
「俺の知ってるロッティは、物静かで、友達思いで、そして、誰よりも強いんだ。たとえ普通の人にはない力を持ってたからって、ロッティがロッティであることには変わらない。だから……」
ハルトはゆっくりロッティの方を振り向いた。
「その力があったことでロッティは苦しんできたかもしれない。その痛みや苦しみを代わってやることは出来ないかもしれない。でも、ロッティはその力を誰かを救うために使っている。その力には、誰かを救う力があるじゃないか。それがどんなに凄いことか……誰かを救ったことのあるロッティが悪いわけがない、その力を持っているのが悪いことなんて、あるわけないじゃないか」
きっと頭の中で何度も繰り返してきた言葉だったのだろう、淀みなく出てくる言葉一つ一つからハルトの想いが伝わってきて、ロッティは目の奥が熱くなった。それでも、ロッティはハルトに近づくことを躊躇した。地図にない孤島で世界の裏側を知り、自身もその裏側に属する人間であることをこれまでの旅で嫌というほど痛感してきたロッティは、どうしてもハルトたちと自分は違う人間であるのだという認識を捨てられなかった。決して近づくことを許さない溝が、ロッティにはどうしても怖かった。
それでも、すべてを知った孤島にて決意したこと、そしてシャルロッテに啖呵切ったことを思い出し、そのときの自分から勇気を貰おうとした。
「……俺も、そう思いたい」
我ながら消え入るような声だったが、ハルトも、ルイもセリアも、訊き返すこともなくじっとその言葉の続きを待っているようだった。
「俺も、自分が自分であることを認められるようになりたい。違いを感じてしまうこの世界で、それでも、俺は普通に生きていたい。『ルミエール』の皆といても、自分は違う人間なんだと感じて虚しくなるのは……嫌なんだ」
ハルトとルイは、まるで自分が傷ついたみたいに辛そうな顔をしながらその言葉を聞いていた。二人の友人が自分に近づこうとしていることに、ロッティは言葉で表せぬ喜びが胸の内に生じるが、その想いが強ければ強いほど二人と違う生き物であるという事実がロッティの心を蝕み、素直に喜べない自分をつくづく忌々しく思った。
セリアはそれらのやり取りを懐かしむような眼差しで眺めていたが、やがて後悔の光が宿った瞳で夜空をもう一度見上げた。
「こう言っちゃうの無粋だし失礼だけど……青春、してるなあ」
セリアの声には、どこか諦めが滲み出ていた。ロッティはそこに、自分の知らないセリアがいることをはっきり感じ取った。
「私も、混ざりたかったなあって……あのときみたいに、ロッティと、もう一人……ブルーノと一緒に、こうして悩んであげたかったなあって……」
ブルーノの名を口にすると、セリアは途端に苦痛に歪んだような、苦しそうな表情を浮かべた。
「でも、私は、カルラお婆さんの話を聞いて……やっぱり、としか思えなかった」
「やっぱりって、どういうことだ?」
ルイが不思議そうに尋ねた。
「……ロッティさ、あの日、何で私たちの街は魔物に襲われたと思う?」
セリアはロッティの方を見ずに、遠くの記憶を呼び起こすような瞳になった。ロッティは、セリアの一部はまだあの日から抜け出せないでいることを知った。セリアはロッティの返事を待っていたわけではないようで、激しく燃える想いを吐き出すように話を続けた。
「私には分かんない。あの魔物は、あの地域には生息しない魔物だった。誰かが連れて来たに違いなかった。私はそいつを決して許すわけにはいかなかった。私の大好きなブルーノも、私の両親の命も奪って、ロッティをここまで苦しめて、私の全部を奪っていったそいつのことだけは絶対に許せなかった。そしてそいつが誰なのか、『ルミエール』の皆の話とカルラお婆さんの話を聞いてはっきりした!」
話していくにつれて語気が荒くなり、セリアは険しい顔つきで俯き、ぎゅっと握り拳を震わせながら地面を忌々しげに見下ろした。激しい怒りの炎が迸っており、その激しさに、あの日一人ぼっちだった自分を救ってくれた少女セリアと同じ人物だとは思えなかった。
「私を出汁にして『ルミエール』のあの本を奪おうとした、あいつら。普通の人にはない能力を持つというあいつらが、私の討つべき仇だ。絶対に、殺してやる」