第9話
文字数 3,634文字
建物に辿り着き、ロッティは一度深呼吸して、改めて覚悟を決めてからゆっくりと扉を叩いた。もしかしたら今は帝都にいないかもしれないというロッティの心配も杞憂に終わり、すぐに中から朗らかな声が聞こえてきて、扉がばっと開かれた。
「あ、ロッティ君じゃん、久し振りー!」
出てきたその人、シャルロッテは、ロッティの顔を見ると無邪気そうな笑みを零したが、ロッティにはその笑みも胡散臭く見えてしょうがなかった。シャルロッテの背後でもぞもぞと眠そうな顔を覗かせたシルヴァンが「誰だ、いったいこんな朝早くから」とぼやいていた。その態度は、本当に慈善団体の団長を務めているのかと疑問に思うほど、柄が悪く迷惑がっていた。
「ほら、ロッティ君だよ。元『ルミエール』の子」
シャルロッテが振り返って嬉々として説明する。その説明にシルヴァンも眠たそうな顔をみるみるうちに覚醒させ、だらしなく折れている身体も背筋を伸ばして起こした。シルヴァンは奥の方にいる誰かに向けて「ちょっと待っててくれ」と言い伝えて、ロッティの方へ近づいてきた。
「んで、どうしたんだロッティ君」
シルヴァンはシャルロッテを押しのけんばかりに二人の間に割り込んできた。入口から見えなくなったシャルロッテの悲鳴が聞こえてくる。先ほどの柄の悪さはどこへ行ったのかと思うほど、爽やかな顔で出迎えてくれた。ロッティは敵対しているとはいえシャルロッテを不憫に感じながらも、気を取り直して相談することにした。
「あの、依頼があって来たんですけど、良いですか」
ロッティがおずおずと話すと、シルヴァンは顎に手を添え、考えるような素振りをしながらロッティに続きを促した。
「……ある人たちに、毛布を、あげたいんです。それも、気温の下がる夜や冬も凌げるようなしっかりとした……でも、俺はそういう知識が全然ないから、そこで、シルヴァンさんたちにそういう毛布を作り上げるにはどういう材料が必要なのかを聞こうと思って、話を聞きに来ました」
ロッティは覚束ない敬語でそう話すとシルヴァンは静かに顎を撫で、ロッティのことを真剣に見つめ返しながら考えているようであった。しばし悩む様子を見せた後、「それで、金はいくら出せるんだ、ロッティ君」とシルヴァンがおもむろに口にした途端、シャルロッテが仕返しと言わんばかりにシルヴァンを押しのけて横から顔を出してきた。急な横からの衝撃に、流石のシルヴァンも体勢が崩れ倒れそうになっていた。
「こらあ! 一青年を困らせるようなこと言うんじゃありませーん、団長!」
「とは言うが……ロッティ君はそのつもりで来たみたいだぞ」
シルヴァンが呆れたような目でシャルロッテを睨みつけるが、シャルロッテも引かずに食い下がった。
「そんなもん、私に任せとけば良いのよ! それに、材料を集めてくる手間をこの子が負えばそれで充分でしょうがっ。実際に作るところは別の団体さんに委託するわけなんだし」
シャルロッテはロッティを指差しながら勢いよく捲し立てた。シャルロッテの圧が凄かったのか、シルヴァンもやや引き気味に後ずさりしながら、シャルロッテを宥めるようとしていた。シャルロッテはその後、シルヴァンが首を縦に振るまで延々と詰め寄っていた。傍から見ててもそのやり取りは不思議で仕方なく、本当に任せて良いのかと罪悪感が募りながらも、そんなシャルロッテの姿を意外に思っていた。時折シャルロッテはロッティの方に視線を向けると、まるでロッティを安心させるように微笑んだ。その微笑みには、やはりリベルハイトのシャルロッテとして対峙したときの、冷徹で容赦のない迫力はまるで感じられなかった。
その後、粘りに粘ったシルヴァンが、自分自身と、駄々をこねてシャルロッテについて行きたがっていたルミアという男性も一緒という条件で、材料探しにロッティに付き添ってやる、と提示してくれた。ロッティとしてはむしろその条件は好ましいことこの上ないもので、何か裏があるのではないのかと失礼であると承知しながらも勘繰ってしまっていたが、シルヴァンが疲弊し切った様子で「シャルロッテがどうしても五月蠅くてな。あとルミアも」と零していた。
シルヴァンによると、ブランディアという樹海にカルトックスと呼ばれる、寒さに強い野蚕が生息しているそうで、その野蚕が作る繭の絹から仕上げた織物は断熱性に優れているという話であった。ブランディアは、フラネージュを中心とする雪原地帯の近くであり、そのためフラネージュに許可を得るのも含めて日数がかかる大掛かりな遠征になるそうである。そのために準備を整え三時間後にまた『シャイン』の借家に集合という話に落ち着いた。ロッティは感謝の言葉を述べてから、一度小屋に戻り、ガーネットたちにその話を伝えた。
「おいおいおいおい、お前までいなくなって俺はどうすりゃいいんだよ。退屈で死んじまうぞ」
説明をし終えると、グランが駄々をこねていたが、ガーネットがいつの間にか作っていたリンゴのパイを口に咥えさせられて大人しくさせられていた。すっかり手懐けられているグランに何とも言えずロッティは視線を逸らしつつ、ガーネットに小さく頭を下げた。ガーネットは少し寂しそうな顔をしながらも微笑んでくれた。
「良いの、それが貴方のしたいことなら。行ってらっしゃい」
ロッティは、『ルミエール』時代の大剣と採集袋をしっかりと携えながら、ガーネットとリンゴのパイを頬張るグランに見送られながら小屋を後にした。
再び『シャイン』の借家の前に戻ってくると、シルヴァンたちはとっくに準備を済ませてロッティを待っていた。
「すみません、遅れました」
「いや、構わない。それじゃあ、馬車に乗ってくれ。俺が馬を牽いて行く」
シルヴァンは、朝出会った時の眠そうな様子は跡形もなく、きりっと顔を引き締めて皆に指示した。ロッティたちもその指示に従って馬車に乗り込んだ。
ロッティが遠慮がちに隅に座っていると、シャルロッテがおもむろに近づいてきた。その後、ルミアという男性が、ロッティを睨みつけながら近づいてきた。その視線が気になったと同時に、がたんと馬車が揺れ、馬の駆ける音と共に振動し始めた。窓の外の景色があっという間にくるくると変わっていく。
「シルヴァンさんに無理言っちゃったみたいになったけど、良かったんでしょうか」
二人に近寄られ気まずさを感じたロッティは、何となくそのことを口にしてみると二人とも何でもないという風に息を吐いたりニヤついたりしていた。
「団長も団長で、今回新しい素材を持ってきては無理やり製作する人たちに売りつけて儲けるつもりだと思いますので、大丈夫ですよロッティさん」
「そーそー。団長も極端に朝弱くてちょっと荒っぽいところがあるだけで、意外としっかりしてるから」
ルミアとシャルロッテが口々にそう言うと、前方の方から「聞こえてるぞお前ら」という声が聞こえてきた。
「いや、それもそうだけど……団長も出てきちゃって、その間に依頼が来たらどうするのかなって気になりまして」
ロッティが控えめにそう言うと、シャルロッテが面白がるような顔で口添えた。
「大丈夫。むしろ最近そういう依頼なくて苛々してた所なの、団長」
「シャルロッテ様……あまりそういうこと言うと、また団長に引っ叩かれますよ」
ルミアが残念なものを見るような目で、賑やかに笑うシャルロッテを見つめていた。話しているぶっちゃけた内容もそうだが、リベルハイトとしての顔も知っているシャルロッテの見せるそんな一面に、ロッティはただただたじろぐばかりであった。道中もシルヴァンに関わる話を中心として、三人で静かに盛り上がった。ロッティはシャルロッテのことがますます分からなくなるばかりであったが、楽しそうに話したり、ルミアに度々咎められたり詰め寄られたりしているときのシャルロッテの様子は、どうしても演技だとは思えず、嘘偽りの感情はどこにもないように感じられた。