第4話
文字数 3,042文字
目が覚めるとガーネットはすでに起きていて、窓の外をじっと眺めていた。窓から日が差し込んでいるのを見て、ようやくロッティは、自身はあのまま次の日の朝になるまで眠り続けていたのだと気がついた。昨晩は、二人旅の疲れが溜まっていたのか、宿で眠れる安心感からかすっかり眠ってしまっていたことにロッティは恥ずかしくなったと同時に、自分でもそのことが意外だった。もぞもぞとベッドから離れ、靴を履いて大きくのびをした。疲れは取れたようで、幾分体が軽くなった感覚がした。
ロッティが起きた物音は聞こえているはずであろうに、ガーネットは微動だにせず窓の外を眺め続けていた。声も掛け辛く、ロッティはどうしようかと悩みながら黙って部屋をうろついた。
テーブルの上には、記憶にないティーポットと紅茶の葉の入った袋が置かれていた。二つあるカップは向かい合うように並べられており、袋も開封済みで、二つあるカップのうち一つは使われた形跡があり、もう一つのカップは寂しそうに口を開けていた。
ロッティは、部屋に洗面器はあれど湯を沸かすための物がないことを確認して、ティーポットを持って部屋を出た。ロビーに通じる廊下を歩いていると、共用で使えるような大きな台所と、棚に使い古された給湯器を見つけた。両親の元で暮らしていたときには自分で用意したこともなく、『ルミエール』にいたときにも手早く用意できる飲み物しか口にしたことがなかったため、勝手の分からなかったロッティは、とりあえず給湯器を取り出し、水で満たして火を点け温めた。ふたを開け、しばらくぼうっと給湯器を見ていると、ぴゅうと高い音を鳴らして沸騰し始めたので慌てて火を止め、ティーポットに沸騰したお湯を注ぎ、部屋に戻った。
部屋に戻ってもガーネットは部屋の明かりもつけずに未だに窓の外を見ていた。何となく物思いに耽っていそうなガーネットを邪魔してはいけないような気がし、いよいよ話しかけるのも躊躇われ、ロッティは静かにティーポットをテーブルの上に置いて、カップを洗面器で洗った。紅茶の葉をティーポットに入れ、こぼれない程度によく振った。ティーポットの中を覗き込みお湯が紅色に色づいてきたことを確認して、静かに向かい合う二つのカップに、紅茶らしきものを注いだ。
両親の元で暮らしていたときに嗅いだような匂いはあまりしなかったが、この紅茶はきっとそういう種類のものだとロッティは思い、湯気の立ち昇るカップに恐る恐る口をつけた。
「まっず!」
あまりの苦さに、思わずロッティは口を離し、カップから紅茶らしきものを零しそうになる。慌ててはっとした口を手で覆ったが、すでにガーネットが少し驚いたようにロッティの方を振り向いていた。目元が少し赤いような気がした。
ガーネットは何事もなかったかのように無表情でテーブルに近づき、取り残されたカップに紅茶らしき液体が注がれているのを確認すると、ロッティが制止する間もなく、すっとそのカップを手に取って口をつけた。
一瞬、ガーネットの表情が曇った。
「ご、ごめん。なんか、上手く出来なかった」
その表情が物語る感想を想像して、ロッティは反射的に謝罪した。『ルミエール』にいた頃の生活がこういう手の物に慣れていない、いかに野性的な生活だったのかをロッティは痛感しながら、不味いものを飲ませてしまったことが申し訳なくなった。しかし、ロッティの心中とは正反対に、ガーネットはふと、柔和な笑みを静かに浮かべていた。
「紅茶の淹れ方を知らなかったのね。言ってくれれば私がやったのに……でも、ありがとう」
ガーネットの声は、裏表のない澄んだ声をしており、優しく微笑んでいた。それまで無表情の印象が強かったガーネットが不意に見せた表情に、ロッティは言葉も見つからず、真正面から見つめられ思わず自分の方から視線を逸らした。
その際に垣間見えたガーネットの目は、やはり腫れていた。しかし、たった今見せてきた、そんな翳りのない優しい表情に、それ以上問い詰めるようなことはしたくなかった。
「私がこの街を目指した目的を話すね」
不味いであろう紅茶に何一つ文句を言わずに飲み干すと、ガーネットはそんなことを言ってぼすんと弾みよくベッドの上に座った。ロッティの方は未だ紅茶と格闘中で、ちびちびと紅茶を飲みながらガーネットの話に意識を集中させた。
「私たちが来るときに通りがかった、あの……街が一眸出来て、未踏の大陸とかの話をした、あの丘が、リュウセイ鳥の言い伝えの場所なの。目的は、七月七日に誰にもリュウセイ鳥の伝説の丘で願いごとをさせないこと。もっと言うと、七月七日に、その場所に誰も近づけさせないこと」
先ほど見せた優しい表情もすっかり失せ、いつものように無表情のまま淡々とガーネットの語る内容に、ロッティは少なからず驚いた。ロッティはてっきり、ガーネットがリュウセイ鳥に実際に願いごとをするものだと思っていた。どんな願い事があるのかは見当もついていなかったが、事前に場所も把握していたり、わざわざ見知らぬロッティを呼びつけて旅の共にさせたほどの用意周到さがあることから、何か叶えたいことでもあるのかと勝手に想像していた。何より、ガーネットはリュウセイ鳥の言い伝えが真実でないことを全く考えていない様子であったのが驚きであった。
紅茶のカップを降ろして、ロッティは思わずガーネットの方を見る。相変わらず黒い瞳を合わせようとはしてこなかったが、ふざけている様子などはなかった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。本当にそんな言い伝え信じているのかよ。それに、ガーネットみたいに本当だと信じて来る奴なんてそうそういないだろ」
世界は広く、未知な部分も大いにある。予想外なことなんてよく起こる世界である。街でぬくぬくと過ごしていた自分が『ルミエール』を通じて外の世界を知って、ロッティは改めてそう感じていた。しかしその予想外な部分、未知の部分はあくまでも現実的な範囲内での話であり、何でも願い事が叶うという突拍子もなさ過ぎる、あまりにも現実離れした話が本当だとは、ロッティには信じられなかった。
「……じゃあ、一体何のつもりでここに来たと思ってたのよ。リュウセイ鳥の話を信じていなかったとして」
「そ、それは……うーん……」
ロッティが何も言えず言葉に詰まっているのを見てガーネットが小さくため息をつく。そこでガーネットも黙ってしまい、変な沈黙が流れた。俯きがちにして、垂れた前髪の奥に隠れているガーネットの表情を、ロッティは何となく想像できるような気がして、身につまされたような想いと申し訳なさとが募った。
「ごめん……信じるよ」
ロッティは紅茶を勢い良く飲み下して、頭を下げた。頭上でガーネットがふうっと、若干諦観の色を帯びた溜息を吐くのが聞こえた。
「……まあ、普通は信じられない話だと思うでしょうね。でも、そうね……七月七日が無事に済むまで、リュウセイ鳥の言い伝えは本当のことだと思って行動して欲しい」
ガーネットは何事もなかったかのように、続けてこれからの方針について静かに話し始めた。話を聞いている間、特に気になる発言をしていたわけでも、理解できない内容があったわけでもなかったが、先ほどの気まずい空気が影響してなのか、ロッティは何故か背筋が寒くなるのを感じた。話を聞き終えた後も、その正体が何なのかは分からなかったが、感じた違和感はしこりとなって胸の中に残り続けていた。