第15話
文字数 3,030文字
その直後、自身の手が引っ張られたかと思うと、ふっと身体が宙に浮く感覚がした。それから、ぎゅっと何かに強く身体を引き寄せられたかと思うと、目に映る景色が勢いよく変化していった。
「絶対に死なせねえからな!」
ルイが気合を入れるようにそう叫ぶと、器用にフルールを抱えながら梯子を下っていった。滑らかに変化していく景色に、ふわふわと落ち着かない宙に浮く感覚に、フルールは自身の身体から何かが抜け出て行き軽くなるのを感じていた。目が熱くなり、何かを叫びたい衝動に駆られた。
しかし、今一度空を見上げてみると、もう誰の目にも分かるほど、そのエメラルドグリーンの鳥がすぐそこまで迫っているのが見えた。鳥は果てしなく巨大で、見惚れてしまいそうなほど美しい羽を羽ばたかせながらシリウスの上空に迫っていた。ルイもその鳥の接近に張り合うかのように、まだつけて半年ほどの義足を懸命に動かし、ちょっとした高さのとこからは飛び降りながら地下を目指そうとしていた。
地上に無事に降り立ち、ルイはなおもフルールを抱えながら地下へ通じる建物を目指して走った。街の人はもう避難は完了したらしく、かつかつと道を踏みしめる足音だけが街に寂しく響いた。しかし、辺りが突如大きな影に覆われた。不吉な予感をさせる影に、フルールが空を見上げると、巨大な鳥が空を覆っていた。そして、その鳥の脇から何か黒い塊が落とされるのが見えた。その黒い塊からは、死の匂いが発せられていた。フルールは、これまでにない胸の痛みに襲われ、直後、何故かふとブルーメルの笑顔を思い浮かべていた。
——フルール、いつもありがとうね
どうしてこんなことを思い出すのだろう。フルールは笑顔と共に胸の内に蘇ってきたブルーメルのよく言っていた言葉に動揺し、頭が働かなくなっていた。そして、以前ロッティとガーネットが再び訪れ地下を制作すると同時に今回の騒動についての話をしたときから覚悟していたはずの死が、一体どういうものなのかを唐突に悟った。きっと、このブルーメルとの日々を思い出せなくなることなのだと、フルールはそう確信して、途端に死が怖くなった。それでも、無情にも黒い塊はゆっくりと地上を目指していた。
死にたくないと叫びそうになった、そのときだった。黒い塊が突如青白い光に包まれながら宙に留まった。フルールは一度目を擦ってみるも、黒い塊はやはり宙に留まったまま動きを止めていた。そのまま重力に逆らうようにゆっくりと上昇していったかと思うと、物凄い速度で遥か上空に上った。その先に見えたのは、細長い板で、その近くに黒い塊が上がっていった。そして、その黒い塊は遥か遠くに飛んでいき、しばらくするとその方角がぴかっと光ると同時に激しい轟音が鳴り響いた。その音に、ルイも足を止めその方向を気にするように首を動かした。
何が起こったのか分からなかったが、フルールは目の前で起きた現象にどこか見覚えがあった。そのフルールのもやもやを解消するかのようにゆっくりと、板切れに乗ったロッティが目の前に現れた。
☆
中々ノアの姿が見えず、焦りを覚え始めたロッティは、看板の形をした舟にほとんどしがみつくようになりながら、その速度をさらに上げた。ノアと対峙するときには、紐のようなものを巻き付けた方が良いと考えながら、シリウスの方角に目を凝らす。
ハルトと別れてから数十分が経過していた。本来ならばあの街からシリウスまででも、馬車を利用して数日はかかる距離であるため、今自分がシリウスまでどれくらいの場所を飛んでいるのかがいまいちロッティは分からなかった。どれくらい時間がかかるのか予想がつかず、いつまでも見えてこないことから、ロッティはどうしてももうシリウスがノアの爆弾によって陥落させられている想像に駆られてしまった。
しかし、そのロッティの心配も杞憂に終わった。前方からの風が急に強くなり、看板から落ちかけるのを何とか堪え、体勢を整えながら前方を見据えると、ちょこんとノアの羽ばたく姿が見えた。ロッティはノアの後ろで風の呷りを受けないように、ノアの高さよりさらに高く看板を浮かび上がらせ、飛行させた。空気がますます薄くなり、ただでさえ辛かった呼吸がさらに苦しくなるも、ロッティは上手く速度を調整しながらノアの様子を窺った。
ノアの背中には、無数の人々が乗っていた。ノアの背中に張り巡らされたロープに掴まり、互いを支え合うように寄り添っていた。ノアの背中に乗っている人たちの中にもガーネットと同じミスティカ族はいるのだろうか。リュウセイ鳥の騒動の際にロッティを勧誘してきた人はいるのだろうか。その人たちを眺めているとそんな考えが頭を過り、切なくさせられそうだったので、ロッティは闘志を萎えさせないためにもその人たちを意識しないようにした。やがてシリウスが見えてきて、ノアがもうすぐそこまで迫ろうとしていた。ロッティはシリウスに爆弾が投下される前にノアに追いつこうと、さらに速度を上げた。
上空から巨大な鳥が自然豊かな大地の上空を飛んでいく景色は、筆舌に尽くしがたいほど壮観だった。そんなノアの動きがふいに止まり、その背中に乗っている人たちがもぞもぞと動き始めているのが見えた。やがて、何かをバケツリレーのように手渡しながら、やがてその何かを手にした誰かが叫ぶと、再びノアは空を滑空していきシリウスの上空を通り過ぎた。その際に、その何かを手にした者が、そっとシリウスにそれを落としていた。ロッティは慌てて舟を急降下させ、その何かを追った。
その際に、ノアとすれ違った。ロッティからはノアの瞳は見えなかったが、何故かノアはロッティの存在に気がついたとロッティは思った。一瞬だけ、ノアの背中に乗っている人々の視線も突き刺さった。ロッティはそれらを意識しながらそのまま降下していき、やがて中央を赤く明滅させる黒い塊に追いついた。ロッティはすぐさまその塊を『制止させ』た。どこにこの爆弾を処理しようかと視線を動かしていると、ふと街中にフルールを抱えたルイを発見した。その表情までは見えなかったが、ロッティはフルールを安心させるようにその塊をフルールたちに見えるように移動させながら、遥か海の遠くまで運ばせた。そして、大陸が複雑に入り組み、海に出ている広い河口のすぐ下の方で爆弾を爆発させた。飛んでいるロッティにまで届きそうな勢いで水飛沫を上げながら、かすかに吹き込んでくる熱風にロッティは思わず瞳を閉じる。
やがて爆発の勢いも収まり、ふとノアの方向を見ると、ノアはゆるゆるとシリウスの街から少し離れたところに降り立とうとしていた。ロッティも先ほどのフルールのいた場所を思い出しながらその場所を目指して降下していった。住人たちの地下への避難が既に済んでいるのか、街中はひどく閑散とした雰囲気で、そのおかげでフルールたちの姿は目立っていた。ロッティはそのフルールたちの目の前に降り立った。