第14話
文字数 3,494文字
ニコラスをどこに送ればいいか分からず窮していると、「とりあえずシルヴァンのところに連れてってくれや」と言ってきたので、ハルトとクレールはニコラスを『シャイン』の借家まで送っていくことにした。その過程で、ハルトはブラウたちのことを思い出していた。ブラウたちは今頃街医者の所で世話になっているのだろうか、それともまだ到着していないだろうかとハルトはやきもきしていた。そんなことに思いを馳せている間に、『シャイン』の借家に辿り着き、ニコラスはハルトたちの方を振り返った。
「ハルト、今でもセリアをどうにかしたいっていう気持ちは変わらないか?」
ニコラスがふいにそんなことを訊いてきた。ハルトは握り拳を作って掲げながら当然だという風に頷いて見せた。ニコラスも、先程クレールが見せたような笑みを浮かべて頷いた。その後、ニコラスが明日も今日と同じ時間にここに来いと言って、そのまま別れた。クレールたちもそのまま『ルミエール』の借家に戻ることにした。
しかし翌日、再び『シャイン』の借家に訪れると、建物の前でシルヴァンとシャルロッテが立っているだけで、ニコラスの姿はどこにもなかった。
「ニコラスはどこだ」
クレールが怪訝な目をシャルロッテに向けながらシルヴァンに訊くと、シルヴァンは重苦しそうに口を開いてこう言った。
「あいつは、代わりを俺たちに任せて一人でどっかに行った。それっきり帰ってきていない」
その言葉は耳には届いていた。しかし、ハルトにはその言葉の意味することが、上手く頭の中で処理できなかった。冷や水を浴びせられたような気分になり、真っ白な頭の中でハルトは力の抜けていく身体を何とか倒さないようにするだけで精一杯だった。
☆
帝都外れの街医者に係り、ブラウを蝕む毒がヒガンダケの毒であると診断され、その中和剤が無事に打たれたことでブラウに付き添っていたアベルたちはほっとしていた。ブラウを医者宿の二階の個室で横にさせて、アベルたちもそれを見守るように適当な椅子を持ち出して座っていた。シルヴァンに命じられて着いてきたルミアとカミーユもそわそわしながらも椅子に座っていた。
「いやー無事に毒が治せそうで良かったー」
お気楽な調子でルイがそう言う。実際、最悪の事態も想定していたアベルたちは、ここまですんなりことが運んでいることに安心よりも不安が勝っていたが、ルイの何か考えているようで何も考えていなさそうな発言のおかげで却って気が引き締まっていた。
「皆、すまないな」
ブラウもようやくまともに話せるぐらいには気力が回復してきたが、意識がはっきりしてくると、今回のことの発端が自分なだけに罪悪感を感じずにはいられなかった。しかしそんなブラウを安心させるかのようにアベルたちは笑みを浮かべてくれた。ジルだけは緊張したように顔を強張らせていたが、それでも余計な力は入っていないように見え、いつもの頼りになる冷静な瞳で皆のことを見守ってくれていた。
「それにしてもカミーユちゃん、君とちょっとお話がしたいんだけど良いかなあ? ようやく落ち着いて話が出来そうだし、ねえ良いでしょー?」
「……このお気楽な人は、何ですか」
ルイの態度に引いている様子のカミーユは、ルイに詰め寄られた分だけ距離を空けた。
「ちょちょちょー、なんで逃げるんすかー」
「……ルミア、場所代わってくれる?」
ブラウたち『ルミエール』からすればルイのそのテンションは見慣れたものであるが、やはり初対面の人には辛いらしく、カミーユは隣に座るルミアに懇願していた。ルミアもルイのことを呆れたように眺めながらカミーユと席を交換した。ルイは多少落胆しながらもめげずにカミーユに話しかけようとしていたが、自分を挟んで会話され煩わしそうにしていたルミアが貧乏揺すりしながらルイに向いた。
「貴方、それストーカーって言うんですよ。男なら潔く、引かれたのなら大人しく身を引いたらどうですか?」
「おー言うじゃねえか、ルミアさんよ」
「……ルミアも人のこと言えないでしょ」
そんな風にして『シャイン』のメンバーも主にルイを介して会話を交えるようになり、初めはどうしてもよそのメンバーということで見えない壁のようなものがあったが、徐々にその空気が解けていったのが分かった。
医者によるとヒガンダケは昔に絶滅したと思われるきのこの一種であるらしく、致死毒ではないが身体の自由を即座に奪い、その後じわじわと身体の体力を奪っていく毒で、冒険している最中に誤って口にしてしまえば結果として命を落とすことが多かったという。ブラウは長年冒険してきた自分の知らない毒に興味を抱きながらその話をじっと聞いていた。
医者に診てもらってから二日目、平穏な風が吹き込んでくる窓の外は再び赤く染まり始めていた。毒を中和してもらってからのブラウは順調に回復していき、二日目の朝にはもう立ち上がって歩けるようになっていた。その様子を見た医者には大層驚かれた。しかし歩いているうちに次第に息苦しくなっていき、まだ臓器機能が回復しきっていないからと医者に強制的にベッドに戻され、その後はジルを始めとして皆にベッドから出ないように注意深く監視された。聞いた話によると、「顔がどんどん白くなっていった」という。ベッドで少し横になったブラウはもうすっかり体力が回復したような感覚になったが、そんな風に言われ皆に見張られたので、大人しく横になっていることにした。
「クレールとハルトは今頃どうしてるだろうな」
アベルがふいに窓の外を眺めながら懐かしむように言った。順調に行けばセリアという女性から話を聞き終え、何かしらの手がかりを得ている頃であろう。もしかしたらもうブラウの本を待っている段階かもしれない。そう考えると、ブラウは気持ちが逸り、ベッドの上で身体を起こした。先ほどのような頭が遠のいていく感覚はなくなっていた。
「ダメだ、もう少し安静にしとこうぜ」
アベルが落ち着いた顔でブラウの肩に手をかけそのままベッドに横たえさせようとしてきた。
「そうですよ、団長からは何事もなく絶対に無事に帝都まで送り届けるように言われてるんですからね。無茶しないでくださいよ」
ルミアはルイがカミーユに迫ろうとしているのを阻止しながら困ったような顔をブラウに向けてきた。それを聞いてブラウは、それでも横になってじっとしているのにもうんざりしてきていたので、折衷案としてベッド後ろの壁に身体を預けるようにしてもたれかかった。たった一日半ベッドで横になっていただけだったが、腕を組んで壁に寄っかかっているだけで、ブラウは何だか新鮮な感じがして鼻息を荒くした。アベルにため息を吐かれ、ルミアも困ったように眉をさらに歪ませた。
「団長の古い知り合いだけあって、意地っ張りですね……」
「おいカミーユ、失礼だろ」
カミーユは半ば感心したような声音でそう言ったが、ルミアがその発言を厳しい口調で諫めた。カミーユは拗ねたようにルミアから顔を遠ざけた。ルイは相変わらずカミーユのことを狙っていたが、それでもブラウのことに意識を向けているからか、先程よりは落ち着いた様子になっていた。
ブラウはそこでようやくジルの異変に気がついた。ジルはいつも、ロッティがいたときから基本的に『ルミエール』のメンバーがわいわいやっているのを後ろで見守るように眺めていた。その会話や騒ぎに積極的に関わろうとはしないのだが、それでも皆を見守るその目つきはとても優しいもので、そのやり取りの中に何かを見出して感傷に浸っているような雰囲気があり、必然とジルもその輪に加わっているような空気が確かにあった。しかし、今回はまるでそんな感覚がブラウにはしなかった。ジルは一見いつものように皆のことを見ているようだが、心はここに置いておらず、どこかに意識を向けているような気配があった。
「おい、ジル、大丈夫か?」
「……大丈夫だよ。というか、団長は自分の心配を……」
ブラウは思わず声を掛け、ジルは少し遅れて反応したが、ジルが言い終わらないうちに突如部屋全体にガラスのひび割れる音が鳴り響いた。部屋にあるすべての窓のガラスの破片が部屋の中に飛び散り、床に落ちていく。そのガラスに混じって、見慣れぬ茶色の小さい岩が同じ色の床に擬態していた。