第23話
文字数 2,685文字
その人物、セリアは、それが騎士としての素顔なのか、友人に会わせるような朗らかな顔はどこにもなく、険しい顔つきで二人に尋ねてきた。ロッティは反射的に良くない物を予感して、ハルトと顔を見合わせるが、ハルトはどちらかというと悲しそうな顔をしていた。ロッティは逡巡するも、セリアなら何か情報を持っているかもしれないと考え、話を聞くことにした。
「セリア、訊きたいことってのは?」
「あ、うん……ここに、ガーネットっていう人がいないかなって。二人とも何か知ってる?」
嫌な予感は見事なまでに形を取って、ロッティの心臓を鷲摑みにした。セリアの声音からはいまいち感情が読み取れず答えに窮していると、ハルトが横から会話に入ってきた。
「そのガーネットって人が、どうかしたのか」
「うん、実は……」
セリアも迷うように言葉を詰まらせた。その様子にロッティは嫌な予感が膨れ上がる勢いが衰えるのを感じた。わずかな期待を秘めてその言葉の先を待ち、セリアも口を開こうとしたときだった。
「ロッティ!」
背後から、待ち望んでいた声が聞こえてきて、ロッティは素早くそちらを振り返った。声の主が誰だかは分かっていた。ロッティはその人物に駆け寄るが、その人物の表情は切迫していた。その表情から焦燥感が伝わってきて、ロッティの中で募り続けていた嫌な予感が急速に大きくなっていった。
「ロッティ、今すぐ準備して! 早くしないと!」
「お、落ち着けってガーネット。今までどこに」
「後で話すから、早く!」
ガーネットはじれったそうにしながら、躊躇いなくロッティの手を引っ張って小屋へと向かった。ガーネットに引きづられないようについていくロッティは、セリアとハルトに視線を向けるが、二人ともそれぞれ異なる驚き方をしていた。
小屋へ入っていくなり、ガーネットは自分の部屋へと駆けこんでいった。その部屋の中からがちゃがちゃと金属のぶつかり合う音や厳つい音が聞こえてきたことで、ロッティもすぐさま自分の部屋に転がり込み、『ルミエール』時代から愛用していた大剣を手に取った。部屋を出たところでガーネットと合流し、すぐに小屋を出た。小屋の前にはハルトとセリアが置いてけぼりにされたように呆然としていた。
「おい、ロッティ。いったい何が起きるってんだ」
「ねえロッティ。今その人のことガーネットって」
二人がそれぞれに訊いてくるのに、ロッティは答えるのもじれったく感じて何て返すべきか迷ったが、上空から降ってきた、ぞっとするほど落ち着いた声にぴしゃりと思考を止められた。
「結局……こうなるんだな」
ロッティはその声の方に振り向くと、そこには、小屋の屋根の上で堂々と腕を組んで仁王立ちする、行方を眩ませていたはずのグランの姿があった。逆光になっていてグランの表情は暗くてよく見えなかったが、その瞳は塗りつぶしたかのように暗く沈んでいた。ロッティは非難されるのを覚悟していたが、グランを纏う雰囲気は相変わらず悲哀に満ちたまま、ロッティたちを見つめ続けていた。そのグランの様子に、ガーネットの登場で感じていた嫌な予感は確かなものとなって、ロッティの心を喰らおうとうねりを上げてきた。
アリスは死んだ。自分たちは、その運命の死を阻止できなかったのだ。
「ロッティ、それにガーネット……すまねえな、余計に苦しめちまったみたいだ」
「グラン……」
ロッティは、これからするであろうグランの行為を止めたかった。しかし、佇む雰囲気とは別の、その暗く沈んだ瞳に込められた激しく燃え滾っている憎悪と怒りに、ロッティは掛ける言葉が思いつかなかった。ガーネットも、突然現れたグランに驚くハルトとセリアも、誰も声を掛けられずじっとグランのことを見つめることしか出来なかった。
「やっぱり……こんな想いをするぐらいなら、こんな結末になるぐらいなら、いっそアイツの想いを踏みにじってでも連れて行くべきだった……」
「グラン、アリスは言っていたじゃない。たとえ」
「うるせえ!」
ガーネットの慰めようとする言葉をグランは激しく遮った。頭の芯まで揺らすような怒声に、ピリピリと空気が痺れ、緊張で身じろぎ一つ出来なかった。
「アイツがこんなことを望んでいないことも、アイツがそれで本望だったことも分かってる……だけど、理屈じゃねえんだよ……結局最後まで俺のせいで苦しめちまった……ロッティ、ガーネット、上手く逃げてくれよ」
グランがロッティたちの名前を呼び始めたあたりから、小屋の上に立っていたグランの身体がふわふわと神秘的に浮き上がり始めた。次第に眩い光がグランの身体を包み込んでいき、その光はどんどん強くなり、大きくなっていった。そして、徐々にグランの身体からヒレのようなものが生え始めてきた。次第にグランの身体の表面に宝石のような鱗が現れ始め、徐々にその身体を大きくしていった。
「俺は……この世界を、アイツらを許さない」
そのグランの言葉は、まるで脳に直接伝わってきているかのような、不思議な響きを持っていた。直後、グランの身体から突風が生じ、ロッティは身体を吹き飛ばされ、建物の壁に押し付けられた。体が丈夫で人より優れた身体能力を誇るはずであるアインザーム族の自分ですらこの有様なのだからと、ロッティは周囲を見渡しガーネットたちの様子を確認するが、他の者たちも激しく壁に打ち付けられていた。そして、ガーネットたちも辺りも突如暗い影に覆われ、再び激しい風に見舞われた。ロッティは何とか堪えて、一歩踏み出し空を見上げた。
上空には、視界に収まりきらないほど巨大な青黒い鯱のような生き物が浮かび上がっていた。尾びれがぐいぐい伸びていったかと思うと、それを激しく振り回し、周囲の建物を破壊し始めた。倒壊した建物の欠片が宙を舞う光景はひどく現実味の無い光景だった。そして、巨大な口元が大きく開かれ、その生き物は叫んだ。哀しみと怒りが複雑に絡み合ったその咆哮は帝都中に響き渡り、きんと甲高く、それでいて腹に響いてくる重厚感があり、聞く者すべての心をひれ伏させるような圧倒的な存在感があった。ロッティはその雄々しい叫びに、これまで虐げられ続けてきた幻獣族の激しい怒りが体現されていると感じていた。その儚くも神々しさすら纏った青黒い鯱が上空に浮かび上がる光景はどこまでも美しく、幻想的であったが、どこまでも悲しい予感しか感じさせなかった。
世界の運命の日が、いよいよ訪れた。アリスの死が、孤独を救われたある幻獣族の復讐心に火をつけ、その引き金を引いた。