第14話
文字数 3,238文字
ガーネットも緊張しているのか、どこかに出かけたかと思えば案外早くに帰ってきて、部屋の中でじっとしていた。唇をしきりに舐め、無表情な顔を浮かべながらも一点を見つめ続けて集中している様子のガーネットに、ロッティは声をかけられなかった。気まずい空気に息苦しさを感じながら、時はあっという間に経ち、やがて日ももうすぐ沈む頃になった。ロッティは暗くなり始める街の外を眺めながら、今日はトムとシャルルはどうしていたのだろうかとぼんやり想いを馳せていた。そして、夜が更けていくにつれて、いよいよリュウセイ鳥の伝説を巡って争うのだということを嫌でも意識させられ、ロッティは正体の知れない何かに心臓を鷲摑みされるような胸苦しさを感じた。
嫌な汗が流れているなと、ロッティが額を拭っていると、ガーネットはその場でじっとしたまま口を開いた。
「ロッティ。鉱山の方へお願い」
ガーネットが静かにロッティの大剣を指差しながら短くそう言うのを聞いて、きゅっと締め付けられていた胸がふっと緩められたように不思議と心が落ち着き、ロッティはほとんどジャンプするように立ち上がった。しかし、ロッティが大剣を背中に携えて準備を済ませても、ガーネットは一向に立ち上がろうとしなかった。
「……ガーネット?」
ガーネットは苦虫を噛み潰したような顔で、苦しそうに息を吐いた。こちらにまで苦しさが伝わってきそうなガーネットのその表情に、ロッティは嫌なものを悟った。
「ごめん……必ず私も後から行くから。私を……信じて欲しい」
ガーネットは一つ一つ言葉を噛みしめるように、ゆっくりと喋った。しかし、本当に苦しそうなガーネットの様子とは対照的に、ロッティの頭の中では不思議と冷静にその言葉を処理することが出来た。よくよく考えてみれば、ガーネットを危険な目に遭わせるわけにはいかないと、ロッティは妙にすっきりとした頭で納得していた。
「……分かった。行ってくる」
ロッティは努めて冷たい声にならないようにそう返事して、部屋を出ようとする。その間際、ちらりとガーネットを振り返ると、ガーネットは床に視線を落としたまま苦しそうに胸をそっと押さえていた。一瞬、このタイミングで本当に具合が悪くなったのかと思いロッティの足が自然と踵を返しそうになるが、敏感にロッティの立ち止まった気配を察知したガーネットが目だけロッティに向けて首を横に振った。せっかく冷静になれた頭が苦しさを伴って再びこんがらがっていく。
自分は未だにガーネットのことを何も分かってやれていないのだ。ガーネットが苦しそうにしているのに、適切な言葉一つすら浮かんでこない自分が恨めしくて仕方がなかった。苦しんでいる理由すらも分からない自分に、今までにない憤りと虚しさを感じていた。そんな風に頭を悩ませている場合ではないと自分の中の冷静な部分が告げているにもかかわらず、ロッティは胸の内でどんどん募ってくる自責の念に動けずにいた。未だに見つめてくるロッティの視線に何を感じたのか、ガーネットはそっとロッティに背を向けて、そのまま窓辺の方に歩み寄った。一人部屋に残るそのガーネットの背中が、この世にたった一人ぼっち取り残されたように寂し気に、ロッティの瞳に映った。ガーネットと初めて出会ったときに感じた、強い孤独感を纏ってぽつんと佇むガーネットに、ロッティは激しく胸をかき乱された。
宿を出るまでは後ろ髪惹かれる想いで部屋の方を振り返っていたが、宿を出てからは、すべてを胸の奥底に押しやり、何も考えないように無心で鉱山の方へ向かうことにした。時刻は午後十時ほどだろうか。辺りはすっかり暗くなっており、街灯だけが照らす街中は不気味なほど静かで、建物の陰から何かが飛び出してきそうな雰囲気が不気味に漂っていた。
無人の道を行き、街の外に差し掛かろうとしたとき、ロッティは今までにない魔物の気配を感知した。今日に至るまでついぞ魔物は姿を現さなかったばかりに、いざ魔物が現れるとその気配は胸焼けするぐらい濃かった。ロッティはすっと息を潜め、持ってきた大剣に手を添え身体を構え、陰に忍ばせる魔物を警戒しながら慎重に鉱山へ向かって行く。魔物の気配はするものの、それでも辺りは静寂に包まれており、呑気な虫の鳴き声まで小さく聞こえてきて、いよいよ気味悪く思い始めたとき、遠くの方で騒がしい気配がして、ロッティは慎重にそちらの様子を窺う。
その方向に見えたのは、二つの人影が例の丘に向かって行く光景だった。しかし、何かに追われているのか、しきりに背後を振り返りながら進んでいる。ロッティは、周囲に気を張りながら、二人が気にしていた方を注意深く観察すると、数頭の魔物らしき生き物の影があった。その二人が誰なのかまでは分からなかったが、魔物に襲われているという事実でロッティは助けに向かおうと無意識に足が動いてしまっていた。
そのロッティの隙を突こうとしたのか、傍らから何かの影が飛び出し、するどい鋭利なものがいくつもロッティに襲い掛かってきた。持ち前の反射神経でロッティは難なく躱し、それらの影を掻い潜りながら二人の方へ向かって行く。
しかし、すべての攻撃を躱したと思った矢先、行く手を阻むかのように剣が飛んできてロッティは急ブレーキする。剣はロッティのすぐ足先に突き刺さっており、少しでも判断が遅れていれば足に刺さっていたところだった。その剣にただならぬ危険な雰囲気を察知し、ロッティは咄嗟に何歩か後退していく。そうやって後退すると、再び影が襲い掛かり、そのことを予測できていたロッティは余裕を持ってその影の正体を確認すると、爪の鋭い小柄な四足獣が今まさにロッティに切りかかろうとしていた。小柄な分すばしっこく、また集団として統率の取れた動きでロッティの死角に回り込みながら襲い掛かって来るので、ロッティが気配を敏感に察知しながら躱し続けても、次々に順番にその魔物の爪が襲い掛かってきた。
そのチームプレーの動きを把握したロッティは、一度それまでよりも大きく後退してその魔物たちと距離を取った。死角に回り込もうとしていた魔物たちはそれにも冷静で何とかロッティの視界から逃れようとしていたが、ロッティも寸分の隙も逃さなかった。一瞬でロッティが魔物たちの姿を『捉える』と、魔物たちの動きは悉く止まり、その場で急に頭がねじ切り回され、不愉快な音と共に血飛沫とその頭とが宙を舞った。
ロッティは一度深呼吸し、周辺に注意を巡らせて、魔物の気配がなくなったのを確認してから改めて先ほど見かけた二人の方へ向かうことにした。しかし、いくらか走ったところで、先程自分の目の前に飛び込んできた剣がいつの間にかなくなっていることに気がつき、思わず足が止まった。
「まさかあの攻撃を捌ききるとはねえ。これはちょっと、想像以上だったなあ」
聞き慣れない、飄々とした声が飛んできて、ロッティがその方を振り向こうとすると、ちょうどその方向から剣が自分に向かって斬りかかってきて、ロッティは咄嗟に宙返りして躱す。空中で大剣を構えながら着地し、攻撃してきた主を探すが、姿を見つけられない。
「でもまだ君を向かわせるわけにはいかないからねえ。少しの間付き合ってもらうよ」
姿が確認できないまま次の攻撃の気配を感じて再び躱す。その際に相手の黒いマントと思わしき物だけがひらりと見える。剣の鍔迫り合いを演じようと思ったが、ロッティの視界から逃れ続け、夜の暗闇に混じる黒いマントも相まって相手を認識することすら難しい。その状況下で剣が斬りかかってくれば、気配を察知して避けるので精一杯であった。