第15話
文字数 2,524文字
姿は未だはっきりしないのに、不気味に声だけは聞こえてきて、まるで幽霊を相手にしている気分にさせられ気味が悪かった。この相手を振り切って二人の方へ向かおうともしているのだが、どうも心を読まれているかのように、それを阻止せんとばかりに攻撃が飛んでくる。ロッティは、今までに自身の持つ能力に困ることはあれど、皮肉にもそのおかげで戦闘において対処できなかった事態はなかった。そのため、その能力すら発動させてもらえず苦戦するというのは人生で初めてのことで、ロッティは今まで抱くことのなかった類の焦りに苛まれていた。手にひどく汗が滲んでいるような気がした。気を緩めば手元が狂い自分がやられるだろうという確信とそこから生まれる緊張感に、ロッティは息をするのも忘れそうになる。
「……ねえ。君はこっちに来る気はないのかい?」
ふと攻撃が止んだかと思うと、交戦中とは思えないほど穏やかな口調でその相手は語りかけてきた。改めて聞く透明感のある中性的な声は、自身を追い詰めようとしていた攻撃の主とイメージがかけ離れており、そのギャップにロッティは敵がどんな姿をしているのか、想像出来なかった。
「君は何のために僕と戦っている? 出来れば君には僕たちの味方になってもらいたいんだけど。どうかな」
つい先日も似たようなフレーズをロッティは聞いていた。そのフレーズの一致は、偶然のものでもなんでもなく、まさに先日相手した人たちとこの者が繋がっていることを示していた。
「こっちに来てくれれば、きっと君の悩みも癒える……かもしれないよ」
なんてことのない、よくある勧誘の常套文句であると聞き流そうとしたが、その口調の持つ響きがロッティの心を引っ掻いた。身に覚えのある違和感が胸の中で大きくなり、苦しくなると同時に、心を覗かれたような気がして背筋に悪寒が走った。
「……勧誘するぐらいなら、剣振り回してきたり魔物襲わせたりするのはおかしいんじゃないのか」
「お、初めて口を利いてくれたね。それで、どうかな? 君はこっちに来ないのかい」
ロッティが皮肉を言うも涼し気な声で流してその者は再度ロッティに問いかけてくる。ロッティには相手の思惑が全く読めなかった。これまで自分の能力が白日の下に晒されたとき、ハルト以外の、あの街の人たちには化け物でも見るような目で見られ疎まれてきたため、先日のときや今回のように、積極的に味方になって欲しいと誘われることなどなかった。初めての事態に、ロッティの心は確かに揺れ動いていた。先ほど感じた違和感や悪寒も、この人物が魔物をけしかけてきたり剣で斬りつけてきたりした事実を忘れたわけではないのに、何故かこの勧誘も嘘偽りのない相手の本心であるような予感がして、ロッティの心は脆く歪んだ。
その勧誘に導かれるように声の主の方を振り向こうとしたとき、ふと、ガーネットの姿がフラッシュバックした。
一人取り残された部屋で、蹲って、すべてから目を背けるように顔を伏せ、すすり泣いていた。そんな姿が、右も左も分からないほど歪んだロッティの心の中で、唯一確かなものとしてくっきりと映し出された。今までガーネットがそんなことをしているところなど見たことないにもかかわらず、これは紛れもなくガーネットの姿なのだと、だからお前はガーネットに着いていったんだろうと、頭の中の誰かが叫んでいた。その叫びに、あやふやだった心の世界が元の世界を取り戻そうともがいていた。この少女のいる風景を忘れたくなくて、それでいて何とかしてあげたいと強く願ったロッティは、泣いているその少女に『もう一度』手を伸ばした。
「伏せて、ロッティ」
その声は、決して大きなものではなかったのに、ロッティの耳にこれ以上ないほどクリアに聞こえた。ロッティは、その声が言い終える前にその場にしゃがみ込んだ。その直後、雷鳴のような轟音が頭上を走った。どこかからか「ぐっ」という呻き声が上がり、それまで相手が発していたと思われる威圧感が消えたのを感じて、ロッティはゆっくりと立ち上がる。
しばらくして背後からゆっくりと近づいてくる足音が、ロッティには不思議と懐かしく聞こえ、胸の内が温かくなった。
「ガーネット、ありがとう」
ロッティの背後からゆっくりと現れたガーネットは、大砲を極端に細くしたようなものがついた黒光りする塊を両手で構え、望遠鏡を覗き込むようにでもしてその塊と共に一点を見据えていた。ガーネットの周囲は緊迫感が結晶となってガーネットを包んでいるかのように空気が張り詰めており、かつてないほどの集中力がひしひしと伝わってきた。
「ロッティ。彼らを追いかけて」
ガーネットは今までに聞いたこともないような鬼気迫る勢いでロッティに指示した。しかし、ロッティはガーネットを置いていくことを躊躇してしまった。
「ぐっ……この女は……一体どこでそんなものを拾ってくるんだろうねえ!」
ロッティの一瞬の躊躇いを狙ったかのように、先程の相手が立ち上がりロッティたちの方へ向かってきた。ロッティは慌てて咄嗟に能力を使うが、すんでのところで相手はマントを脱ぎ去り、そのマントに隠れるようにしてロッティの視界から消えた。そのせいでマントしか捉えられなかったロッティは焦り、じれったく思いながらマントをどこかへ『放り』、相手を探そうとすると、再び先ほどの雷鳴のような轟音がその場を駆け巡り、ロッティは咄嗟に身体を伏せてしまう。
「ロッティ、早く行ってあげて! 私のことなら大丈夫だから!」
ガーネットがずっと一点を見つめながら、先程の轟音にも負けないほどの声で叫ぶ。その気迫にガーネットの覚悟を感じ取ったロッティは、言われた通りガーネットにその場を任せて二人を追いかけることにした。背後で何度も轟音が鳴り響くのを聞きながら、ロッティは暗闇を突き進み、目を凝らして二人の姿を探した。
このよく分からない戦いは何なのか。自分は何のために戦っているのか。それに何より、ガーネットのことを、まだ何も知らない。それらのことを問いただすためにも、ロッティは、心が擦り切れるほどひたすらガーネットの無事を心の中で祈った。