第14話
文字数 3,491文字
そのときのロッティの姿に、今のジルは重なっていた。そして今なお、あのときと同じようにハルトは何も言葉を掛けられないでいた。そのことがひどくもどかしく、痛みを変わってやりたくてもそれすらできない自分に腹が立っていた。
ハルトがそんな葛藤をしている間に何か思いついたのか、クレールが痛みを堪えるようにしながらも、努めて優しい顔を作ってジルの肩に手を置いた。
「今からひどいことを訊くことを許して欲しい。ジル、アランはどんな傷を負っていたんだ」
その質問は、ハルトですら耳が痛くなったが、当のジルはさほど苦しそうでもなく、ぼんやりとそのときの光景を思い出すように、わずかに表情を変化させた。そして、何かに気づいたのか、細められていた瞳が少しだけ開いた。
「確か、剣か何かで斬られたような……肩から、斬られていた」
「そうか……本当にありがとう」
クレールは腑に落ちたように清々しい顔でジルに優しく頷いた。クレールは静かに立ち上がり、ブラウを横に呼びつけて、軽く手を叩いて皆の注目を集めた。ジルも伏せた顔を上げて、クレールの顔を見上げていた。
「これからどうするかの話だが……結論から言って、俺はあのイグナーツって男に話を聞きに行くのが一番だと考えている」
「あのおっさんか……」
ルイの呟きに、クレールは静かに頷いた。
「ショックな出来事が重なって皆も少し混乱していると思うから、少し状況を整理しよう」
クレールは握り拳を皆に見えるように掲げた。
「まず、俺たちは二つの依頼を請け負っている。一つがブルーメルさんの遺言で、暗殺した者の正体について。二つ目がフラネージュからの依頼で、魔物をどうにかして欲しいというもの」
クレールの握られた拳から、順々に人差し指と中指がピンと伸びた。
「俺たちはシリウスにフラネージュ、そしてアランから情報収集してきたが、一つ目の依頼に関する情報の集まらなさから、ひとまずその依頼を置いといて二つ目の依頼に専念することにし、魔物の調査をしてきた……ここまでは、大丈夫だな?」
クレールの確認するような問いに、皆がめいめいに反応する。それらを確認して、クレールはもう一度拳を握り直した。
「よし、じゃあ次に、俺たちがこれまで集めてきた魔物の情報について少し整理しよう。まず、魔物の存在を仄めかす情報はあるが、明確な目撃情報はない。次に、アランによると魔物はあの洞窟を根城にしているという噂があると言っていたが、その洞窟でも俺たちは依然としてその魔物に会えていない。つまり……俺たちは誰も、魔物がどんな姿をしているのかすら、まだ分かっていない。これが今の俺たちの状況だ」
さっきのように指を順々に立てながら説明したクレールはそこで一息ついて、腕を組んだ。クレールがそうするときは、一旦メンバーからの質問を受け付けるときであり、早速ルイが手を挙げた。
「はいはい、そう言うけど、魔物ってあの洞窟揺らしてたあいつじゃないのー?」
ルイが溌溂とした声で質問するが、クレールはそれを首肯せず、すぐには返事をしなかった。しばし考えこむようにしながら、何かを確かめるように手を開いては握ってを繰り返していた。
「それは……イグナーツがそう言っていたからか?」
クレールに訊き返されて、ルイは言葉に詰まった。それでルイも何かに気づいたのか、何かを企むようにニヤニヤ笑みを浮かべていたが、ハルトには何が何だかよく分からなかった。
「あれが例の魔物だったかどうかは、少し置いておこう。次に、アランの遺体が何故あそこにあったのか少し考えてみよう」
ハルトは思わずジルの顔色を窺ってしまうが、ジルはむしろ真剣な顔つきをしており、アランを殺した犯人を捕まえたいという意志が強く表れていた。決然としたその表情にハルトも話に集中する。
「考えるポイントは……俺たちがイグナーツに案内されたあの洞穴から洞窟を見たときには、アランの姿はまだなかったってことだ」
「……どうしてそう思う」
ジルが震えた声でクレールに質問した。
「いくら依頼だからとはいえ、アランが一人で洞窟の探索をしに来るのは考えにくいからだ。アランは俺たちと違って戦闘が得意なわけではない、あくまで探偵だからな。初めて洞窟の探索しにアランと行くと決まったとき、アランも『ルミエール』と一緒なのは好ましい、という態度だったはずだ」
そのときのことはハルトも覚えていた。何せつい数日前のことである。それゆえクレールのその説明がすっと頭に入り、そこでハルトは背筋に悪寒が走った。嫌な予感がしたのはジルも同じだったようで、怒りとも悲しみともつかない複雑な感情を顔に滲ませ、歯を食いしばっていた。
「それにアランは、魔物にやられたわけじゃない。何者かに斬られているんだ。まあそういう攻撃が出来る魔物っていう線はあるかもしれないが……ひとまず人の手によってやられたものとしておこう。重要なのは、アランがその後、何者かの手によってわざわざ洞窟の最奥まで運ばれてきたということだ」
「さっきも似た感じのこと言ってたな。どうしてなんだ」
アベルの疑問に、クレールはジルの顔をじっと見つめた。見つめ返すジルの視線には力がなかった。
「多分だけど……僕たちは狙われているんだね」
ジルのその言葉は不吉な予感を孕んでいた。嫌な汗が背中を流れているのを感じながら、ハルトはクレールの言葉を待ったが、やがてクレールはジルのその発言を肯定するように頷いてみせた。
「アランは孤児院出身で身寄りもないまま独立して探偵稼業を始め、行動を共にすることが多かったのは俺たち。そんなアランをわざわざ洞窟の奥にまで運んだことに意味があるとすれば……あの直後洞窟の天井を何者かが襲ってきたことから考えても、俺たちがアランの遺体に釘付けになっている間に全員を生き埋めにしようとした……ぐらいまでを想定して警戒しておいた方が良いだろうな」
クレールはつまらなそうに深く息を吐きながら「アランを殺してまですることだったかは、分からないけどな」とぼやいて空をぼうっと見上げた。ハルトは今のクレールの説明を咀嚼するのに時間がかかったが、自分たちが狙われているという実感だけはどうしても湧いてこなかった。しかし、もしあの場にイグナーツがいなかったら、ただでは済まなかったのは疑いの余地はなかった。
「だからあのおっさんに話を訊こうってことか。確かにあのおっさん、怪しいしなあ」
ルイが手を後ろで組みながら誰に話しかけるともなくそう言った。その発言に、クレールは困ったようにため息を吐いた。
「俺としてはそれもあまり良い予感はしないんだが、団長がな」
クレールはブラウに振り向く。ブラウは驚いた様子で目をぱちくりさせたが、やがて開き直ったように咳払いをしてその訳を話し始めた。
「俺たちはあいつに助けられた。それに、洞穴に案内もしてくれたし、魔物に関わるのは危ないと忠告もしてくれた。だから一度礼を言いに行くのが筋ってもんだ」
今までの話からしてイグナーツの正体はますます謎めいてきていたのだが、ブラウのその話は実に単純明快で、ブラウらしい前向きなものだった。ハルトも胸の内で感じていたもやもやや嫌な予感も吹き飛び、ブラウの意見に指を鳴らした。ブラウの発言に、ようやくいつもの『ルミエール』の空気感に戻りつつあるのを感じていた。