第20話
文字数 2,483文字
静かな一時を過ごしながら、ロッティとガーネットがトムを見守っていると、やがてトムの街に到着したらしく、馬車が止まった。前方から街に到着したという馭者の声が聞こえてきて、トムはロッティたちを振り返る。真剣な表情で、何かを伝えたそうなトムを、ロッティたちは静かに見守った。
「あ、あのさ……本当に、ありがとう……ございます」
トムは涙ぐんだ声でお礼を言って、ぎこちなく頭を下げた。深々と下げられた頭の髪に白いものが混じっていることにロッティは今更ながら気がついた。
「本当に、俺、夢中で……どうにかしたくて、それであんな街まで行ったけど、でも、俺一人じゃ、絶対叶えられなかった……改めて、本当に、ほんっとうに、……」
そこから先は言葉にならず、トムは洟を啜り、しきりに目元をこすっていた。堰を切ったように涙を流すその姿は、ロッティが先日感じたトムの抱えている大きな何かが、ようやくその小さすぎる肩から降りてトムを解放したことを物語っていた。そのトムの様子は、トムにとってその妹が如何に大きな存在であるのかを如実に示しており、その想いの大きさに、ロッティは羨ましさを覚えながらも、素直に暖かいものが胸の内を巡ってくるのを感じた。
ガーネットが、馬車に乗る前のときのように、そっとトムの肩に手を置いて、もう片方の手でそっと頭を撫で始めた。緩慢な動きは、トムの心を落ち着かせるように優しいものだった。
「貴方の頑張りが、この結果を導いたのよ。妹さんが救われたのは貴方のおかげ、覚えておいて」
トムはそこでもう一度ガーネットに抱き着いた。ガーネットが優しく抱き返し、開いたドアからぶわっと馴染みのない街の匂いが漂ってきて、小さな少年の冒険の終わりを思わせた。トムはしばらくの間、ガーネットから離れることはなかった。
しかし、てっきり優しい顔つきでトムを抱いているものと思っていたガーネットの顔が、そのとき複雑そうに歪んでいたのを、ロッティは忘れられそうになかった。
トムと別れてから三十分、馬車はどこにも止まることなく走り続けていた。その間ロッティとガーネットの間に会話はなかったが、いい加減堪えられなくなったロッティがガーネットの方を向く。
「なあ、ガーネット。少し、質問して良いか」
「ええ。どうぞ」
ガーネットは相変わらず興味なさそうに答え、ロッティの方も見ずに窓の外をじっと眺めているままであった。しかし、ガーネットが本当に何事にも動じない心のない人物では決してないことも、自分よりはるかに多くのことを考えていることも、今のロッティにはよく分かっていた。
「……と思ったけど、その前に……ありがとうな、ガーネット」
「……急にどうしたの?」
ガーネットが、表情は崩さないものの、焦った声音でロッティの方を振り向く。ようやく目が合った。ガーネットの赤い瞳は動揺したように揺れていた。
「あの夜助けてくれたこともそうだし……今回の騒動の間だけでも、もっと感謝しなきゃいけないことがたくさんある気がしたんだ」
「そんなこと……ない。私には、そんなことを言われる資格なんてない。貴方に言えてないことだって、まだいっぱいあるんだし……」
ガーネットはぷいっと視線を逸らして、再び窓の外を眺めてしまった。何の感情を表しているようにも見えないその横顔も、実は少しだけ寂しそうに目を細めているのだと、ロッティはようやく見分けがつくようになっていた。そして、だからこそ伝えておきたいことがロッティにはあった。
「それでも俺は感謝してる。俺をこの旅に誘ってくれてありがとう」
ガーネットの長い黒髪が、小さく揺れた。それが馬車の振動によるものかは分からなかった。
「正直、どこでも良かったんだ、最初は。どこ行こうが、俺にはどうでも良いことだって思ってた……けど、今では、ガーネットに誘ってもらえて良かったって、本当に思ってるんだ」
「…………本当に?」
ガーネットがもう一度ロッティの方を振り返る。疑っているわけでもなく、憤っているわけでもなく、純粋にロッティの本音を探ろうとしている瞳をしていた。少し潤んでいるなのか、ガーネットの瞳がいつもより輝いているように見え、ロッティは思わず視線を逸らしたい衝動に駆られる。
ガーネットが言葉ではなく目を見て真偽を確かめているような気がして、ロッティが無言のままその瞳を見つめ返していると、ふう、とガーネットは力を抜くように息を吐いた。
「そう思ってくれているなら、良いんだけどね」
ガーネットはそれでも俯いて、視線を床に落としていた。その様子に、ロッティは失礼なことだと分かっていながらも、親近感を覚えずにはいられなかった。最後にトムを抱いているときに見せたあの表情の裏には、ロッティが抱いたのと同じものが潜んでいたのだと確信して、ロッティは胸がひどく締め付けられた。触ったら壊れてしまいそうなほど儚いガーネットに、それ以上踏み込むことが出来なかった。
それでもあの日と今とでは違うことがあった。この三か月を経て、あの日よりガーネットについて知れたことは確かにあった。ロッティは、それだけで心が慰められた。
それから次の目的地についてなど、他愛もない話を交えた。無表情に見えて意外に分かりやすい反応をするということを知った今は、少しでもガーネットに近づけたのかとぼんやり考えながら、互いに視線も合わないまま会話は続いた。