第12話
文字数 3,230文字
ある日、ガーネットが唐突に「『シャイン』の人たちも無事に作り終えたみたい」と話しかけてきて、いつ行こうかと迷っていたロッティは早速向かうことにした。テーブルに突っ伏して珍しく本を広げているグランが「早めに帰って来いよ」と気怠そうに声を掛けてくる一方で、ガーネットが服を整え出かける準備を済ませていた。
「貴方一人じゃ大変じゃない?」
ガーネットはそう言うが、ロッティには何となくガーネットも同行したがっているような気がして、頷いておいた。
街中を二人で並んで歩くのは久し振りのような気がした。三年半も一緒に旅をしてきて、やるべきことを終えグランの小屋で落ち着いてからも度々一緒に出掛けることはあったが、それまでとは違う新鮮な気持ちがロッティの胸の中には満ちていた。
「ガーネット……」
心地良い静寂を打ち破ってみるも、ガーネットは静かにこちらを見つめてくるだけで黙ったままだった。近づくことも躊躇われ、恐ろしかったような距離を、ようやく縮められる気がして、ロッティは半歩ガーネットの方へ近づく。
「俺は決めたよ。恐ろしい未来ってやつを乗り越えられたら、『ルミエール』に戻る」
「……そう」
ガーネットは喧騒にかき消されそうなほど小さな声で答えた。
「昔、言ってたよな? 恐ろしい未来を避けられたとしても、その先が怖い。それでも、俺ならきっと、俺たちが普通に生きていられる未来にしてくれると信じているって」
「……ええ。私は今でも信じている。それは貴方と旅をし始めてから……ううん、予知夢で貴方とこうなる未来を知った遠い昔から、ずっとそれだけを信じて生きてきたから」
そう答えるガーネットの声は、わずかに震えていた。気づけば、人の流れが少なくなり喧騒も鳴りを潜めていた。息をいくら吸い込んでも肺に入っていかないような感覚がするのに、心臓がどくどくとうるさく、頭の中は他のことに意識が向かないぐらい、ガーネットに対する意識だけが濃く鮮明になっていった。ロッティは、勇気を振り絞って、ざわつく胸を抑え込み、震えているであろうガーネットの手に伸ばし、指を掴んだ。
「約束する。俺はきっとそんな未来にしてみせる。そんな未来があると信じて、俺は『ルミエール』の皆と一緒に生きる……その未来には、ガーネットも生きるべきだ。だから……死なせない。死なないでくれ」
ガーネットは返事をしなかったが、深く感じ入る息遣いが苦しそうで、ざわつく胸がさらに騒いだ。ガーネットは返事を寄越さない代わりに、ガーネットの指を掴むロッティの手にもう片方の手をそっと重ねて、そのままロッティの手を避けた。ふわっと浮いたロッティの掌に、冷たい空気が当たった。
「……私は、貴方に近づきすぎてしまった……それでも、貴方がその未来を信じて進み、そんな貴方にそう言ってもらえるだけで、私には十分だから」
ガーネットの声は相変わらず震えていた。しかし、絞り出されるように出てきたその言葉は、これまでのどんな説明や台詞と違って、ずっと昔から決まっていたかのように揺らぎなく、そして聞く者の胸が痛くなるほどの悲壮な決意が秘められていた。その思わぬ固い決意に、ロッティの昂っていた鼓動は落ち着いていくが、頭に上った血は空回りし続け、決意の言葉をしまう場所を見失っていた。
『シャイン』の借家が見えてきた。それでもガーネットは近づいた距離を離そうとはしなかった。ロッティが近づいた距離を拒まず、今だけはと言わんばかりにひっそりと寄り添って歩いていた。ロッティは込み上げてくる感情を押し込め、涙が溢れそうになるのを堪え、キャンバスを塗り替えるように頭と心を切り替えようとして、『シャイン』の人たちから毛布を貰うということに意識を集中させた。
☆
久し振りに訪れた図書館は、さらなる蔵書が追加されたのか、本の配置場所が記憶の中と異なっており、案の定クレールがぶつぶつと文句を言っていた。ハルトはいつまでも図書館の案内を睨んでいるクレールを置いて、自分の気になる本を求めて奥に進んでいった。
ハルトが気になったのは、どうして恐ろしい未来とやらがやって来るのか、ということだった。これまでも幻獣族は度々現れるも、その度にこの世界の人間は何とかして退治してきた歴史がある。ブラウの両親も、先の掃討戦争に参加して命を落としてはいたが、それでも退治に成功していたという。それが何故、今回はそう上手くはならないのか、ハルトにはそれが疑問だった。その疑問をシリウスにいるルイに手紙で相談したところ、フルール曰く、未踏の大陸から漂着したミスティカ族の影響だと考えられるらしい。ブルーメルもそのうちの一人であったが、ブルーメルのように人類に与するようなミスティカ族はほんの一握りで、多くが幻獣族たちの方に着いた、とブルーメルの最期のフルール宛ての手紙に書かれていたらしい。その影響を踏まえ、ルイの導いた結論が、幻獣族の集合ということであった。ブラウの両親たちの退治した幻獣族は一種類のみであるらしいが、アルディナの手記の書きぶりでは他にも何人かの幻獣族が転生して現代まで生きながらえているようだった。そこでルイは、ただでさえ一人に対して掃討戦争を仕掛けるほど強大な幻獣族が、ミスティカ族の予知夢の能力によって全員集合したのではないか、という推理だった。その話にハルトも頷けるところがあった。
イグナーツという幻獣族、彼がブラウの手によって死か転生をした直後に、リベルハイトの一員であるカインとすれ違っていたことを思い出していた。カインたちも傭兵であるとはいえ魔物退治を引き受けていた『ルミエール』がいたのにわざわざ傭兵集団『シュヴァルツ』にも同じ依頼をフラネージュが出すとは思えなかった。あれが実は、イグナーツを仲間に引き込もうとするための行動だったと考えると清々しいほど腑に落ちた。ハルトはルイに感謝と尊敬の念を抱きながら、過去の掃討戦争の記録について調べることで幻獣族への理解を深めようとした。
しかし、いくら調べてみてもその詳細な記録は残っておらず、幻獣族の特徴なども述べられているものはなかった。不慣れな図書館に訪れて得られたのは、図書館では幻獣族について調べることは出来ないという結論だけであり、ハルトは落ち込んだ。
「くそっ、本当に使えねえぜ」
クレールの方も調べごとが上手く捗らなかったようで、ハルト以上に怒りを露わにしていた。
何も得られずに帰る道は堪えるものがあり、ハルトとクレールがとぼとぼと重い足取りで『ルミエール』の建物まで戻ってくると、ガタイの良い男性が一人扉の前に立っていた。ぶつぶつと独り言のように何か呟きながら、険しい顔で扉と自分の手を何度も見比べていた。
「なんだ、何か用か」
落ち込むハルトに対して未だに怒りが収まりきらないらしく、クレールの話し方は刺々しかったが、男性は気にしない素振りで、ハルトたちに気がつくと「お」と得意顔になって指を鳴らした。ハルトはその顔に見覚えがあったが、向こうにそんな気配はなかったので、ハルトはその引っかかりを気のせいだと片付けた。
「なあ、あんたたちって『ルミエール』の人たちか?」