第16話
文字数 3,588文字
「なあカイン、どうしても止めないのか」
「何回も何回も訊き返すんじゃねえよ。いい加減しつけえぞてめえ」
カインは相変わらず凄まじい勢いで酒を呷り、あっという間にグラスの中身を空にした。ブラウもそれに張り合うようにさっさと自分のを空にして二人して同時に次のを注文していた。カインはしつこいと口にしているが、ハルトは何となく、いつもここでブラウのことを待っているのではないかという予感がした。
「いつまでも平行線だよ俺たちは。もう交わることもねえ。諦めろ」
「……こいつには、人と人を繋ぐ力がある」
ブラウの言う「こいつ」が、一瞬自分のことを指していると気がつかず、ハルトはスルーしてしまいそうになったが、そのことに気づいた途端酒が気管支の方に入りそうになって噎せた。ハルトの慌て振りも無視してブラウは話を続けた。
「こいつは人を疑うってことも、もちろん誰かを見下すような心も持ち合わせちゃいねえ。この世界に必要なのはな、力じゃねえ。ここなんだよ」
ブラウがどんどんと自分の分厚い胸板を叩いて響かせた。カインはそれを見てつまらなそうに鼻で笑い飛ばした。
「その小僧一人に何が出来る。一人で世界中から差別をなくせると思っているのか? なくせるわけがねえ。それが出来るとしたら、強大な力を持つアイツらだけなんだよ」
カインは吐き捨てるように言いながらぐびぐびと飲み下していく。その飲みっぷりは、まるでむしゃくしゃした想いを一気に飲み下しているような、怒りに燃える人の仕草だった。
「力がなきゃ何も守れねえ。心だけで救えるなら、とっくに俺は何百人と救っている。実際に俺の手で守れたのは、こいつらだけだ」
カインは寂しそうな瞳でカインの隣に並んで静かに飲んでいる『シュヴァルツ』のメンバーを見つめた。そのカインの視線を、メンバーの二人は静かに受け止めていた。その三人の間に、ハルトは『ルミエール』のものでも『シャイン』のものでも、その他の冒険家団体の人たちのどれにも見られない色の絆を垣間見た。そして、その絆の形にハルトは切なく胸が締め付けられるような想いになった。それをごまかすように、ハルトも酒を一気に呷った。
「力に溺れ、力を振るう意味も忘れたお前じゃ、人を守るどころか傷つけるだけだ。そんなことも分からないお前じゃないだろうが。だから、もうそんなことはやめるんだ。そして、本当に弱い人のために動けよ」
「……へっ。お前も要は、覚悟が決まり切っていないだけだな。俺と対立してるくせにあの小娘を保護者面して自分のところに所属させてるシルヴァンと言い、いつまでも俺に説教し続けるお前と言い、とことん甘い奴らだ。本気になれないなら、俺に斬られて終わりだ」
「そのときが来るまでは粘ってみたって良いじゃないか。それでも分からなきゃ、そのときには殴ってでも止めてみせるし、斬ってみせるさ」
ブラウとカインは互いに不気味に笑い合いながら酒を次々と飲み続けた。ハルトも、カインが連れている二人も、大人になった幼馴染み同士の喧嘩のようなやり取りを、割り込むことなく静かに見守り続けていた。
長きにわたった飲み比べも、先にカインがメンバー二人を連れて出たことで幕を閉じた。ブラウは自分のグラスに残った酒を寂しそうに見つめていた。
酒場を出た後、ブラウは「少しどこかで風に当たらせてくれ」とふらついた足取りで言うので、ハルトはブラウの側で身構えながら、三年半前にロッティたちと語らったベンチのある高台へと向かった。ブラウをベンチに座らせ、ハルトは何となく道に出て街並みをぼんやりと眺めた。ブラウとカインのやり取りを思い返しながら、今頃カインもメンバーの二人に介抱されているのだろうかとぼんやり考え、そうであったら良いなと願った。ハルト自身も少なからず酒を飲み、多少の足のふらつきを感じたため自分もベンチで身体を休めようかと考え踵を返すと、道の向こうから騒がしい集団がやって来るのが聞こえてきた。徐々に音がはっきりして姿が近づいてくると、騎士の格好をした集団が街の建物を眺めながらゆっくりと歩いているのが確認できた。その大勢の騎士の中に見慣れた顔を発見し、ハルトは思わず手を大きく振っていた。それに気がついた相手も、周りの騎士に何か話しかけ、その騎士が頷くと駆け足でハルトの方に向かってきた。
「ハルト、久し振りだね」
「そっちこそ、こんな大勢で何やってるんだ?」
「ああ、あれ? あれはね、緊急時における街の人の避難経路の確保の仕方とか案内とかの予行演習」
騎士団の方を振り返りながらセリアは淡々と説明した。ロッティやカルラを通じて知り合ったセリアはその後も顔を合わせれば話をしたが、会うたびに瞳の色は暗くなっていった。騎士団の方をぼんやり見つめるセリアの瞳は、以前よりもさらに瞳の中の黒色がより一層濃くなったような気がした。
「セリアは、まだ復讐を考えているのか」
酒を飲んでいた影響だからか、それともリベルハイトであるシャルロッテやカインたちの心の一端に触れられた気がして気が大きくなっていたからか、ハルトはついそのことを零していた。これまで会ったときには、暗黙の了解のようにその話題については触れないでいたのだが、そのことにセリアがどこかほっとしていることにもハルトは気がついていた。ハルトが恐れていたように、やはりセリアは虚ろな瞳で騎士団の方を眺めていた。
「急にどうしたの、ハルト」
そう答えつつ振り向かないセリアの様子に、ハルトも破れかぶれの気分になった。
「俺、セリアの気持ちは分からないけど……でも、復讐なんて、きっと良くない。お前が復讐しようとしている相手は、昔亡くなったブルーノっていう大切な人と同じ種族かもしれないんだぞ。もしそうだったら、そんなの、苦しいだけじゃないか……」
ハルトは堰を切ったように言葉が溢れてきて、自分でも言いすぎていると自覚していたが、よく回る舌はとても止まりそうになかった。最後まで言い終えても、セリアは不気味なほど無反応で黙ったまま騎士団の方を向いているだけだった。
ふと、風がセリアの短く切りそろえられた髪を攫おうとするかのようになびかせた。セリアの真っ黒だった瞳に、小さく光が灯った、ようにハルトには見えた。
「私は、もう、戻れないから……」
セリアの声は、虫の音のように小さく尻すぼみになっていった。セリアの心から感情が零れてきているとハルトは感じた。
「復讐に六年も生きて……多くの異種族を刑に処してきた……でも、久し振りに再会できたロッティもそうだって知って……それまでは復讐している気分だった刑も、途端に苦しくなった……」
セリアの身体が風によって頼りなく揺れ、膝が笑っていた。セリアは震える自身の身体を慰めるようにそっと抱いた。
「ありがとう、ハルト……私も、分かってた。私、きっと間違ってるんだって……ロッティみたいに生きている人もいるんだって思えなかった、私が愚かだったんだって……でも」
セリアはきゅっと自分の身体を強く抱きしめ、震えを無理やり止めさせると、ほっとしたようにその腕を緩め、再び顔を上げた。
「それでも、私は……私は、復讐を果たすよ。ここまで来たのに引き返したら、今まで刑に処してきた人たちに顔向けできないもの。私は、最後まで……」
セリアの言葉は最後まで続かなかった。それでも、ハルトにはセリアの苦しみが痛いほど伝わってきた。たとえ苦しみを代わってやれなくても、どういう苦しみなのかを理解してあげることも出来なくても、セリアの苦しみがどれだけ深いものなのかがこれでもかと伝わってきた。ハルトが黙ったままでいると、セリアがようやく振り返り、そしてその感情の失われた表情がくしゃっと歪んだ。
「なんて酷い顔してるのよ……あんたが辛いわけじゃないのに……でも、ありがとう」
セリアは絞り出すように苦笑いした。その姿が、何故かロッティの『ルミエール』を去ったときの姿を連想させた。ハルトは思わず目を擦るが、その幻影はもう二度は見えず、セリアが首を傾げながらも辛そうな顔でハルトのことを見ていた。しかし、一瞬だけロッティの幻影がセリアと重なって見えたことは、ハルトは忘れてはいけないと直感した。酒の酔いのせいにしてしまえば遠ざかって消えてしまうような大事な何かが、その理由に隠されているような気がした。それから酒を飲んだことを後悔しながらセリアと別れて、ブラウの下に戻った。