第17話
文字数 3,463文字
「お前らがしつこいのがいけねーんだろうがっ」
ニコラスと先ほどの男の会話が木霊しながら、鳴り響く轟音がかき消していく。ブラウたちは、振り返ってニコラスに加勢したい気持ちを必死に抑えながらひたすら帝都を目指した。
「君だって分かっているはずだ。こうしなければ僕たちの未来はないってことを」
「へっ、くだらねえな。そのためにまた大勢の人を殺すってか? そんなんじゃまた歴史を繰り返すだけだ。お前らのやっていることは、俺たちとこの大陸の人間との関係を悪化させているだけだって、まだ分からねえのか」
「ははっ……君は馬鹿だね。僕たちにはもう要らないんだよ、この世界の人間なんて。尽くしても、寄り添おうとしても殺してくるような、野蛮で愚かで何の取柄もない人間たちなんて、いない方がマシさ」
「なら何故お前はヨハン・ジルベールを名乗っていやがる。未練を捨てきれねえで、甘ったれたこと言ってんじゃねえよ!」
二人の会話が次第に近づいてきているのが分かり、ブラウたちは足を速めた。背後で交錯する鳴り止まない轟音が、森の澄んだ空気を汚していた。美しい森に不似合いな血生臭い匂いが濃くなっていき、何かが焼けたような煙が漂ってきても、ブラウたちは振り返らずに前へ進んだ。
「失ったことのない君には一生分からないさ、僕たちの能力を以てしてもね!」
「分からねえよ! こんなことしたって、お前が本当に望むものなんて何一つ手に入らないってのに、こんなことをし続けるお前のことなんて、何も分かんねえよ!」
「随分な言い草だね。君にだって未来が分かっていないはずなのに、どうしてそう言える? かつての僕たちの仲間たちはずっと虐げられてきた、何百年も、何千年も。その歴史が、僕たちにはこの大陸の人間なんて要らないんだってことを証明しているじゃないか」
「そのすべての責任をこの大陸の人間に押し付けてるのはお前たち……俺たちじゃねえか。それに気づかないでまたこんなことをしたって、より溝が深くなるだけだ。一度でもこの世界の人間と心を交わしたことのあるお前なら、そんなこと簡単に分かるだろ!」
「だからこそ僕には分かるんだよ! 寄り添おうとしたところで、信じたところで、すべて無意味だってことが! 僕たちの生きられる世界なんて、どこにも存在しないんだってことがね!」
二人の会話は激しさを増し、それに比例するように轟音も大きくなってきた。ブラウは懸命に足を走らせるも、今頃になって意識が遠のくような感覚に襲われて足がもつれそうになる。ブラウは必死に気をしっかり持って、足に力を込めて倒れないようにして、懸命に森の出口を目指した。
ふいに肩に手が触れた。アベルが余裕そうにブラウに並走しながら、得意げな顔で笑みを浮かべていた。
「絶対生き残るぞ。んでもって、その本の真相とやらを突き止めてやろうぜ」
アベルの言葉には覚悟が込められていた。その覚悟は、単に言葉通り本を読むこと以上の、何かを求めようという気概が秘められていた。ブラウは、きっとアベルも自分と同じ気持ちを抱いているのだと信じて、力強く頷いた。
森の道は長かった。しかしその間にアベルが言っていたとびっきり大きな魔物が襲ってくることも、ヨハンと呼ばれていた男がブラウたちの前に姿を現すこともなかった。ブラウたちは心の中でニコラスに感謝してもしきれない想いを抱えながら、やがて湖に出て、森の出口が見えてきた。すっかり煙たい匂いと血生臭い匂いが充満した森の空気がその出口から吐き出されているのを肌で感じた。
森を抜けると、帝都の壁と、帝都を象徴する城が見えた。どれだけ長いこと森の中を彷徨っていたのか、いつの間にか空は白み始め、星々が群青色の空に控えめに浮かび上がっていた。後方からは先ほどまで散々聞こえていた轟音も会話ももう聞こえてこなかった。ブラウたちは虚しさと罪悪感とを覚えながら、帝都の門へと向かった。
☆
『シャイン』の借家に赴いたはいいものの、当の来いと言ったニコラスがおらず呆然としていたハルトとクレールは、シルヴァンがお詫びに代わりに自分がついて行くと申し出たことで、シルヴァンとシャルロッテと一緒に引き続き帝都で情報収集を行なっていた。シルヴァンにニコラスのことについて尋ねても、朝早く出て行ったの一点張りでそれ以上は何も言わなかった。シルヴァンとシャルロッテが並んで歩いているのを見て、ハルトはシルヴァンがブラウとのすれ違いざまに放った言葉を思い出し、それでなくてもニコラスがいないことのショックもあって、どんな感情を抱けば良いのかすら分からず気まずかったが、当のシルヴァンはシャルロッテとはまるで親子であるかのように仲睦まじそうにしていた。
「あ、団長。この間美味しそうな肉料理の店が新しく開店するの発見したんだー。今度皆で行ってみようよ」
「ほう、それはいいが……シャルロッテ、いつそんな店を見つけたんだ? ええ? 言ってみろ」
「まあまあ細かいことは気にしないでー!」
「何が細かいことだ。いい加減その放浪癖何とかしないと、斬るぞ?」
「ええーっ! わ、分かったって、もうしないってばー……多分」
シルヴァンたちには協力という体で一緒に来てもらっているが、そんな風に仲良く街を練り歩いているような光景を見せつけられて、まるで二人の用に自分たちが付き合っているような感覚にハルトはなっていた。クレールも怪訝な目つきで二人の様子を後ろから睨みつけていた。
ハルトたちは、ニコラスがいないという不測の事態はあったものの、昨日に引き続きセリアが関わっていると思われる誘拐事件について探ってみることにした。クレールがいち早く気を取り直して先導してくれたが、ハルトは未だに身が入っておらず、ぼんやりとした頭でクレールたちについて行った。今回は騎士団の人間だけでなくもう一度貴族街の人間訊いたり、帝都の下町や門番近くの人にも訊いてみたりした。
「え、誘拐事件ですか!? 大変じゃないですか……恥ずかしながら私はその話を存じ上げておりませんでしたが、これから下町の人たちに会いに行くので皆さんにも聞いてみます」
下町にいるにしてはやけに服装が整った、まるでお姫様のような恰好をした女の子にも訊いてみたが、とても嘘など付けなさそうな純粋そうな透き通る声でそう話してくれた。この場には不自然な装いの女の子であったが、その様子からクレールたちも誘拐事件には関わっていないだろうと判断して、『ルミエール』と『シャイン』の建物の場所を記した紙をその女の子に渡して下町を後にした。その後帝都の出入り口で警備している門番たちにも話を聞いてみるが、誘拐事件に関わっていそうな不審人物が出入りしたのは見ていないという。
クレールがそこで再び難しそうな顔をして「だったら帝都内での出来事なのか……?」と頭を悩ませている様子であった。それを見てシャルロッテが「じゃあじゃあ休憩しようよー」と声を高くして提案してきた。クレールはシャルロッテの言動にあまり反応しないようにしており、素っ気なく「そうするか」とだけ答えた。
その後も調査を続けてみるが、一向に目ぼしい情報は得られず、ニコラスにも出会わないままその日を終えようとしていた。日も暮れてきて、徐々に群青色に染まっていく空に星がキラキラと輝いていた。
沈んだ気持ちのまま、その日はもうお開きというムードになり『シャイン』の建物にシルヴァンたちを見送ろうとしているとき、馬に乗ったルミアとカミーユが、ぐったりしたルイと顔を俯かせたジルとを連れてやって来た。
「ルイ! ジル!」
ハルトはたまらず二人に駆け寄った。よく見ると、ルイのズボンは赤黒い色の染まっており、気絶しているようだった。ハルトは、ルイと一緒に馬に乗っていたルミアと一緒にルイを降ろし、そのまま肩に担いだ。目を閉じて気を失っている顔は、何故だか穏やかだった。
「馬鹿野郎……ロッティには、お前だって必要なんだぞ……馬鹿野郎が……」
その声はルイには届いていなかったが、聞こえていたとしても今見せているのと同じ、満足したように穏やかな笑みを悪びれもせずに浮かべ続けるだろうとハルトは感じながら、ルイの膝をそっと看た。自分の代わりにこの傷を負ってくれたのだと思うと、ハルトは罪悪感を抱きつつもルイのことを改めて自慢の友人だと確信し、必ず恩返しをすると心に決めた。