第12話
文字数 3,712文字
帰りも特に馬車が準備されていることはなく、フルールが魔物除けの鈴を鳴らして機械人形たちを連れながらの帰路となった。久し振りに長時間、しかも何度も能力を用いたせいか身体が少し気怠く感じられた。ロッティは初めて仮住まいの家のベッドが恋しくなった。
ようやく無事にシリウスに到着すると、仕事を終えたからなのか、はたまた別の使命が残っているのか、それまで一緒だった機械人形たちはロッティとフルールを置いて散り散りに去っていった。その様子を、機械人形たちが見えなくなるまで見届けると、フルールはふうっと一息ついた。
「ブルーメルさんのところに報告しに行くか」
「そうですね。行きましょう」
興奮もすっかり冷めて落ち着いたようで、いつものようにフルールはロッティの前を歩き出し、ロッティがその後ろをついて行った。
すっかりシリウスの人間の困り事の解決のために手伝うことに慣れてしまったロッティは、今日一日見守らなかった街のどこかで支障をきたしたり何か問題が起こったりしているような気がしてはらはらしたが、ロッティたちを出迎えた街はやはり今日も何事もなく安穏と一日を過ごしたようであった。
そんなことを考えながら講堂前の大きな通りに差し掛かったときであった。シリウスの街では見慣れないが、しかしロッティにはとても馴染みのある光景を目撃し、ロッティの足は動かなくなった。向かいから迫ってくる存在もロッティに気がついたようで、その中の一人がロッティの方へと駆け寄ってきて、それに気がついてもう一人駆け寄ってきた。
「ロッティ? ロッティだよな? こんなところにいたのか! 探したんだぞ!」
きょとんとするフルールを差し置いてロッティの肩を掴んできたのは、『ルミエール』の一員にして生涯において一番付き合いの長いハルトであった。その後ろでルイがハルトと同じ目でロッティを見つめていた。ロッティは、罪を犯したのを目撃されたような罪悪感に頭がくらくらした。
不意の出会いでしばらく言葉が出てこず、ようやくのことで一言二言話せたような気もするが、ロッティは自分がどんな会話をしたかよく覚えていなかった。そんな状態でも、ブルーメルへ報告しに行った後でハルトと少しぶらっと散歩するという口約束だけは頭に残っていた。
「ロッティ様、大丈夫でしょうか」
ブルーメルとの久し振りの再会を喜ぶのもさておいて、フルールは道中ずっとロッティの顔を心配そうに覗き込んでいた。そのときのフルールの表情に、ロッティは申し訳なさと苦しさとで胸がいっぱいになった。
「大丈夫だ……大丈夫だから、そんな顔しないでくれ」
「ロッティ様……」
フルールの眉間の皺はますます深くなった。いつもの淡々とした表情の奥に秘めていたフルールの優しさに、ロッティは感謝しつつもやはり申し訳なくなって仕方がなかった。
講堂から出ると、講堂前の象徴的とも言える、噴水の傍にある大きな樹にハルトはもたれかかっていた。ロッティも意を決してハルトの方へ向かい、フルールがその後を追う。
「この子を送り届けてからでいいか?」
ロッティの問いかけにハルトは一瞬意外そうに目を見開いた。ハルトはさっと樹から離れ、靴の先でとんとんと地面を蹴る。ロッティはハルトの仕草を了承してくれたのだと解釈した。フルールも眉を顰めながらも、何も訊かずに自分の家へと向かってくれた。ロッティとハルトは、どちらからともなくフルールを見守るようにして歩き始めた。
歩いている間、しばらく沈黙が続いた。急な出来事でロッティは気持ちと状況を整理するので精一杯で、誘った方のハルトもハルトで、何かを言いたそうに時折口を開きかけるが、ついぞ言葉が続くことはなかった。そんな微妙な空気を察知してなのか、前を歩くフルールがときどきロッティたちの方を振り返る。
「なあロッティ……あの子は確か、フルールって言ったよな」
ようやくハルトが口にしたが、その話し方は、手探りに話題を探すような頼りない感じだった。
「ああ……そうだけど、それがどうしたんだ?」
「あの子って確か、ブルーメルさんの付き人だったよなって思って。どうしてロッティと一緒にいるんだ?」
「ブルーメル……さん、のこと知ってるのか。そのブルーメルさんの指示なんだよ。フルールの街の人への献身活動を手伝えっていう指示」
「……そんなこと任されてたのか。皇族委員会の人にそういう仕事?を任されるのってすごいな」
一度話し始めると、湯水が湧くように不思議なほどすらすらと会話が続いた。会話を交わしているうちに、ロッティもそんなに昔ではないことはずなのに懐かしさがこみあげてきて、ハルトたちとの再会のときに生じた暗い靄が薄れていくのが自分でも意外だった。
「すごいことなのかは分かんねえけど、でも変なこと任されるなとは思ったよ」
「いやいや、もっと誇っとけってそこは。ロッティはもっと自信持っていいって。それに、ルイが知ったら心底羨ましがるだろうな」
やがてフルールの家にたどり着くと、フルールは愚直にこちらを振り向いては「ありがとうございました。また明日、よろしくお願いします」と頭を下げた。ロッティは慣れたものだったが、ハルトはそうでもなく、慌てて頭を下げていた。フルールはふりふりと手を振って静かに家の中へと入っていった。その際のフルールの表情は決して暗くはなかったが、どうにかして無理やり繕っているだけのようにも見えた。
それを見届け終えて、ハルトは一度深く息を吐いた。そして、改めて真面目な顔を作り直して上空を見上げた。
「なあロッティ……どうして急に、『ルミエール』から去ったんだ」
そう訊いてくるハルトの、どこか遠くにある何かを見つめる瞳と、決して怒りではない悲哀と何かに満ちた横顔に、ロッティは何も答えられなかった。
「……歩きながら話そう」
言葉を必死に探し、何とかそれだけを捻りだした。ロッティは返事も待たずに歩き始めるが、ハルトも何も言わずに黙って一緒についてきてくれた。
どちらからともなく、二人の足は港の方へ向かっていた。街の中心から離れ、段々と街の賑やかな喧騒は小さくなり始め、代わりに波の音とワタリドリの鳴く声が遠くから聞こえてきた。
夕陽の当たる下り坂を歩きながら、ハルトは空を見上げ、ロッティは地面を見つめていた。
「俺さ、友達失格だよ。ロッティに救ってもらったようなもんなのにさ、俺はお前に何もしてやれないみたいだ」
ハルトは自虐するように笑ったが、その乾いた笑いはロッティの胸を痛めた。
「そんなことない。俺はそんな大層なことをしてやれたとは思えないけど……でも、ハルトがいなければ、今頃俺は、まだ暗く沈んだ世界で、路頭を彷徨っていたと思う」
「じゃあ、何で『ルミエール』を去ったんだ。『ルミエール』は、ロッティにとっての居場所じゃないのかよ。何でまた、路頭に彷徨うような真似をしてるんだよ」
ハルトはぐっと歯を食いしばってロッティを睨む。ハルトのその震えた声や歯の隙間からかすかに漏れ出る息を通して伝わってくる静かな激情に、ロッティは圧倒された。ハルトのその感情的な態度がロッティには嬉しくもあり、同時に、真綿で首を絞められているような苦しさと、ハルトたちの優しさを一度裏切り今も応えられないでいる自責の念とがますます強くなり、ロッティの胸をより一層締め付けていた。
「ごめん……だけど、俺はまだ、帰れない。上手く言えないけど、まだ帰れないんだ」
ロッティの絞り出した声は、波の音に紛れて消えそうだった。それでもハルトにはしっかり届いていたようで、これ以上ないくらいショックを受けている様子のハルトの表情が、ロッティの瞼の裏に強く焼き付いた。
「……それでも、いつか戻ってくるのを待ってる。俺もルイも、皆も。でも、そうでなくても、いつか訳を話してもらうからな」
何度も唇を舐め、何度も唾を呑み込みながら、ぐっと何かを堪えながらハルトはそれだけ言うと「団長たちは今酒場にいるみたいだから、合流してくる」と港の方へ向かっていた足をUターンさせた。ロッティも踵を返し、ハルトの後ろをついていく。
「本当に、ごめん」
「いいよ、謝るなって。俺もちょっと、冷静じゃなかった……ああもう! 本当、冷静じゃなかった、すまん」
ハルトは本当に悔しそうにひとしきり自身の頭を掻いたかと思うと、この話はこれで終わり、とでも言うように、さっさと歩いていく。その横顔には小さく翳が差しているものの、何とか平静な顔を作ろうとしている気配が伝わってきた。深くは責めてこないその態度こそが、ハルトにとってのロッティに対する友情の証のような気がロッティはした。
「ありがとう」
ロッティの小さな呟きはハルトは何も反応を示さなかったが、それでもロッティは自身がハルトに感謝している気持ちは十分に伝わっているだろうと信じていた。