第1話
文字数 2,719文字
久し振りの酒場に訪れると、そこには見知った顔があった。ブラウはすぐさまその見知った顔の隣に並んだ。ハルトたちは二人の会話が聞こえる程度の距離に座り、めいめいに注文していった。久し振りの飲みは盛り上がったが、ハルトはいまいち物足りなく、寂しさを感じていた。自分の周りに歳の近いものがおらず、歳上に囲まれて飲む酒はまるで自分の知らないものの味がした。
ブラウたちの会話が聞こえてきた。
「なあ……どうしても、お前は抜ける気はないのか」
ブラウの隣に座る者が苛立ったようにグラスをどんと音を立てて置いた。
「まだそんなことを言うのか。言ったはずだ、俺はお前たちとは、もう道を完全に違えたのだと。俺は俺のやり方で世界を変えてやる」
「そのためにお前は、何の罪もない多くの人たちを危険に晒すのか」
ブラウもほとんど怒鳴るように話していた。幸い、この酒場には『ルミエール』と傭兵団体『シュヴァルツ』しかいないため、会話を盗み聞く者はいなかった。酒場の店員も空気を読むのに長けており、客の会話に勝手に混ざることはない。彼らは多くの人の秘密を垣間見ては、人生を見届ける見送り人のような存在だった。
「ならお前は、こんな世界のままで良いって言うのか。虐げられ続ける人間を知らんぷりして、相手を尊重できないような人間ばかりのこの世界のどこに、守る価値があるっていうんだ」
随分と酔っぱらっているようで、『シュヴァルツ』の団長、カイン・シャミナードの口は饒舌だった。三年半が経ってもカインの見た目には何の変化はなく、むしろブラウと一緒に飲んでいる姿はどこか意地を張る青年を思わせる雰囲気があった。ブラウは黙ってカインの話を聞いていた。
「お前には分からねえよ。人を脅威から守ろうとしてやってきた傭兵だったのに、依頼され、出向いた先に、怯える人間の姿を見たときの俺の気持ちを」
カインは淀みなくそう語ると、店員にもう一杯酒を注文していた。
「それでも、人の弱さが分からなくなったお前が人々に剣を振るうというのなら、俺はお前を斬る。シルヴァンも、きっとそう言うだろう」
ブラウは勢いよく酒を呷り、カインと同じように追加を注文した。カインはそれを鼻で笑った。
「抜かせ、お前たち二人がかりでも俺に敵うかってんだ。お前たちが冒険だの慈善活動だのと腑抜けている間も、俺は剣を磨き続けてきた」
「そんなもん、やってみなくちゃ分からねえよ」
二人は競い合うように酒を次々と呑んでいった。二人はそれからもほとんど喧嘩しているような怒鳴り合いを繰り返していた。仲が良いのか悪いのか分からない二人の会話を、ハルトたちはぼんやりと聞いていた。
カルラにブラウの持っていた日記を読んでもらってから三年半が経っていた。あれから『ルミエール』は、ひとまずルイをシリウスに送り届けてから今後の行動方針について話し合った。ブルーメルの依頼にあった、ブルーメルを暗殺した人というのは恐らく、ブラウもといアルディナ・ゲルスターの日記に記されていた通り、世界に反旗を翻そうとしている集団のことで間違いないだろう。世界の片隅で細々と生きているような人たちであるらしいが、はるか数千年前まで遡る背景の深さに、一筋縄ではいかない相手だというのはすぐに分かった。
しかし世界はそれを上回る残酷さを兼ね備えていることをハルトは思い知らされた。ハルトは、リベルハイトにいよいよ明確な恨みを持つようになったジルや、相変わらず冷静で頭のキレるクレールの力を借りながら、個人的にそういった人たちのことを探したり調べたりしていた。しかし、行きつく先は不審死と行方不明、そして帝都での処刑記録であった。アルディナの日記の中に記されていた未踏の大陸出身の者が迫害されているという事実をそのときハルトたちは目の当たりにした。
ハルトは、ロッティのことを思い浮かべていた。ロッティはそういった人たちと同じように、未踏となった大陸からやって来た人間の一人であったが、それでもロッティは皆と生きる世界を見つけたいと、あの夜ハルトたちの前でその願いを吐露してくれた。ハルトは世界を許せない気持ち以上に、その想いに応えたいという気持ちでいっぱいであった。ルイも同じ気持ちのようで、その話を聞いたブラウたちも、皆頷いてくれた。ロッティのことを改めて知った『ルミエール』は、皆ロッティの味方だった。答えは決まっていた。
「こっちの方でも色々調べてみるわ。フルールちゃんとかからも何か聞けるかもしれねえしな」
そう言い残したルイとシリウスで別れ、『ルミエール』は今まで通り人々の依頼をこなして生計を立てる一方で、ブルーメルを暗殺した集団もとい、帝都の目を盗み、世界の裏側で生きるリベルハイトの人たちのことを調べることにした。
そうして三年が経ち、ハルトたち『ルミエール』は帝都に戻ってきていた。その前に帝都に訪れたときは、カルラが亡くなるときであった。あの日を機に連絡をするようになったセリアからそのような便りをいただき、再びカルラの家に、ルイ含めて、日記を読んでもらったときと同じメンバーで集まっていた。皆めいめいに悲しそうにしていたが、そのときのカルラの最期の言葉がハルトには印象的で、今でも忘れられず心のどこかに形となって残っていた。
「こうして皆に囲まれて逝ける私は幸せ者ですよ……この世界には、今まさに、誰にも看取られず、孤独に死んでいく同胞たちが確かにいるのです。その点私は、こうして見守られながら逝ける……これ以上の幸せは望みません。貴方たちもどうか、悲しまないでください」
酒場を離れ、皆と別れたハルトは街をぶらぶらと歩いていき、やがてある家の扉を叩いた。その家は、下町と近いところにあるが、出来てからまだ間もなさそうな綺麗な家だった。しばらく待って、扉を開けて出てきたのは、不愛想そうな強面の男だった。鞭を打ったように太い腕は、厳つい雰囲気に反してやけに肌が白く綺麗だった。
「何の用だ……?」
いきなり訪れてきたハルトに対して、その声には案外警戒している色は薄かった。
「俺は『ルミエール』のハルトという者です。すみません、ロッティという人はここにいませんか」
「……悪いがここにはいねえな」
男は迷惑そうに顔を顰めながら、早くどっか行けとでも言いたげに吐き捨てた。
「そうですか……失礼しました」
ハルトは頭を下げ、その家を後にした。後ろ髪惹かれる思いで何度か振り返るが、男は既に扉を閉めており、そこには誰もいなかった。この三年半で調べてきた内容をロッティと話したかったハルトだったが、また会える日を信じて『ルミエール』の元へと戻っていった。