第4話
文字数 3,121文字
「初めまして。私はここシリウスで皇族上院委員会の一員を勤めさせていただいております、ブルーメルという者です。まずはよろしくお願いします」
ブルーメルははきはきとした滑舌でそう挨拶すると、すっとロッティに向けて手を差し伸べた。ブルーメルはいかにもデキル女のような雰囲気を纏い、黒くて地味なスーツがそれを際立たせていた。商売人のようなニコニコ笑みを顔に張り付けており、本音を決してこちらに悟らせまいとする壁を置いているような気がして、ロッティは少しだけ苦手意識を抱いた。
「よ、よろしくお願いします。ロッティと……言います」
「うん、よろしくね」
ブルーメルは握手に応じたロッティを値踏みするようにじろじろと睨め回した。それに気分を悪くしたロッティが手を離そうとした瞬間に、先にブルーメルの方からその手を離した。
それからブルーメルはフルールの頭を軽く撫でてからガーネットに向かい合う。ブルーメルが無言で手を差し出し、ガーネットも無言でそれに応じた。嫌な笑顔を浮かべるブルーメルに対してどこまでも無表情なガーネットは、互いに視線を逸らさずじっと相手の目を見つめ返していた。二人の視線が交わる空気に不穏なものを予感したロッティは内心焦りが生じるが、二人の間に割って入る勇気もなく、何事も起こらぬことを祈りながら成り行きを見守るしかなかった。
沈黙を破ったのはブルーメルだった。
「これからよろしくね、ガーネットさん」
「はい。それで早速本題についてですが、私たちは何を手伝えば良いのでしょうか」
ガーネットのピリピリとした口調に、ブルーメルはのらりくらりと躱すように部屋の中を歩いた。
「そうですねえ……ロッティさんにはもう少し後で頑張ってもらうとして、ガーネットさんには……私と一緒に働いてもらう、とかどうかしら」
ブルーメルはそこで意味深に小さく、ふふっと笑った。
それに対してガーネットも不敵な笑みを小さく零したが、ロッティにはその提案の意味も、二人の笑みの理由もさっぱりだった。
それからのロッティたちを取り巻く状況はめまぐるしく変わっていった。
委員会の一員として働くようにというブルーメルからの突然の依頼に、ガーネットは理由を聞くことなくすぐに承諾した。ロッティが口を挟もうにも驚きで固まっている間に話はとんとん拍子で進んでいった。
ブルーメルはそれから委員会の一員になる条件を説明し始めた。皇族委員会のうち下院委員会ならばシリウスでの戸籍を持っていなくても入院することが出来るが、ブルーメルが「貴方の働きぶりを把握する必要があるからダメ」と言うので、上院委員会の一員になるまでを依頼の内容に含ませた。
入院の条件が緩い下院委員会は、その特徴から上流階級でない層の人たちの視点やシリウス以外の街の者の知識や知恵を政策に取り入れる、という目的がある一方で、上院委員会は入院の条件がシリウスでの生活に深く関わるものであることからシリウス全体に詳しい者による組織、という意味合いが強いらしい。そのため、下院委員会と上院委員会とで、共にシリウスの街を良くしていくという目的は一緒なのではあるが、扱う資料は一部で異なるらしい。そこまでの説明を受けて、おそらくガーネットには上院委員会で扱う内容で手伝ってほしいことがあるのだとロッティは予測した。
上院委員会の一員になるには、しかし、抜け道のような方法があった。それは、下院委員会に所属しているときに、上院委員会のメンバー十人以上から推薦されること、というものであった。ブルーメルはその方法でガーネットに上院委員会に所属して貰おうとしているらしく、そこまでの説明を聞いたガーネットも特に質問をすることなく二つ返事で了承した。ロッティとしてはその推薦をブルーメル以外からあと九人もどうやって集めるのか疑問であったが、いつシリウスに来るか分からないガーネットと自分のために宿の部屋を取っているほどのブルーメルが、そのことを何も考えていないわけもないと考え、ロッティも特に何も訊かなかった。
その説明をロッティたちが聞いている間に、フルールがいつの間にか用意した紅茶をブルーメルの机に置いたが、ブルーメルはフルールにも指示を出した。
「フルール。今日からしばらく……ロッティさんと共に街の手伝いをしてあげて欲しい」
ブルーメルにそう告げられたとき、フルールは一瞬だけ動揺したように肩を震わせたが、ブルーメルの真剣な表情に圧されるように「かしこまりました」と小さく頷いた。
「大丈夫、状況が落ち着いたらまた私の世話をしてもらうよ。フルールがいてくれないと満足に美味しい紅茶も飲めないし、何より会話相手がいなくなるのは寂しいからね」
ブルーメルはそれまでの説明のときとは違った優しい口調でそう言うと軽くフルールを抱きしめた。フルールもそれで落ち着いたのか、先ほどまでの表情に戻った。
「それでは、差支えがなければよろしくお願いします。上院委員会になるにはどうしても戸籍が必要となるのですが、それもこちらで用意します。その後の連絡はフルールに手紙を届けさせますのでそれまであの宿でお待ちください」
それまでの雰囲気はどこに行ったのか、ブルーメルは再びニコニコと商人のような笑みを浮かべながらガーネットたちに頭を下げた。話はこれで終わったのだと思い、ロッティはようやく気になっていることを質問した。
「一つだけ、良いですか」
「何でしょうか、ロッティさん」
「どうしてガーネットに、こんなことをさせる必要があるんですか。依頼の意図がいまいち把握しかねます」
いきなり街に訪れたガーネットに、いきなり上院委員会として働いてもらうことを依頼することは、ロッティの想像を超える内容であった。ガーネットがもしシリウスの人間で、街でもそれなりの地位にいる人間であったりブルーメルと知り合いであったりするのならばその意図も分かりそうなものだが、ガーネットはブルーメルの付き人であり、街の人間にも親しまれていそうなフルールとは初対面だった。もしガーネットがシリウスでそのような立場にいるのならフルールのことを認識していないのは奇妙だとロッティは感じた。
ロッティの質問に、ブルーメルは顎に手を添え真剣な瞳で床を見つめながら数秒ほど考え込むような素振りをし、その後、真剣な表情でロッティの目を見て話した。
「確かに、ロッティさんの感じる疑問は尤もなものかもしれません……しかし、これは今後のシリウスを考える上では絶対に必要なことなのです。今すぐに筋の通った説明をすることが出来ないのは申し訳ないですが、この場はそういうこととして理解していただけるとありがたいです」
時間をかけて導き出されたであろうブルーメルの説明は、理屈ではなかった。しかし、ブルーメルのその言葉や眼差しには妙に真に迫るものを感じ、ロッティもすぐに反論する言葉が見つからなかった。雰囲気に呑まれて「分かりました、失礼しました」と答えたロッティにブルーメルは頷くだけであった。
ブルーメルはそれからもう一度フルールの頭を撫でた。そのときフルールを見つめる眼差しは、やはり柔らかいものだった。
「では、これからこの人たちのことや……シリウスの人たちを、頼んだよ」
フルールは、まるで人に奉仕することを生き甲斐としているかのように、その日一番の笑顔を浮かべた。