第10話
文字数 3,178文字
「ロッティ、君は早くこの帝都から逃げなさい」
「……なに、言ってんだよ……」
「良いから早く!」
シャルロッテがもどかしそうにこちらに向かって手を伸ばしてくるが、十分な距離があるにもかかわらずロッティは咄嗟に大きく後退した。シャルロッテの顔がさらに小さくなっていくが、何故かその表情と言葉だけは十分にロッティに届いた。
「ロッティ、良いから帝都の外へ逃げなっ。お願いだから早く!」
「……そんなこと、出来るわけ、ないだろっ」
シャルロッテの言葉は切羽詰まったもので、珍しく感情を露わにしているような気がした。取り乱したように手をあたふたさせて、ロッティの方に向かおうかどうか迷っている様子であった。しかし、そんなシャルロッテの様子が、どこか自分勝手なものに思えて、ひどく許せない気持ちになった。
「あんたをここで倒さなきゃ……もっと被害が出るじゃないか……俺はあんたを、許すわけには、いかない」
「ロッティ……」
自分でも震えた声だとロッティは気がついていた。シャルロッテをきつく睨みつけようとしても、ふと、これまで可愛がられてきた日々を思い出してしまい、どうしても敵対心が揺らいでしまう。ロッティはシャルロッテに何とか剣を向けるが、その剣先は情けないぐらい震えていた。そのロッティを、シャルロッテは泣きそうになりながらも構えることなく無防備に見つめ返すだけだった。
そのとき、突然激しい轟音が足元を揺らし、ロッティは膝から崩れ落ちそうになる。何とか膝に手をついて堪え、キィンと麻痺したような耳の痛みに耐えながら音のした方を見上げると、幾千もの槍が空を舞い、すぐ上空を漂っていたノアにもその槍が何本か突き刺さっていた。ノアの身体から血が流れ、羽根がふわふわと空中を舞っていた。それらの血と羽根に紛れるように、大きな黒い塊が、その中心を赤く光らせながら城の少し向こう側に落ちていくのが見えた。
あれは、先ほど山やグランの真下に落とされた爆弾なのではないだろうか。ロッティはそう直感し、急に全身から力が抜けていくのを感じた。シャルロッテとの対面の衝撃から抜けきれないでいる頭は、その爆弾に弱腰になり、助からない予感に抵抗する気力が失われていった。
走馬灯のようにこれまでの日々や思い出がロッティの心に浮かび上がってきた。それら一つ一つにひびが生じ粉々に砕けていき、結局何も果たせないかもしれないと、ロッティは心から詫びた。これまで命を賭してくれたミスティカ族や、自身に想いを託してくれたアリスやガーネットに申し訳ない気持ちで胸が塞ぎ込んだ。
最後にもう一度、ガーネットに会いたかった。そう願いながら、ロッティが力なく顔を俯かせ、地面を見つめているときであった。
「ロッティ! 絶対に死なせない! 貴方だけは、絶対に守るから————」
ひんやりとした風を頬に受けてロッティは目を覚ました。目の前にはキラキラと輝く星空が広がっており、その美しさに自身も飲み込まれてしまいそうだった。辺りは不自然なほど静寂で、安らぎを覚えるような優しい虫の音が心をそっと撫でた。ロッティは飛び起き、そこで初めて自身が五体満足であることを確認した。自分に何が起こったのかを確かめようと思い出そうとするが、ノアの背中から爆弾らしきものが落ちてきてからの記憶が曖昧だった。まるでその出来事も、帝都中が地獄絵図に染まっていたのもすべて夢か幻であったかのように、ロッティの身体にはどこにも傷一つついておらず、辺りも嘘みたいにすっかり暗くなっていた。
状況を確認しようと周囲を見渡すと、見覚えのある平原が広がっていた。夜の暗闇に染まり、草葉の輪郭すら曖昧だったが、この平原は間違いなく、ガーネットととの旅立ちのときに見たものであった。そこで初めて帝都の外にいることに気がつき、ロッティは背後に存在してあるはずの帝都を振り返った。しかし、そこには世界で一番栄えている帝都の姿はどこにもなかった。
やはりノアの爆弾は落ちていた。それが確信できるほどに、帝都は跡形もなく破壊されていた。城も街並みも平らになり、遠くから見ると白い瓦礫がなだらかな勾配に従って何の規則性もなく散らばっていた。それだけで、ロッティの胸は絶望でいっぱいになった。ハルトたちや『シャイン』のメンバー、そしてガーネットは、無事に地下へ逃げられたのであろうか。
ロッティは黒々と塗りつぶされそうになる心を無理やり奮い立たせ、平静を取り戻そうと深呼吸する。まだ間に合うはずだと、多くの人が地下へと逃げられていることはロッティ自身の目にも確認できていたことで、きっと全員を避難し終えてハルトたちも地下へ逃げられているだろうと、そんな希望的観測を抱いた。ロッティはひとまず、帝都と呼ぶのも虚しい跡地へ向かうことにした。
そうしようとした、直後だった。
茂みに隠れるようにして、両腕のない人影がまるで遺体のように力なく横たわっていた。しかしその人影は死んでおらず、ロッティの姿を確認すると、苦悶に大きく歪んだ表情を明るくさせた。その表情は、まさに慈愛に満ち溢れたものだった。
ロッティの胸が、ずきんと痛んだ。
「ようやく……起きたんだね、ロッティ」
「……何で、そんなことになってるんだ」
発した言葉は、自分でも驚くほど小さなものだった。しかしシャルロッテは、そんなことも気にしないかのように虚ろな瞳でロッティを見続けていた。
「良かった……どこにも、怪我がなさそうで。半日も……っ……経っていたんだよ」
「なんで……そんなこと、言うんだよ」
シャルロッテは空を見上げて咳き込んだ。口から溢れさせる血が、両腕を失くした肩から流れ始めている血が、すっかり血の気が引いている顔色が、もうシャルロッテは長くないことを物語っていた。そんなシャルロッテの痛ましい姿がとても見ていられず、ロッティはすぐさま駆け寄り何とか血を抑えようとして能力を上手く扱えないか試みた。自分でもこんなに必死になる理由は、分からなかった。それでも、これまで良くしてくれた日々があったから、という理由だけではない何かがあるからだと、ロッティは先ほどからずきんと痛んで引かない胸の苦しみを信じることにした。
ロッティがシャルロッテの傍らで必死に何かしようとしている様子に、心なしかシャルロッテの顔色が良くなったような気がした。
「ロッティ……私は、貴方の……」
「……なんだ」
自分でも驚くほど、シャルロッテの話を平静な気持ちで聞くことが出来た。シャルロッテが再び咳き込み、血がロッティの顔にかかるもロッティは不思議と気にならなかった。シャルロッテはそのことを申し訳なく感じたのか、苦しくなったのか、眉をわずかに顰めながらも、必死にロッティのことを見つめて何かを伝えようとしていた。
「私は、貴方の……お姉ちゃんなの」
「…………そう、なんだな……」
ロッティはその言葉を、何の抵抗もなく冷静に受け止めることが出来た。これまで良くしてくれていた日々を不思議に思うこともあったが、今ようやく、腑に落ちて、より一層胸が苦しくなり、涙が出そうになる。