第6話
文字数 3,226文字
突然の烈風に、壁に掴まるようにして張り付いたことで何とか持ちこたえたハルトは、何事かと風の来た方を見ると、鯱となったグランの真下からもくもくと不吉な煙が舞い上がっていた。グランはその後、槍の傷に呻いているのか、大きく口を開け、徐々にその身体を萎めていきながら地上へと向かっていった。実際に地上に降り立ったのかどうかは分からなかったが、それでもあの傷ではこれ以上の戦闘が無理なのは明白だった。気がつけば、ハルトはグランの言動を思い返していた。
世界を許せないと、確かに言っていた。碌に素性も知れない相手で、グランのことは何も知らなかったが、それでもあのとき見せたグランの怒りは深く激しく、それでいて見覚えがあった。
ジルも、同じようにリベルハイトのある人間を憎んでいた。ジルが孤児となることに至った張本人、ジルの両親を死に追いやった人間が、リベルハイトにいた。アルディナの手記の内容を知ってからもなお、この三年間半、ジルの仇を憎く思う気持ちは衰えているようには見えなかった。
セリアも、昔に一番大切な友人と家族を亡くし、ロッティとも離れ離れになったことで、そのときの事件を引き起こした人間を強く恨み、騎士団にまで所属していた。復讐に燃え続けた六年間だったが、同じようにアルディナの手記の内容を知ってからは、ジルとは対称的に、その復讐心に揺らぎが生じていた。先日騎士団たちの予行演習の日にハルトの前で吐露してくれた葛藤は、それまでの怒りと恨みが強かった分だけ余計にセリアを苦しめていた。
どの人も同じだと、ハルトは感じていた。幻獣族であるグランも、普通の人間であるジルやセリアも、理由は異なっていても、同じように恨みを持ち強い怒りを覚えた。そして、普通の人間であるジルやセリアも楽しそうに笑うときがあり、ロッティとガーネットと親しげに話していたグランも、きっとロッティたちとそういう瞬間があったに違いなかった。
どの人も同じ人間だった。同じようにそんな苦しみや喜びを感じながら、自分たち人間は生きていくのだと悟った。だからこそ、この戦いを一刻も早く終わらせるべきだとハルトはより一層自分を奮い立たせ勇気をみなぎらせた。
「助けてくれえ!」
熱気と焦げた煙たい臭いの中をかき分けて進むと、男性の悲鳴が聞こえてきてハルトはすぐさまそちらへ向かう。角を曲がったところで、尻餅着いた男性に二匹の狼型の魔物が襲い掛かろうとしているところを目撃した。ハルトはすぐさま足音を極力立てないようにしながら走り、剣を抜いて背後から素早く魔物に斬りつける。上手く急所を狙え、その魔物を一撃で仕留められたが、もう一匹の魔物はハルトに気がつくと後方へ跳躍してハルトと距離を取った。ハルトは男性の盾になるように立ち、剣を構え直した。魔物は警戒するように唸り、ハルトを睨みつけながらも、徐々に後退していく。ハルトが離されないようにじりじりとすり足でその距離を詰めていくと、やがて魔物は「キャイン」と可愛らしく鳴きながらハルトに背を向けてどこかへと去っていった。いなくなったのを確認してから、ハルトはすぐさま男性に手を伸ばした。
「早く、今すぐに避難させます」
男性は弱々しく手を伸ばし、ハルトはその手を取りさっとその男性を担ぎ上げる。その後、どこに連れて行こうかと迷ったが、先程の『シャイン』の借家の脇の路地裏にある入り口に連れて行くことにした。幸いなことに、道中何事もなく『シャイン』の借家まで辿り着いた。そのまま路地裏に入っていくが、そこまで遠くないところから剣と剣のぶつかり合う音が聞こえてきた。
「ここから早く逃げて、地下に降りて行けば少なくとも魔物は追ってこられませんから」
「ま、魔物はって、どういう、ことですか?」
「ま、間違えました! とにかく地下は無事ですので早く行ってください」
男性は不安いっぱいの顔ながら慌てて地下へと降りて行った。ハルトは冷や汗を拭いながら、ブラウが戦っているであろう音から離れるようにして路地裏から抜け出た。
しかし、開けたところに出ると、交戦しているのはブラウたちだけではなかった。男性を連れているときには聞こえなかった、魔物と対峙しているような騒ぎが遠くから聞こえてきた。濃い血の匂いが漂ってきて、ハルトは総毛立ち、すぐさまその方へと向かって行った。
走るたびに濃くなる血の気配を感じながら入り組んだ路地裏を進んで、再び開けたところに出ると、そこでは騎士たちが多くの魔物と対峙していた。先ほどハルトが対面したような狼型の魔物もいれば、より大きい図体をした四足獣で牙を生やした魔物もいた。魔物の数は多く、魔物たちの群れの遥か先には、魔物の遺体に紛れて騎士の恰好をした倒れている人たちの姿も見えて、ハルトは息が詰まりそうになる。
先ほどハルトと相対して逃げてきた魔物だろうか、その一匹が騎士たちの背後から襲い掛かろうとしていた。ハルトは目一杯足に力を込めて飛びかかり、騎士と魔物との間に割って入り、ちょうど騎士に飛び掛かろうとしていた魔物をすんでのところで斬りつけた。飛び掛かっていた魔物は勢いを失い、跳躍したときの格好のまま地面に墜落して力尽きた。その一連のハルトと魔物との対面に気がついた、襲われかけていた騎士が振り返りハルトの傍にしゃがんだ。
「大丈夫か、君」
「はい、問題ないです。俺も協力します」
飛び込んだ勢いで地面に寝っ転がるようになったハルトは、すぐに立ち上がり態勢を整え、魔物たちを睨んだ。その魔物の数の多さに、鳥肌が立つのを感じながらも、ハルトは剣を構える。騎士たちと呼吸を合わせて、魔物たちの隙を狙うためにも、懸命に目を凝らして観察していると、魔物の遺体に突き刺さる弓矢が見えた。弓矢を使う冒険家団体が協力してくれているのかと思っていると、再び弓矢が飛んできて、最前線で戦う騎士の目の前にいた魔物の瞳に見事に当たっていた。
ここにはいない誰かも協力してくれている。その事実にハルトは自身を奮い立たせ、気合を入れ直した。
☆
背の高い建物の屋上に立つと、街の荒れていく様子がよく見渡せた。見通しの良い場所で、ガーネットは弓を構え、普通の人より優れる耳を澄ませ、目を凝らして地上の魔物を索敵した。目で見るのもやっとなぐらい遠くの魔物を見つけては矢を番え、狙いを定めて矢を放つ。ロッティと出会ってからこの日に至るまでの運命の日々を予知夢で見たとき以来、人生の半生を注いで磨き上げた弓矢の腕は、見事にその矢を魔物の目や脚、心臓部分や頭に当てていった。あちこちから立ち昇る火の勢いが、ガーネットの周辺の気温を上げ、酸素を奪っていくが、ガーネットは汗を拭う間もなく、煙を吸って意識を失わない程度に移動しながら無心に矢を放ち続けた。矢を放ち、魔物に当たることで、すぐそこまで迫っている死の恐怖を弓矢ごと放つことが出来るような気がして、ガーネットは何とか怖さに身体が震えるのを抑えられていた。
——俺は……アリスの元から離れようと思う
グランの決死の覚悟も泡方となって消えていき、グランは結局、夢で見たのと同じ末路を迎えた。帝都がこれまでの歴史上、ひた隠しにしながらも対幻獣族用として使ってきた兵器によってグランに幾千本もの槍が突き刺さり、それをガーネットと同じように予知夢で見ていたのであろう、ノアの背中に乗っているミスティカ族が、賢者の石を利用した爆弾を投下し兵器を破壊する。夢で見た通りのことが実際に起きるのはこれまでにも何回もあったことではあるが、それでもグランの想いも届かず、アリスが死んでしまった現実にガーネットは虚しくなっていくばかりであった。想像していた以上に心が蝕まれていくのを感じ、どんどんと目の前が真っ暗になっていくような気がした。こんな死の恐怖に耐えて意志を貫いてきたブルーメルやニコラスに畏怖の念を覚えずにはいられなかった。