第16話
文字数 3,915文字
「俺の名はジャックだ」
「この子が、
気が動転して、捲し立てるようになったロッティの言葉に、誰も応える者はなくしんと静まり返った。その静寂が、フルールが機械人形であることを証明していると薄々気がついていながらも、ロッティは急に降って湧いてきた事実を受け止めることが出来ないでいた。
そっと、袖に触れる感触がして、ロッティが振り返ると、フルールが悲哀に満ちた瞳でロッティを見つめていた。その瞳にこもっている想いこそが、フルールが機械人形であると自白しているようであったが、そんな芸当はまさに人間のそれとしか思えず、ロッティはますます頭の中がこんがらがっていった。
「お前さんが何と言おうと、その子は機械人形であって人間じゃない。分かったらその子を連れてとっとと帰るんだ。仕事の邪魔だ」
ジャックは突き放すようにそう捲し立てて凄んだ。未だに衝撃の抜けないロッティは頭と体が切り離されたような感覚に陥り、動こうと思っても身体が動かなかった。
フルールがロッティの袖をもう一度引っ張った。腕を引かれる感覚に振り向きロッティとフルールの視線が交わるが、その際のフルールの覚悟を決めたような揺らぎのない瞳に射竦められ、ロッティのざわついた心が幼いもののように感じられ、不思議と落ち着いた。冷静になった目で改めてフルールを見ると、髪が全体的に伸び、前髪が少し瞳にかかっていることに今更ながら気がついた。
「落ち着いたようですね、ロッティ様。それでは行きましょうか」
ロッティがそれに頷くのを確認すると、フルールはジャックに向けて深々とお辞儀した。その仕草はいつも見ているはずなのに、いつもと違った雰囲気があり、ジャックを見るフルールの視線も凛々しいながらも、どこか切なげだった。
「ジャックさん……いつも診てくださってありがとうございます。お世話になりました。失礼します」
ジャックはそれには何も答えず、フルールから視線を逸らした。部屋の窯を見つめるジャックの姿は、先程ロッティに迫った迫力はどこにもなく、疲れ切ったようにひたすら目を伏せてじっとしているだけであった。
ジャックの家を出て二人は帰路に着いていた。ロッティは未だにフルールが機械人形であることに違和感があり、ついちらちらとフルールの方を見てしまう。その視線に気づいてか知らずか、フルールは立ち止まって空を見上げたかと思うと、胸に手を当てて何かを考えるように目を閉じた。
「ロッティさん。今日は時間も早いことですし、少しだけ、ロッティ様の家にてお話をしてもよろしいでしょうか」
「……俺はもちろん構わない」
ロッティの返事にゆっくりと目を開けたフルールは、再び歩き始めた。それからロッティの仮住まいの家に到着するまで、フルールは黙ったきりであった。ロッティも、フルールのきりっとした表情に固い覚悟のようなものを感じ取り、それに水を差したくなくて話しかけないようにした。
フルールは律義に家主のロッティに確認を取ってからテーブルに着いてから、ゆっくりと口を開いた。
「まず大前提として、ここでお話しすることは街の人たちや他の人には内密にお願いします。ブルーメル様とジャックさん、それから……ガーネット様とロッティ様との間だけの秘密でお願いします」
「あ、ああ。分かった、約束する」
ロッティにそう訊いたはいいものの、ロッティが断わるわけがないと考えていたのか、ロッティが言い終えるや否やすぐに本題に入った。伏せがちの瞳は、長い睫毛によってその美しさが強調されていた。
「先ほどジャックさんが仰っていたことは事実です。私は、機械人形です……それも、一番最初にして最高傑作の機械人形、らしいのです」
フルールの口は重たそうであった。しかし、少しも気後れすることなく、フルールは絵本を朗読するかのようにすらすらと話を続けた。
「初めてロッティ様が街にいらしたときにもお話したかと思いますが、機械人形は基本的に人の役に立つために造られてきました。ですが、私の場合だけは、少し違っていたようです。ジャックさんは、亡くなった娘さんを蘇らそうとして、私を造りました」
「亡くなった娘を、蘇らせる……」
フルールは瞳をさらに細めた。伏せがちの顔からは表情がいまいち読み取れなかったが、痛ましい雰囲気にロッティは思わず視線を逸らした。
「ジャックさんの娘さんのことは、よく教えてくれませんでした……ただ、娘さんを失くしたジャックさんはきっと激しい悲しみに囚われ、どんな形でもいいから娘さんともう一度会いたかったのだと思います。ですが私は……娘さんの代わりにはなれませんでした。私は十分可愛がってもらっていたと思います。ですが、ジャックさんの悲しみは晴れるどころか……姿形だけ同じで中身のまるっきり違う私の存在に苦しんでいるように、少なくとも私には見えました」
ロッティは先ほどまでのジャックの様子を思い返してみたが、そのフルールの観察眼は的を射てるように思われた。相槌も打てないまま、テーブルに視線を落として黙ってフルールの話に耳を傾けることしか出来なかった。
「そんなある日、ブルーメル様がやって来て私を引き取っていきました。街に機械人形が増えていくにつれ街は発展していき、今の機械都市に至るわけです。あの日、そのときどんなやり取りがあったかは分かりませんが、ブルーメル様が私を引き取ったときのことは今でも鮮明に覚えています。ブルーメル様は、何がそんなに嬉しいのかと思うほど、私に構ってくれました。たくさん質問され、片時も私を離さないようにされていました」
「……あのブルーメルさんが……そう、なのか」
しかし、今しがたフルールが語ってくれたブルーメルから想像される姿は、どうしてもロッティの知る現在のブルーメルの姿とは一致しなかった。
「ブルーメル様に振りまわ……一緒に過ごした日々は、それは充実したものでした。ブルーメル様はまるで私を本当の妹のように可愛がってくれ、ブルーメル様の勧めで街の人たちへの奉仕もし始め、人の笑顔に触れられ……ですが、私の頭の片隅には、笑顔になれないジャックさんの顔がありました。そして最近は、ブルーメル様も様子がおかしいのです。時折思い詰めたような表情になり、私が尋ねても詳細を教えてくれません……私は、ダメな機械人形なのでしょうか」
フルールは胸元を強く掴む。せっかくの綺麗なワンピースに皺が寄り、クローバーの模様が激しく歪み、フルールの声音も低く沈んでいった。
「私は、ジャックさんやブルーメル様にとってどのような存在なのかと……私は、最も感謝の気持ちを抱いているお二人を笑顔にすることすらできないのかと、最近ずっとそのようなことを考えてしまうのです」
「フルール……」
皺が寄るほど服を掴むフルールの手は、よく見ると震えていた。そんな仕草も、その声音も、より一層機械人形でないことを証明しているようにしかロッティには思えなかった。
「関係ない話までしてしまいました。私の話は……これで以上となります。長々とすみませんでした」
フルールは胸元から手を離し、テーブルを撫でるように触れた。話を聞き終えても、ロッティは言葉が出てこなかった。それでも、俯きがちにしているフルールに何かしてやらねばという義務感に襲われて、ロッティは、少し躊躇いながらも、ポケットに入れている箱を手に取り、テーブルに置かれたフルールの手の先にそれを置いてみせた。
「……ロッティ様、これは?」
「フルールへのプレゼントだ。初めは入院見舞いのような感じで、いつものお礼を兼ねて渡すつもりだったんだが……まあ、開けてみてくれ」
フルールはそっとその箱に手を伸ばし、丁寧に開けていく。中身が確認出来ると、フルールの表情が少しだけ変化した。
「カメラ……」
「……俺は部外者だし、複雑な関係にあるフルールたちのことに対して何か気の利いたことも言えないけど」
フルールは顔を上げて、ロッティの言葉に聞き入るように集中していた。いつにない真剣な表情に、ロッティも応えたいと強く思った。
「……フルールが大事だと思った瞬間を、それで保存してみれば良いんじゃないか。不安に感じているときにそういう写真を見て、楽しかった瞬間を思い出す、ていうのは、きっとフルールにとっても良いことなんじゃないかって、今の話を聞いてて思ったんだ。良かったら……使ってくれ」
ロッティが最後言葉に詰まったのは、フルールが泣き出してしまうんじゃないかと思うほど顔をくしゃっと歪めたからであった。フルールはカメラを手に取り、いろんな角度からしみじみと眺めていた。すると、急に泣き笑いのような表情を浮かべたフルールは、早速カメラを構え、レンズ越しにロッティを覗いたかと思うと、パチッと音が鳴った。
「お、おい。今撮ったのか? 何で今撮ったんだよ」
ロッティが困ったように問い詰めるのも無視して、フルールはそこに撮った写真の現像が映っているのかカメラの裏側をじっと見つめている。そして、ふっと小さく破顔した。
「ロッティ様、難しい顔をしていらっしゃいます。ふふっ」
フルールの眉は悲しそうに下がったままであったが、笑いをこらえきれないようにいつまでもふふふと笑っていた。ロッティはそんなフルールを責めることもできずに、フルールが笑い止むまでずっとその様子を見守っていた。