第10話
文字数 3,240文字
「それじゃあ、これからの方針を説明するぞ」
クレールはそう切り出して、紙に丸を二つ描き、その中に棒人間のような線を描いていった。ハルトたちは、クレールの描く絵は本人にしか分からないほど汚いものだということを十分に理解していたので絵の方はテキトーに見るようにして、クレールの方を主に見るようにしていた。
「今日は団長の具合が悪化しないように交代で看る、これだけに絞る。皆も一度落ち着いた方が良いしな。問題は明日だ。明日は……ジルたちが見つけてくれた手がかりとして、セリアという女性に会って話を聞き、その話を参考に情報収集を再開するグループと、団長を治すために医者の所に連れていくグループの二つに別れる。明日のやる行動としては以上だが、とりあえずここまでで何か質問はあるか?」
ひたすら紙に何か描いているようだったクレールはそこまで話すと、顔を上げて皆の顔を見渡した。全員とすぐに目が合ってクレールは少し戸惑っていたが、特に何もそのことに触れなかった。
「はいはい、結局セリアちゃんに会うことにすることにしたのは何で?」
ルイが大袈裟に手を挙げて質問した。明るくお気楽な口調だが、声にどこか真剣さが滲んでおり、ルイもなんだかんだでセリアを疑わしく思っていたことが窺えた。
「ハルトの勘を信じたまでだ」
「どえー、そんな理由で」
ルイが今度こそふざけたような口調で驚いてみせたが、クレールは至って真面目な顔だった。
「多少怪しいものの、他に頼りになりそうな情報もないし縋ろう。ハルトの勘を信じても良いだろう」
「んー、ま、そうだな。ハルトは馬鹿正直な純粋野郎だからなあ」
「……俺、馬鹿にされてるよな?」
「いやいや誉め言葉だって。マジで」
納得出来なかったハルトだったが、クレールが話を進めたそうに咳払いをしたのでハルトも騒ぎ立てないことにした。
「とにかく、セリアに対しては警戒しつつ、少しでも危険を感じたらすぐに退こう。それじゃあ皆もここまで承知してくれたことで、具体的な話に移るぞ。まず、明日一番最初にすることは、シルヴァンたちに協力を仰ぐことだ」
「へ? なんでだよ」
アベルが素っ頓狂な声を出して疑問を呈するが、クレールは予想通りとでも言いたげに頷いた。
「人手が必要だからだ。団長を帝都を出てすぐの町医者に診てもらうためのな。帝都の医者はどこも貴族ども富裕層の人間たちの診察の予約がいっぱいだからな、いつ診てもらえるか分からねえ。そして、町医者の所に診てもらうとなると、ネックになるのが今回俺たちを襲った連中の存在だ」
クレールは再び紙に何かを描きながら説明していった。
「シルヴァンたちがどれぐらい協力してくれるかにもよるが……基本的にセリアと会って情報収集を再開する方は俺と、今日セリアに会った三人の中の誰か一人の二人だけで、他は全員団長につくようにする。奴らは、俺やアベルには目もくれず、団長だけを狙った。やはり、あくまで連中の狙いは団長の持つ本みたいで、それ以外の俺たちは二の次みたいだ。セリアの方が罠だったとしても団長がいなければそこまで強硬手段には出ないだろう……まあ人質として捕まるようなヘマだけはしないように気を付けるぐらいだ。ここまでで質問はあるか?」
「僕は団長についていくよ」
クレールの話を聞き終えてすぐに、ジルが珍しく強い口調でそう宣言した。普段あまり自分から主張することのないジルが積極的になるのは珍しいことだったが、ハルトはその理由にすぐに思い当たった。それを思うと胸を締め付けられたように苦しくなり、ハルトもジルに協力したいと思った。
「俺もジルと一緒に団長について……」
「ちょい待ち」
しかし、ハルトの言葉をルイが低い声で遮った。ルイが複雑そうな表情を浮かべてハルトの方を見る。
「ハルトはセリアちゃんの方に行け。帝都から出るな」
「は? どうしてだよ」
ルイの一方的な物言いにハルトも訳が分からず反発しそうになるが、ルイには何か考えがあるのがその表情からよく分かったので、ハルトはその説明を待つことにした。
「ハルト……シリウスで会ったときロッティはお前に何て言ってたんだ」
「え、ロッティ……?」
「今はまだ戻れない……ロッティはそう言ってたんだよな? つまり、ロッティには戻ってくるつもりがあった……そうだよな?」
「あ、ああ……」
突然のロッティの話題に面食らったハルトはルイの意図がまるで読めなかったが、ルイはじれったそうにテーブルの上に置いた指をトントンと叩いていた。
「じゃあハルトはやっぱりここにいるべきだ。ロッティがもし『ルミエール』に戻って来たとき、お前がいないんじゃあ意味がねえ」
「そ、そうは言うがな……だからって」
「心を開き合った親友同士だろうが!」
ジルに協力したい気持ちが尾を引いていたハルトが言い淀んでいると、ルイが耐えきれないと言った様子で大声で張り上げた。ハルトはそのルイの迫力にはっとさせられた。
「二人とも同じ時期に孤児だったところを拾われて、同じ時期に互いに心を開かせるきっかけを作った親友同士だろうが! 何かに苦しんで出て行ったロッティがまた戻って来たとき、お前が無事じゃなくてどうするってんだ。わざわざ危ない橋渡ろうとするんじゃねえ」
ルイが言っていたきっかけというのは、ハルトとルイしか知らないことだった。ロッティの能力を、ハルト自身は何の疑問も抱かず素直に受け入れたこと、それはあまりに単純で子供らしい反応でしかなかったように今では思うが、あの日確かに、それまでどこか皆に距離を置いていたロッティがほっとしたように涙を流していたのをハルトは憶えていた。ルイに叱咤され、ハルトはその時の気持ちがまざまざと蘇ってきて、胸の内が熱くなるのと同時に、ロッティがいなくなったときに感じた、自分にはどうしようもないのだという無力感や虚しさも蘇ってきた。しかし、それらの無力感や虚しさにはもう痛みはなかった。
ルイが「こんなことわざわざ言わせるんじゃねえ」と吐き捨てるように言った。
「悪い……けど、お前も絶対に無事に戻って来いよ。ロッティにとっては、お前だって必要なはずだからな」
「ああ、ハルトの心配事も何となく分かってるからよ。任せとけって」
「……話は決まったようだな。よし、それじゃあ早速準備に取り掛かろう」
ハルトとルイの成り行きを優しい眼差しで見守っていたクレールがおずおずと口を開き、そう言って話を締めるとわずかに緊張感が緩んだ。ただ一人、ハルトとルイのやり取りを複雑そうな表情で見守っていて、ふっと和らいだ雰囲気の中でも怖いぐらい顔を強張らせているジルのことが、それでもハルトは心配だった。
翌日、何とかうなされている状態から覚醒したブラウと共にシルヴァンたち『シャイン』が根城にしている借家へと皆で向かった。道中、また連中がブラウを襲ってくるのではないかと危惧して皆で注意を張り巡らせていたが、結局何事もなくいつもの帝都の街ぶれを眺めながら『シャイン』の建物に到着した。
建物の扉の横で、ブラウと同じぐらいの体格をした男性が突っ立っていた。クレールと、ブラウに肩を貸して支えていたアベルは互いに目を合わせ、一瞬その男性に声を掛けようが迷った末に、扉の蝶番を叩くことにした。しかし、クレールが蝶番に手を伸ばそうとしたとき、その行く手を阻むように、その男性が手に持っていた大砲を極端に小型化した物を伸ばしてきた。
「『シャイン』に用があるのか?」
その男性は余裕そうなのを全面に現した笑みを浮かべながら、試すような目でクレールたちを見つめていた。クレールがシルヴァンに用があることを話すと、大袈裟な動きで肩を竦め、男性が器用に逆手で蝶番を叩いた。しばらくして、中から少し眠そうで、仏頂面したシルヴァンが出てきた。