第19話
文字数 3,601文字
「私たちは店主の仕事を手伝った代わりに、ご厚意に甘えてジュースを頂くことにしたのです」
「ふーん……? つまり私の酒は飲めないってこと?」
「シャルロッテ、いい加減にしろ」
意識のはっきりしない胡乱な目つきでロッティを見ていたシャルロッテの頭を拳が襲った。シャルロッテは大袈裟に頭を押さえるが、拳を振るった人は何事もなかったかのようにロッティたちに向かい合う。その間に店主がロッティたちに海岸で育つ果物のジュースを持ってきてくれ、ロッティたちはそれを受け取った。
「シャルロッテが毎回煩くてすまない。俺はシルヴァン。このどうしようもない奴の上司だ」
シルヴァンがシャルロッテの頭を押さえながら器用に逆の手でロッティの方へ差し伸べる。シャルロッテの上司ということに警戒したが、シャルロッテへの態度に反して優しい顔つきをしており、ロッティは差し出された手にそっと応じた。シルヴァンは満足そうに頷いた。ロッティの横ではフルールが無邪気にジュースを飲んで頬を緩ませていた。
「俺は、ロッティって言います。シャルロッテさん経由で知ってるかもしれませんが」
「そうだな、シャルロッテからも聞いてるし、ブラウの奴からも君の話は聞いている」
シルヴァンは豪快に酒を呷ると空瓶をコトっとロッティたちのテーブルの上に置いた。その仕草こそブラウと重なるところがあるが、シルヴァンはどう見ても二十代そこそこの見た目をしていた。
「シルヴァンさんは、団長と知り合いなんですか」
「そうだな……古くからの付き合いだ。こんな顔してると誤解されるみたいだが、俺もそこそこいい歳だしな」
「団長~誤解されるのも自業自得ですって~。ちょうど今のロッティ君ぐらいのときに間違って若返りのシクマの光根ってやつ食べちゃったんですよねえ。団長もドジなところありますよねえ」
「人の過去をべらべらとお前は」
けらけらと陽気に笑うシャルロッテの頭を再び拳が襲った。
ちびちびとジュースを飲むロッティに対して、シルヴァンは次のお代わりを頼んでいた。成り行きだったとはいえ同席することになり、ロッティは何を話せば良いか分からずジュースの味もよく分からなくなった。
「……ロッティ君、君が何故ブラウのところから出ていったと聞いたが、それは本当か?」
「……はい」
どうしてそんな話題をわざわざ振られたのか分からないロッティは、顔を背けてジュースを飲むことしか出来なかった。
「なるほど……なあロッティ君、うちに来てみる気はないかい?」
「……え?」
突然の話の展開に、ロッティはその意味を理解するのに一瞬間が空いた。先ほどまで頭を痛そうに抱えていたシャルロッテが横で小さく「おおー!」と盛り上がっていた。
「今君はフリーってことなんだろ? なら俺が誘ってもブラウたちは文句を言えないわけだ。ロッティ君、『シャイン』に来るつもりはないかい?」
何かの冗談だろうとロッティは戸惑って何も言えないでいるが、シルヴァンは至って真剣な目つきをしていた。発言を撤回する気配もなく、ロッティも答えを求められていると察して、思っていることを口にした。
「確かに今は『ルミエール』を離れてます。でも……俺、今はどこにも所属するつもりはないんです。『ルミエール』を離れたのは、『ルミエール』を嫌になったからってわけじゃないんです」
シャルロッテは横で喚いていたが、シルヴァンは至って平静で、しばらく黙ったまま、真意を探るようにロッティの瞳を見つめていた。その眼光は、本当に酒を飲んだ人のそれだとは思えないほど鋭く、それでいて厳格さを帯びていた。
やがて固い空気を解いて、シルヴァンは二杯目を一気に呷りその瓶も空にした。
「そうか……それならしょうがないな。何があるのかは知らないが、頑張れよロッティ君」
シルヴァンは静かに立ち上がり、「戻るぞ」と言ってシャルロッテの首根っこを捕まえて店の会計カウンターまで引っ張っていった。引きずられながらも「そんなあロッティ君~」とロッティに向かって恨みがましく手を伸ばしていた。
ちょうどその頃フルールがジュースを飲み終えた。
「こんな昼の時間から飲んでいるなんて、あの方たちもストレスが溜まっているのでしょうね」
フルールは、シルヴァンが拗ねて暴れているシャルロッテを宥めている光景をじっと眺めながらしみじみと呟いた。ロッティたちを未だに見ているシャルロッテとなるべく目を合わさないようにロッティも二人を見ながら「そうかもな」と答えた。
先日の暑い日はすぐに過ぎ去り、湿気を含んだ空気と共に雨の季節が訪れようとしていた。起床後、何となくやる気の出なかったロッティの元へブルーメルからの手紙が再び届いた。
「またか……」
シリウスに着いてからそれなりに長い年月が経ち、ブルーメルとの対面はそこまで多くはなかったが何度も同じような方法で呼び出されるため、ロッティも少々の面倒くささを感じていた。これまでのパターンから、フルールへの置き手紙は要らないだろうと判断したロッティは、すぐさま準備を済ませて講堂へと向かった。
ブルーメルの部屋へ行くと、予想通り多くの書類を相手に忙しくしているブルーメルと、その傍で書類を運んだり紅茶を淹れたりしているフルールがいた。
「お疲れ様です。毎度申し訳ないですが、少しだけお待ちください」
ブルーメルはお決まりの台詞を言って黙々と書類を処理していた。ロッティはフルールの邪魔にならないように壁際に寄って、窓の外の不穏な空模様を眺めていた。
しばらくして、あっという間に書類の山を片付けたブルーメルは、フルールの頭を撫でてから立ち上がってロッティの傍に来た。
「今回は何の用でしょうか」
「そう腐らないでください。今回は少し大変なお仕事ですので、ロッティ様もやりがいがあるかと」
ビジネススマイルを浮かべるブルーメルは、シャルロッテに近いものを感じ、ロッティは苦手意識を持っていた。しかし、ロッティをずっと見つめていたブルーメルは、徐々に神妙な顔持ちになった。
「今回の依頼を聞いてもらう前に、まずロッティ様にこれまでこの子……フルールを見守ってくださったことについてお礼を申し上げたいと思います。今まで本当にありがとうございました」
「……?」
「……やっぱりフルールを見守らせるために、俺にフルールの手伝いなんて頼んだんですね」
「……やはりお気づきでしたか」
一度頭を下げて顔を上げたブルーメルの表情には、先程までの胡散臭さはなく、すべてを曝け出しているような清々しさと堅い意思を感じさせた。状況をいまいち飲み込めていないようであるフルールは頭を傾げるばかりであった。
「ロッティ様がどこまで知っているか存じませんので、非礼を詫びる意味ですべて白状しますと……私とガーネットとで、ある問題に対する準備を急速に進める必要があったのですが、その問題に取り組んでいる間どうしても私はフルールを注意深く見てあげることが出来ません。そこでガーネットがお連れしていたロッティ様にフルールの傍にいるようにお願いしたわけです」
「……別に、失礼なことをされたとは思っていません。俺にとっては、別に……」
その先の言葉を言えないでいるロッティを視認して、ブルーメルはすらすらと練習でもしていたかのように話を続けた。
「ですが、詳しい事情も話さないまま巻き込んだことに変わりはありません。大変失礼いたしました。そして……フルールの傍にいてくれて、本当にありがとうございます」
ブルーメルは、再び深く頭を下げた。そこには、シリウスを発展に導き、街を動かすほどの地位にまで登り詰めた威厳とカリスマはどこにもなく、ただひたすらに一人の少女のために頭を下げる母親のような姿があった。
ブルーメルは
「ロッティ様のおかげでここまで来ることが出来ました。ロッティ様、今もう一度、正式に貴方に依頼を出します」
畏まった態度で話し始めるブルーメルの声は、珍しく震えていた。ロッティもその声に緊張した。
「これからしばらく……おそらくロッティ様の能力があれば一週間ほどで終わるでしょうか……一週間ほど、私の護衛をお願いします。そしてフルール……貴方には暇を出します。もう私に仕えずに、ガーネットたちの家にいてください」