第7話
文字数 3,402文字
翌日、荷物をまとめて十分な食料と武器を手にして、早速例の厄介な魔物の調査に出ることにした。魔物は街の近辺に出ているという噂であるが、アランのこれまでの調査によると川を挟んだ向こうにある洞窟を根城にしている可能性があるというので、アランを連れて『ルミエール』はその洞窟に向かうことにした。
川を越えて、魔物がいつ出ても良いようにと警戒を固めるが、妙なことに、ほとんど魔物の気配がなかった。そのことを不思議には思ったものの、ハルトは「魔物が出ない分には良いな」と楽観的に捉え、アベルと一緒にご機嫌に鼻歌を歌った。
魔物に出会わないまま歩いているうちに、洞窟が見え始めてきた。皆が警戒心を高めながらも慎重に洞窟へ入っていく中、警戒心が強いのか臆病なのか、なかなか中へと入ろうとしないルイの背中を蹴飛ばしながらハルトも進んだ。しかし、洞窟に入った直後、異変を感じ取り、皆が立ち止まった。鼻を嫌に刺激する悪臭に、ハルトは思わず赤く冷たい鼻をつまむ。
「これは……死臭だね」
ジルが暗闇の先を睨みながら小声で冷静にそう呟いた。ブラウとアベルが先頭に立って出て、洞窟の奥を目を凝らして見渡し、耳を側立てながらも、「警戒を怠るなよ」と進んでいく。クレールがそれに続いていき、最後にハルト、ルイ、ジルがアランを囲うようにしながら殿を務めた。
よくアランのおっさんはこんなところに一人で調査に来られたな、と話しかけたくてたまらなかったハルトだったが、洞窟内では声はよく響き、また洞窟には目よりも耳など別の器官が発達している生物が多く、中には音を頼りに敵の存在を認知する生き物もいるため、下手に魔物を帯び寄せないように堪えていた。ルイも同じ感想を抱いたのか、大袈裟に口元を押さえていた。
洞窟の天井はやけに高く、そこから垂れ下がる氷柱がシャンデリアのように天井を煌びやかに飾っていたが、その鋭さは降ってきたらただでは済まなそうだった。それでも、雪景色の代わりに鋭い氷柱が仄かに青白い光を乱反射しながらそこかしこから生え揃っている光景はどこか幻想的でもあり、魔物の調査ということも忘れて観光しに来たと錯覚しそうなほど美しかった。そんな景色に息を呑んで心を奪われかけたところで、ようやく入り口では暗かったのに、いつの間にか天井も見えるほどはっきりと見えるようになっていることに気がついた。ハルトは疑問に思い、きょろきょろと辺りを見渡すと、道の傍らにその謎の答えはあった。
氷光花が、まるで洞窟を探検する冒険家を導くように道に沿って何輪も展開されていた。氷光花は元々雪原に咲く花で、雪原の中でも目立つほど光り輝く花のことであった。その特徴から、砂漠に群生するサボテンのように、冒険家の目印として親しまれていた花であった。そんな花がどうしてこんなところに咲いているのだろうとハルトが疑問に感じていると、向かいから走ってくる足音が聞こえ、ハルト含め皆が警戒を強めた。
やがて向かいからやって来たのは、武装もあまりしていない、いったいどうやってこの洞窟にやって来たかと思うほどの軽装の男性たちであった。
「おーい、あんたたちに訊きたいことがあるんだが」
ブラウがお気楽な声音でそう呼び止めようとするが、ちらりと一瞬視線を寄越しただけで、男性たちはブラウには目もくれず、一目散に『ルミエール』の皆を素通りして洞窟の出口に向かって走って行った。
「何か怯えているようだったな。でも……」
とっくに松明の灯を消していたクレールがその場でしゃがみ、氷光花に優しく触れた。
「この花が洞窟にもたらされたことで一度洞窟内の生態系は崩れているはずだ。死臭の原因は分からないが……それでもこの洞窟にいるというなら……」
クレールはぶつぶつと氷光花を睨みながら呟いていた。その険しい顔つきに、クレールの頭の中では脳みそが高速回転していることが容易に窺えた。
「洞穴魔物に怯える心配は少なくともなさそうだな。遠慮なく声出してけ、とまでは言わないが、何かあったらすぐ声に出して言うんだ皆」
クレールがいつまでも考察を進めていると、ブラウが仕切り直すようにそう宣言して、再び進み始めた。クレールも恥ずかしそうに頭を掻きながら立ち上がった。ハルトは、すれ違った人たちが向かった出口の方を何となく振り返った。ハルトたちの背後にはその人たちの姿はもうなく、耳に意識を集中させてみても足音も聞こえてこなかった。
それなりに進んでみても、魔物の気配も生き物がいるような息遣いも何も聞こえてこなかった。天井の氷柱が垂らす水音だけが不気味に響き、その度に肌寒さが身に染みてくるようであった。ハルトは氷光花の先の道なき場所を眺めていた。氷光花によって洞窟内が明るくなってからは、開けた場所が続き、高低差が激しく足を踏み外せば怪我をしそうではあるが、それでも危険な洞窟を巡っているということを忘れそうなほど綺麗な場所であった。
幻想的な光景につい目を奪われがちだったハルトだったが、ふいに甲高い悲鳴が耳に飛び込んできて、ハルトは思わず足を止めてしまった。
「……? どうした、ハルト」
ハルトの異変に気がついたルイが立ち止まってハルトに尋ねてきた。ジルも先を歩くクレールたちの様子を確かめながらハルトの様子を静かに窺っていた。
「いま、何か聞こえなかったか?」
「いや? ジルは聞こえたか?」
ルイが怪訝そうにジルの方に振り返るも、ジルも黙って首を横に振った。
「おい、怖がってねえでさっさと行くぞ。置いてかれちまうって」
「こ、怖がってねえって。それより聞こえてないそっちがおかしいだろって」
ひそひそ話でルイと揉めながらも、ルイもジルも本当に聞いていないようだったので観念したハルトは渋々足を動かした。氷柱から滴る水滴の影響か、気を付けないと滑ってしまいそうだったので、ハルトも二人が聞いていないという悲鳴についてはそれ以上考えないようにした。
開けた空間だったので、辺りを見渡しながらゆっくりと進んでいた『ルミエール』だったが、噂の魔物らしき影は見えず、そのまま氷光花の光の届かないトンネルのようなところに差し掛かった。
「なあアラン。本当にこの洞窟にいるのか」
「少なくとも、この雪原一帯には根城に出来そうなところはないし、そもそも目撃証言もあるんだぜえ」
ブラウの質問にアランはやれやれといった感じで腕を広げて答えた。
「もしかしたら、さっきの人たちもその魔物の目撃証言を聞いて来た人たちかもしれないな」
クレールはずっと考え続けていたのか、そんな推理を導き出していた。そして、その推理と先ほどの人たちの様子とを結びつけて見えてくるものが何なのかを、ハルトを含めてその場の全員がすぐに理解し、改めて気を引き締め直した。ブラウたちは黙々と松明の準備を始めた。
先程すれ違った人たちは、その魔物か、あるいはそれ相応に恐ろしい魔物に出会ったのかもしれない。そんな予想が、不穏な空気となってハルトたちを取り巻いていた。
トンネルはあっという間に終わり、再び先ほどのような開けた場所に出たが、その空間に入った瞬間に、不愉快な臭いがより強く鼻を突いた。
「死臭が濃くなってるな……」
口元を抑えながらブラウがそう呟いて、皆にもう一度、いつでも戦闘が出来るようにしておけと注意喚起した。ハルトは、その死臭と先程聞いた悲鳴とが嫌な方向で結びついてしまったが、先ほど悲鳴を聞いたときに感じたイメージが覆り魔物の恐ろしさに置き換わったことで、むしろハルトの中で正義感が燃え始め、集中力が増していった。