第8話
文字数 3,386文字
早速客の話に耳を傾けようと、ハルトは耳を背後に集中させたが、見た目通り静かに飲む人が多く、話をしている人がまず少なかった。ルイの狙いが良いと感心していたが、あまりに格式の高さに喋り声を慎むほどの品のある人たちばかりであったことは思わぬ弊害だったとハルトは少し気を落としそうになっていた。ルイも必死に耳を立てているようだが、内心の焦りが顔に滲み出ていた。その間に注文したものが届き、ハルトは目の前の橙色したオレンジジュースをじっと見つめていた。
「二人とも怪しいよ。もっと自然な感じで」
ジルが二人だけに聞こえるぐらいの大きさでそう囁くと、グラスの酒を静かに呷った。服装こそ冒険家のそれらしいが、ジルのその酒の飲み方はどこで学んできたのかと思うほど品のあるもので、ハルトとルイは思わずぼうっと見続けていた。その視線に気がついたジルがムッと眉を顰めたかと思うと、急に何かを思い出したように顔を上げた。
「そういえば……」
「ど、どうしたんだ。何か思いついたことがあるのか?」
ハルトは気になってジルに質問すると、ジルは頷き、グラスの酒に視線を落とした。カラコロン、と扉の開く音がして隣に誰かがやって来た気配がしたが、ハルトはジルの話に耳を立てることにした。
「色々僕なりに考えてたんだけど、急に思い出したことがあるんだ。僕が孤児院にいたときのことなんだけど……不思議な子がいたんだよね。耳がとがってて、けっこう頭が良かった」
「孤児院? 何でまた急に」
「いやまあそれは置いといて。僕けっこう頭使った遊びが好きだったんだけど、元々その子の影響だったから、よく憶えてる」
ジルが遠くの記憶を呼び起こすような目をしたままぼんやりとグラスに視線を落とした。ジルがそんなことを考えていたのは、もしかしたらアランとの日々を懐かしんでいたのかもしれないと考えたハルトは、何と返せばよいか分からなくなった。隣が何か騒がしい気がするが、ハルトは何も言えない代わりにジルの話をしっかりと訊きたいと思い、ジルの方に寄った。
「当時は何も気にしてなかったけど、この歳まで生きてきて、それっきり耳がとがってる子や人には会ったことないなあって、今急に思った。ハルトとかは、どこかで見たことある?」
「賢くて耳のとがってるやつかあ」
これがエルフ族やミスティカ族を探していることを敵対している相手にばれないようにするためのカモフラージュの雑談話なのか、それとも本当に気になっているのかは分からなかったが、ジルの表情はぼんやりしていながらも何かを真剣に考えているときの表情であったため、ハルトもその話について考えてみた。賢いだけなら、それこそ目の前にいるジルやクレールは賢いと感じており、なんだかんだロッティやルイも勘が鋭いときがあった。ブラウやアベルも魔物との戦闘のときにはよくそんな状況判断が出来るなと尊敬していた。そこまで考えて、自分にとってはすごいと思う人ばかりであったため、賢い路線で考えるのはやめて、耳がとがっているという分かりやすい特徴で考えることにした。どこかであったことがないかなあとオレンジジュースを飲みながら記憶を遡っていると、オレンジジュースが冷えていたからか、フラネージュでの出来事を思い出し、唐突にその子供をいじめから庇ったことを思い出した。
「あ、俺会ったことあるぜ。耳がとがってるガキ、あのときは俺の厚意を無下しやがって……」
当時の感情が蘇り思わず大声を出してしまい、ジルに静かにするようにと唇に指をあててシーっというジェスチャーをされる。そうされるまでもなくハルト自身もしまったと感じ、段々と話す声も尻すぼみになっていったが、次第に妙な寒気を覚えてきた。そういえば、あの後も街を巡って情報収集したときもあったが、そのとき虐めていた子供らしき人は見かけたが、耳のとがってる子供にはあれ以降会わなかったような気がする。その場に居合わせたルイにも確認しようと振り向くが、ルイは隣のカウンター席に座った女性に一方的に話しかけていた。先ほどから隣の騒がしかった正体に、ハルトはため息をついて、再びジルに向き直って、ひそひそ声で話す。
「この間フラネージュでそのガキに会ったんだけど、そういや、それからそいつのこと見たことない気がする……」
「それは変な話だね……僕もフラネージュでそんな子供は見た覚えが……ん?」
ジルがきょとんとハルトから視線を外してその奥を不思議そうに見つめるようになり、ハルトも気になってもう一度振り向くと、ルイに話しかけられていた女性がいつの間にかハルトのすぐ隣にまでやって来ていた。その後ろでルイがしょぼくれた顔で落ち込んでいた。
「今の話、詳しく聞かせて」
名も知らぬその女性の声は低く、凛としていて男勝りなものであったが、どこか憎悪の色がちらついており、その瞳は生真面目さを思わせる形の良い黒色をした大きな瞳だったが、その黒さは深い悲しみの底にいるような暗闇を感じさせた。元々は美形というより可愛かったことを思わせるような顔つきであったが、それがまさに憎悪や瞳に篭る暗闇によって歪められている、という感想をハルトは抱いた。
ルイが訊き出しても名乗ってくれなかったその女性は、セリア・ローランと名乗った。
☆
図書館の大きさに反してこじんまりとした大きさの、個人向けに用意された席に着いたクレールにあれこれを持ってきて欲しいと注文され、ブラウとアベルは律義にその本を探して持ってきた。クレールが物凄い速さで本を捲っていき、あっという間に用済みの本を積み重ねていくと再びあれこれが欲しいと言ってブラウたちも再びその本を探して持ってきては、時に読むのを協力したりした。そうすること半日ほど、アベルの腹の虫が鳴り始め、クレールも「そろそろ昼ご飯でも食べるか」と言って、その作業は一時中断となった。
図書館を出て、飲食店の栄えている場に出るとアベルが鼻をすんすん鳴らして並ぶ店のメニューを興味深そうに眺めていった。そんな風にして歩いていると、前団長が亡くなり、その影響で良い意味にしろ悪い意味にしろメンバーが次々と去っていき、ブラウとアベルとクレールの三人だけとなった『ルミエール』時代を思い出させた。
「こうして三人でいると、あの頃が懐かしいな」
クレールが感慨深くそう言うので、ブラウも嬉しくなって「ああ」と頷いた。
「世話になった団体が急に寂しくなったのは、けっこう悲しかったけどな」
「そうだったな……まあでも、団長をブラウに任せて正解だったよ」
「まあな。どんと任せとけってんだ」
色々と物色していたアベルが店を決めたようで、ブラウたちを手招きしていた。ブラウたちもその店に入っていった。
クレールが「あまりお腹いっぱいにさせたくないから」と言ったので、ブラウもそれに付き合い昼食を軽く済ませて、午後どうするかについての話になった。
「ジルたちは上手くやってるかな」
「ああ、俺に似たバカが二人もいるしな。俺じゃなきゃあの二人は手に負えないだろう。助けてやるか」
「アベルは黙って団長の用心棒しとけば良いんだよ」
クレールに諫められアベルも悔しそうに唸ったが、クレールは慣れた様子で無視して考えを巡らせているようだった。
「しかし……何でこうも資料が少ないんだ。情報統制でもされているみたいだ……」
クレールはぶつぶつと顎に手を当てぼんやりとどこかを見ていたが、それを見守っているとやがてクレールは「もう一度図書館に行こう。今度は人類史に絞って調べてみる」と言って先を歩き始めた。アベルはクレールの先に立って歩き、ブラウも二人を見守るように後ろからついていった。