第24話
文字数 3,543文字
「顔色も戻ってそれはよろしいのですが、寝過ぎです。夜眠れなくなると身体に悪いですので今後は気を付けてください」
フルールは少し拗ねたように、買い物袋を手に持ったまま台所へと向かった。その背中を見送りながら、ロッティはフルールに叱られるのは初めてのことだと気がつき、阿呆のようにその背中姿をじっと見つめてしまっていた。
ガーネットもフルールに倣って台所へ向かい、何か手伝うことはないかと訊くと、フルールは思い出したように買い物袋に手を突っ込み、折りたたまれたチラシのようなものを手に取った。それを渡されたガーネットはゆっくりとそれを広げた。角度の問題でロッティには何が書かれているか分からなかったが、ガーネットはいやに冷え切った黒い瞳でそれを見つめていた。
「何が書かれているんだ、そのチラシには」
買い物などあまりしてこなかったロッティだったが、冷え切ったガーネットの表情が気になり尋ねてみた。ガーネットは返事をする代わりにチラシをロッティの前に広げてみせた。やけに達筆な字で書かれたそのチラシを、ロッティは読むのに苦労したが、やっとのことで解読でき、頭の中で読み上げていると、同時にガーネットの言葉が重なった。
「『後日皇族委員会から今後のシリウスの生活に関する重大な告知あり。準備が出来次第再び情報を発信する故しばらくお待ちください』……このチラシには、そう書かれているね」
ガーネットが淡々と読み上げる声を聞いて、何の根拠もなかったが、何故か、このチラシを作り、告知をする人間はブルーメルであるとロッティは直感していた。チラシを手に取り、睨みつけるようにじっとその文字一つ一つを確認している中、フルールが夕ご飯の準備を進める音だけが居間を満たした。
シリウスに戻ってきてからというもの、ロッティは無気力にだらだらと仮住まいの家で過ごしていた。相変わらず忙しそうに家を出入りするガーネットや、身の回りを積極的に手伝おうとしてくれるフルールから半分心配そうに半分白い目で見られていることに気がついてはいたが、ロッティはそのことについて弁明する気にもなれず、居間の棚に置かれているガーネットが買ったと思しき本を読んで過ごしていた。
そんなロッティにとうとう見かねたのか、ガーネットはロッティを部屋の外へと引っ張り出そうとした。微力ながらもしぶとく抵抗するロッティに対してガーネットが「外の空気を吸わなかったり日の光を浴びないのは身体に悪い」と心配したことが決め手で、ロッティも重い腰を上げてガーネットについていくことにした。家を掃除していたフルールが「いってらっしゃい」と嬉しそうに見送ってくれた。
数日振りに眺める街の様子は、やはりどこも変わりがなかった。ロッティがいなくても街の人たちはいつも通りの毎日を送るものなのだと、ロッティは虚しさを覚えながらもどこか感心していた。
こうしてガーネットと一緒にシリウスを歩くのは初めてだった。そう意識すると、途端にロッティは妙な緊張感に襲われた。しかしガーネットの方はロッティの心境など知らずに、ガーネットにしては珍しく穏やかな顔で街の様子を眺めていた。
お互いに黙ったまま歩いているうちに、港が見える橋に通りかかった。橋の下を流れる川のせせらぎが涼しげで、ロッティの心も洗われて穏やかになっていくようであった。ガーネットが眩しそうに橋の塀に手を掛け水平線を眺め始めたので、ロッティもそれに倣った。港ではあまり人の流れはなく、ワタリドリがその上で優雅に飛び交っているだけであった。一枚の風景画のような美しさがそこにはあった。
「今だけは……今の私たちは、とても自由ね」
ガーネットのそれが独り言なのか、それとも語り掛けてきているのかが判別つかなかったので、静かに続きを待つことにした。突如港の方から強い海風が吹いてきて、ガーネットの長い髪が遊ばれ、ガーネットは手でそれを押さえる。
「……この景色の美しさも、街を眺めながら歩くのも、気持ちが良い」
「そうだな」
そのガーネットの言葉にはロッティも共感できた。こうして街を歩いて、この美しい風景を眺めていると、自分の小ささが顕著になるような気がして、それがそのままこの世界の大きさを示しているような気がした。その大きさがどこか恐ろしくもあり、同時に頼もしいもののようにも思えた。
しばらく橋の上で眺めた後に、二人はどちらからともなく歩き始めた。先ほどまでの時間が嘘であったかのように、人の流れが多くなり、一気に現実に引き戻されたような気分になった。
そうした人の流れの中で、各々が好き勝手に話す声で喧騒が出来上がる。ロッティは何となくそれらに耳を傾けていると、こんな会話が聞こえてきた。
「最近フルールちゃん見かけなくて寂しいわねえ」
「一体どこに行ったのかしらねえ」
ロッティはつい先日にも似たような会話を違う街で聞いていたが、その内容がロッティに与える衝撃の種類は違っていた。先日聞いたときには胸が塞がるような苦しさでいっぱいになったが、今はフルールのことを想い、寂しさが募ってきた。機械人形を壊して回ったが、フルールはこれからどうなるのだろうか。街の人とブルーメルを世話していたフルールは、今何もするなと指示されているこの期間において何を思っているのだろうか。フルールの気持ちやこの先のことについて考えを巡らせると、どうしても嫌な予感ばかりが浮かび上がってしまい、それを振り払うようにかぶりを振る。ガーネットはどうしているかと横目でちらりと盗み見ると、いつもの何とも心の読めない無表情を貫いていた。
「あらー? ロッティ君じゃないかー! 久し振り~」
自分の名を呼ぶ声に振り向くと、ラフな格好をしてロッティに向かってくるシャルロッテと、それを後方から追いかける生真面目そうな服を着た青年がいた。ロッティは自分でも意外なほど穏やかにシャルロッテの存在を受け止められた。
「シャルロッテ様ー! 急にあっちへふらふらこっちへふらふらしないでくださいってば!」
「お連れの人が大変そうですけど、良いんですかシャルロッテさん」
「良いの良いの、ルミア君は放っておいても勝手に私のところに来てくれるから」
それのどこが良いことなのか本気で分からなかったロッティだったが、シャルロッテの元に駆け付けたルミアと呼ばれた青年は、迷惑そうにシャルロッテに詰め寄りながらも、どこか諦めきったような呆れの感情が滲み出ていた。ここ数日会っただけでもシャルロッテの陽気さを分かっているつもりだったロッティは、他人事ながらルミアという人も大変そうだなと同情を禁じえなかった。
「まあまあルミア君。それよりロッティ君、そちらのお連れさんは?」
シャルロッテが顎でくいっと示した先にいるのはもちろん、ロッティと一緒にしていたガーネットであった。ガーネットはどこからどう見ても興味なさそうにシャルロッテたちを見つめていたが、ロッティはその視線にどこか敵意のようなものが見え隠れしているような気がした。
「ああ、この人は……ガーネットって言います。一緒に旅をしています」
ガーネットが何を考えているのか相変わらず読めなかったので、ロッティは無難な紹介に留めた。シャルロッテは途端にニヤニヤと、ロッティが苦手とする嫌な笑みを浮かべた。
「いやあ、一緒に旅をしている人がいるのは聞いていたけど、まさかこんなに可愛い女の子だなんてねえ。二人は恋人同士?」
「いやいや、違いますよ」
「またまたあ」
即座に否定するロッティにシャルロッテは肘で小突く。面倒くさいとロッティが内心感じていると、ルミアという青年が「失礼ですから! ほら行きますよ!」とシャルロッテをロッティから強引に引き剥がし、そのままどこかへ引っ張っていった。「またね~」とニヤニヤしながら手を振るシャルロッテが引きずられていくのを何となく見守ってからガーネットに振り返ると、ガーネットは微妙に険しい顔をしてシャルロッテたちの方を見つめていた。
「……シャルロッテさんが、どうかしたのか?」
「……いえ、なんでもない」
消え入りそうなその声に本当に他意はないのか疑問だったが、ガーネットは切り替えが早く、少しもしないうちに「行きましょうか」と言うのでロッティも詮索しないことにした。