第10話
文字数 2,979文字
レオンたちを鋭い目つきで睨みつけながらクレールがロッティに問いかける。ロッティは一度、レオンの方を見た。レオンもロッティのことを見ており、一瞬目が合ったかと思うとニヤリと笑ったような気がした。その笑みは、決してロッティたちを下に見るような蔑んだものではなく、純粋に一人の友人として出てきた笑みのように親しげなものだった。
「ああ、ここは皆に任せる。死なないでくれよ」
ロッティはクレールとハルトと順番に目を合わせ、それからついて来てくれた皆の顔を見渡して、どの顔にも先ほどまでの脅えや怯んだ様子がないことを確認した。ロッティはレオンたちの相手を皆に任せることにして、自分用の舟であるどこかの店の看板の元まで戻ろうとすると、騒ぎを聞きつけたのか、町の方から何人かの武装した集団がやって来ていた。その集団を歩く人物の中に見知った顔を発見して、ロッティは足を止めた。
「よお、いつ振りじゃねえか。久し振りだな」
「シャルル……そうか、この街……それより、無事で良かった。それに、こんな多人数……ありがとう」
予想外の人数に足が止まるロッティを他所に、シャルルが駆け寄ってきてロッティの肩に手を置く。
「お前とあのお嬢さんにはリュウセイ鳥のときにたっぷり世話になったしな。ここは任せてくれ。それより、お前もお前のやるべきことがあるんだろ? だったら、早く行ってこい」
シャルルはロッティの背中を力強く押して、ロッティの方を振り返ることなく後ろ手に振りながらそのままハルトたちに合流しようとしていた。ぞろぞろとシャルルと共にしていた集団も、多くが警備隊ではあったが、何人か帝都直属の騎士が混ざっており、揃いも揃ってシャルルの後に続いていった。ロッティは心の中でシャルルたちに感謝を述べ無事を祈りながら、今度こそ看板に乗って、そのまま浮かび上がらせた。誰に気を遣う必要もない舟を、ロッティは限界ぎりぎりまで速度を上げてシリウスの方に向けて急がせた。
☆
皆が目の前にいるレオンという狼の幻獣族に意識を向けている中、ハルトは一人空の彼方へ飛んでいったロッティを見送っていた。ハルトの横では、クレールがレオンの方を睨みつけながらも、新たに加勢してくれたシャルルという男性たちや騎士たちに状況説明と先ほどハルトたちにした簡単な作戦を伝えていた。
「ったく、予定通りノアの方に乗っていればこんな危ない状況に巻き込まなかったのによ」
「そんなの嫌よ。私たち、いつも一緒だったじゃない」
クレールたちの会議に混じって、不意にそんな会話が聞こえてきた。狼の姿をしている生き物と何でもない普通の見た目をした女性とが向かい合って言葉を交わしている光景は奇妙なもののはずなのに、あまりにも自然に行なわれているのでどこか愛しさすら感じさせた。
「それより、絶対に勝とうね。私たちの世界を取り戻さなきゃ」
「分かったから。お前はどっか隠れてろ。身体弱いんだから、絶対に動いたりするんじゃねえぞ」
「……勝ってよ、レオン」
女性は慈しむように目を細めてじっと狼のことを見つめながら、そっと去っていき、樹の背後に身を隠した。そこから顔だけを覗かせて、祈るように手を合わせて狼のことを必死に見つめていた。狼はゆっくりとその女性から目線を逸らしながらハルトたちの方に近づいてきた。距離が縮まるほどその狼は身を屈めていき、いつ飛び掛かってきてもおかしくない体勢になっていった。女性とのやり取りから一変して、おどろおどろしい雰囲気を纏ってこちらに迫って来る狼に、ハルトも対峙する覚悟を固めた。
「来るぞ。良いな、決して深追いするなよ。帝都サマがわざわざ何十年何百年と懐で大切に温めていた兵器もねえ以上、戦える人数が減ればそれだけで致命的だからな」
クレールが近づいてくる狼に半身に構え、背に携えていた槍を両手に持ち構えながら、皆の士気を高める。クレールの言葉に、あちこちで鎧ががちゃがちゃと鳴る音が聞こえてきた。生唾を飲み込む音すら聞こえてきそうで、必然と空気も緊張して固くなっていった。
直後、狼が突然ハルトたちに突進してきた。集中していたはずだったが、その狼の突進する速度が予想外に速く、ハルトは横に跳んで躱そうとするので精一杯だった。それでもレオンの身体がわずかにぶつかり、その衝撃で遠く吹き飛ばされながらも、地面を転がって衝撃を殺した。ハルトが受けた以上の衝撃を喰らったのか、あちこちで鎧と何かがぶつかる鈍い音と呻き声が聞こえてきた。
「一か所に固まるな! 散らばれ! 囲うように動け!」
身を翻しながらさっと体勢を整えて叫ぶクレールの声に、ハルトも弾かれるように身体を起こし、すぐに体勢を整え、他の者と距離を保ちながら狼の姿を視界に収め続け移動する。狼の突進を真正面からまともに喰らったのか、何人かが狼の前方に吹き飛ばされていたが、狼はそんなのをまるで気にしていないように次のターゲットを探していた。そして、今のやり取りだけで厄介な人物だと捉えたのだろう、クレールの方に向けて再び狼が突進していった。
「どんな生き物も、やっぱり狙うならここだよなっ!」
クレールの方に向かっていく狼の足目掛けて、シャルルが叫びながら、吹き飛ばされて持ち主を失った剣を投げつけた。ハルトの目から見てもその勢いは強く、見事に狼の足に当たったが、しかし剣は刺さることなく弾かれていた。狼はその影響など微塵もないかのようにクレールに飛び掛かる。クレールもすんでのところでしゃがんで躱しながら槍を狼の身体に向けて振りかざした。しかし、それでも槍の先端は弾かれ、その反動でクレールが身体をよろつかせながら何とか体勢を整え、狼から距離を空ける。狼の方も一度動きを落ち着かせて、ハルトたちの様子を窺うように静かに後退していく。呻き声をあげていた人たちも、根気強く戻ってきて、顔を苦痛に歪ませながらもそこらに落ちた武器を拾いながら狼に対して戦う姿勢を見せつけた。
「他の奴らとあんまり距離を空けすぎるなよ。アイツが誰かを襲っているときが唯一の攻撃を当てるチャンスだからな」
クレールが皆に指示を出しながら、槍は依然として狼の方に向けたままであった。ハルトもハルトなりに何か策はないかと考えてみる。
普通の魔物相手ならば、剣や槍で傷を与えられない場合などほとんどなかった。それが、目の前の狼には、飛んできた剣も、体勢が悪かったっとは言え槍の払いでも傷を与えられた様子はなかった。また、幻獣族でもある狼なことから、普通の魔物と違って知性も人と同等以上にあるため、生半可な作戦は効果が薄いだろうと思われた。何よりも、普通の魔物と比べて遥かに大きいその身体は、それだけでこちらを圧倒し、その大きさに違わず力と体力も相応に兼ね備えていることは想像に容易かった。
狼はこちらが考えている最中もお構いなしに、次の攻撃を繰り出そうとしてきた。ハルトも考えを頭の片隅に追いやって目の前の狼に集中したときだった。
「レオン、危ない!」
遠く、樹の陰に隠れていた女性が叫ぶのと同時に、レオンと呼ばれた狼の身体に何本かの弓矢が突き刺さった。その弓矢の雨にレオンは明らかに見て分かるほどよろめき、その弓矢の突き刺さった部分からほんのわずかにだが血が流れていた。