第18話
文字数 3,611文字
ルミアは二人に何度も頭を下げながら、馬を撫でて二人が落ち着くのを待った。
クレールはハルトたちを気の毒そうに見ながらも、ジルの方へ駆け寄った。
「ジル、団長とアベルはどうしたんだ」
「それについては私からお話しします。団長も一緒に聞いてください」
クレールの質問に答えたのはジルではなくカミーユだった。カミーユにそう言われてシルヴァンとシャルロッテも一緒にカミーユの乗っている馬の下へ集まった。
そこでクレールたちは、ブラウが回復してきた頃、何者かが女性を人質に姿を現してブラウの持つ本と交換する取引を持ち掛けてきたこと、恐らくニコラスが外からブラウたちを援護しその取引を持ち掛けた男を何らかの方法で傷を負わせ、その隙に逃げてきたこと、そしてニコラスがその者と交戦して時間を稼いでくれたことを聞いた。
「くそっ……そんなことになってるなんてな……」
クレールはきゅっと拳をきつく握りしめて歯を食いしばっていた。ハルトも咄嗟に言葉が出てこなかった。しかし、このことに動じていないのかシルヴァンとシャルロッテは少し表情を曇らせるだけで、カミーユの話を聞き終えても静かに黙ったままであった。
ハルトは再び自身の無力感に苛み、心のどこかでニコラスを非難していたのを心の底から恥じていた。
「すぐに団長たちを迎えに行こう」
ハルトは気がつけばそう口にしていた。クレールも迷っているのか、視線が泳いでいるがハルトの発言を否定も肯定もしなかった。カミーユとルミアは最初からそのつもりだったのか、馬をすでに帝都の外へと向けさせていた。しかし、その曖昧な沈黙をシルヴァンが破った。
「ダメだ。ハルト、お前たちを行かせるわけにはいかない。もちろん、ルミアとカミーユはもってのほかだ。二人とも、もう十分仕事をしてくれた。ゆっくり身体を休めてくれ」
シルヴァンは無理やり感情を押し殺したような声でハルトたちを制止させた。
「だ、だけど団長!」
「ルミア君」
抗議しようとするルミアをシャルロッテが冷静な声で諫める。シャルロッテのルミアを見る目には確かな優しさが込められており、その後そっとシャルロッテは意見を求めるようにその視線をシルヴァンに向けた。
「ニコラスがついてる……ニコラスが俺がどうにかすると言っていたんだ。俺はその言葉を信じる。それに、ブラウの奴もこんなとこでくたばる男じゃない。自分のために仲間が危険を冒してでも助太刀に来るのを良しと考える男でもない。それは、『ルミエール』の皆も知ってるはずだろう」
シルヴァンのその言葉はまるで自分に言い聞かせているような響きがあった。シルヴァンはそっと夜空を見上げて、深く息を吐いた。それに対して応える者はいなかったが、迷っていた雰囲気は完全に消え去り静かになったこの空気が代弁していた。皆は沈痛な表情で俯いているが、ハルトはそれに堪えられなかった。
「……俺は門のところで待つ。もし変な奴が団長たちやニコラスに付きまとってたら、ぶっ飛ばしてやる」
ハルトは胸につっかえている物を吐き出すように声を捻りだした。深呼吸を繰り返して、ハルトはブラウたちの姿を頭の中で思い浮かべて、それからようやく門へと向かおうとした。
そのとき、肩を掴まれハルトは振り返った。
「俺も行く……それぐらいなら許してやろう」
シルヴァンはどこか傷でも負ったかのように、辛そうな表情を浮かべていた。ハルトはその表情に、今一番ブラウたち、もといニコラスの下へ駆けつけるのを我慢しているのはシルヴァンであると気がついた。ハルトたちの後にクレールたちもついてきた。唯一ジルだけが、ばつの悪そうな顔を浮かべて「僕はルイを見てるよ」と言って『シャイン』の建物の前に残った。
橋が上がることは基本的に不意の魔物が現れて、その魔物を帝都に入れないようにするためといった、非常時にしかないのだが、念のためハルトたちは門番たちに橋を上げるのは連れが来るまで待って欲しいと頼んだ。眠そうにしている門番はそれを軽々と了承してくれ、ハルトたちは橋の上でブラウたちが来るのを待った。時間が経ち、街もすっかり眠っている気配になってきたが、ハルトたちは誰も眠らずに一心に平原の向こうを眺めていた。途中、ブラウたちではなく馬が二頭やって来て、ハルトたちはその馬たちの帰還を喜んだ。片方の馬には目隠しに布切れのせいで顔の分からない女性が乗せられていた。しきりに撫でられ迎え入れられた馬たちを、クレールがひとまず馬小屋に連れていき休ませることとなった。その後クレールが帰ってきてもブラウたちは帰ってこなかった。
夜空が白み始め、青白い空に星が控えめに光るようになった頃だった。平原の向こう側からようやく、ブラウとアベルの二人の姿が現れた。ブラウたちもハルトたちの姿を認識すると、アベルは余裕そうな表情で手を振り、ブラウは苦しそうな顔を少しだけ綻ばせた。そこでクレールとハルトはどちらからともなく二人に駆け寄った。
「団長! アベル!」
「よく戻ってきてくれた、二人とも」
「おう、二人ともよく堪えたな」
ブラウはハルトたちの苦悩を見抜いたように、ハルトの頭をぽんと叩き、クレールとは拳を突き合わせた。
「あとはニコラスだけだ……」
アベルは神妙な面持ちで後ろを振り返った。その視線の先は、先ほどまでハルトたちが見ていたのとほとんど同じ景色であったが、ここからだと森が小さく見えていた。ブラウたちと合流して興奮した頭が、夜明けの風に撫でられ冷めていくと、ブラウたちから血の匂いが染みついているのに気がついた。そして、その匂いの大本が森の方から漂っているのを察し、ハルトはその森から目が離せなかった。すると、しばらくして、その森からニコラスが姿を現した。ニコラスは目が良いのか、それとも何か気配を感じたのか、すぐにハルトたちに気がついて、にわかに手を振り始めた。ニコラスのその姿にハルトは言葉を失った。
ニコラスがもう片方の手で押さえている腹部の辺りから流れるように赤い染みが広がっており、また頭からも流れている血は顔を伝い肩に染みを作っていた。それでも辛そうな表情をおくびにも出さず、別れたきりの、記憶に新しい面白そうにこちらを見るような笑みに、ハルトは胸が詰まり、ニコラスと同じように手を振り返すことが出来なかった。
ニコラスとも合流でき、追っ手もいないことを確認して、ハルトたちは早速ニコラスを医者に見せようとした。
「帝都の医者はいつ診てくれるか分かんねえってクレールが言ってたじゃねえか」
「こんな死にかけの人放っておくような医者なら潰れちまえば良いんだよ。団長のときはまだ余裕あると思ってたが、今回は街医者に行くのが無理だしな」
クレールらしからぬ暴言も流してニコラスはそれを断った。ハルトたちは猛然と抗議したが、ニコラスが静かに放った言葉に、ハルトたちも黙るしかなかった。
「俺はもう、間に合わねえ…………ここで死ぬのが、俺の運命ってやつだ。だから最期に、シルヴァン……どこかで、呑まねえか? 久し振りによ」
シルヴァンは、そのニコラスの言葉に眉一つ動かさず、仏頂面を貫いた。しかし、隠しても隠し切れない滲み出る悲壮感に、ニコラス自身の不思議な響きを持つ言葉とも相まって、ハルトたちは二人の間に口を挟めなかった。シルヴァンは一度だけシャルロッテの方に視線を向けるが、シャルロッテは真剣な顔で「大丈夫だよ」と言った。それがどういう意味だったのかはハルトには分からなかったが、シルヴァンにだけは通じたようで、何かを了承した様子のシルヴァンはニコラスを帝都の街へと消えていった。姿が見えなくなっても、遠くでニコラスの陽気な声と、それとは対照的な声で応えるシルヴァンとの会話が夜明けの町に響いた。ハルトたちはルミアとカミーユ、シャルロッテと『シャイン』の建物の前で別れ、『ルミエール』の借家へと向かった。
あれから誰も口を利かないまま静かに『ルミエール』の借家に到着すると、誰彼ともなく自分の部屋に戻っていった。ハルトは部屋を周り、ルイを静かに見守っているジルと会って、無事にブラウたちが戻ってきたことを伝えると、ジルは静かにお礼を言い、そのまま糸が切れたように突っ伏して眠った。ハルトはジルをそのままにさせ自分の部屋に戻り、とにかく身体と心を休めたかった。しかし、自分の部屋のベッドに女性のシルエットが見えて、アベルが命からがら連れてきた例の女性であると気がついた。ベッドの脇には目隠しの布と紙を覆っていた分厚い布切れとが丁寧に折り畳まれていた。ハルトはクレールに少なからず恨みがましい気持ちを抱きながら女性の顔をそっと覗いて、そして、ハルトは衝撃を受けた。
その女性は、散々探して見つからなかったセリア・ローランだった。