第8話
文字数 2,780文字
母親も父親も、セリアもブルーノもどこにいるか分からないロッティは、当てもなくでたらめに街中を走ることしか出来なかった。逃げ惑う人々の中に自分の大切な人がいないか目を凝らして懸命に探した。建物の窓ガラス越しに、商品らしき物が火の海に消えていくのすら鮮明に見ることが出来たが、なかなか両親やセリアたちの姿は見つからなかった。
「だ、誰かあ!」
悲鳴が聞こえて、先ほどと同じ姿をした生物が住人を襲おうとしているのを見ては、ロッティはその生物を先程と同じようにして倒していった。気が急いてしまっていたロッティは、生物が動かなくなったのを確認するとすぐに、人に声をかける余裕もなく再び走り始めた。
何の検討もついていない状態で走り回るのは思っていた以上に精神的な苦痛が伴った。それに比例するかのように膨れ上がる不安が胸をさらに強くざわつかせ、胸を埋め尽くさんばかりの焦燥感に呼吸が浅くなっていく。体力や体の丈夫さには自信があったが、これ以上ない異常事態の上、いつになれば両親を見つけられるのかという不安がロッティの神経をすり減らし、たびたび走り疲れて、膝に手をつき、息を整える。それでも、気が急くロッティは雨でへばりついた髪を軽く振って再び走り始めた。
雨は依然として降り続けている。日中の間は何とも思わなかった雨雲が、今では不安を孕んだ暗雲のように黒くなって重苦しく上空に佇んでいた。雨によって高まる湿気は逃げる人たちの体力を着実に奪い、火が上がる街の熱で蒸気が生じると視界は靄がかかったように悪くなり、逃げる気力すらもヒビが入ったかのように脆くなっていった。
ロッティもその例外ではなかった。道中、何人もの人が血塗れになって倒れているのを見かけてしまい、それらを見る度にその姿に両親やセリア、ブルーノの姿が重なりそうになる。頭に血が上り、興奮して我を忘れないようにと必死に冷静になろうと深呼吸を繰り返しながら、能力を発揮して生物を倒して、目から血が流れるのではないかと思うぐらい凝らして大切な人たちを探し続けた。集中力が欠け始め、生物との距離も遠いと能力が通じにくいときがあり、そのときには代わりに襲われている人を浮かせることで生物の攻撃から助けていた。その後、ゆっくりとその生物に近づき、同じように能力を発揮して倒す。助けられた人は腰を抜かして動くことが出来なくなっていた。
興奮しつつも妙に冴えた頭は、ロッティを狙って突進してくる生物の気配をすぐに察知し、ロッティは軽々とそれを躱し、すぐさまその生物を真正面に捉え、能力を用いて撃退することが出来た。それでも、これまでにこんな頻繁に能力を駆使したことはなかったため、次第に能力を使うと足腰から力が抜けていくようになり、足がふらつきそうになった。その度に一呼吸置いて、能力を使った疲労を何とか取り戻す。
街の人たちの視線を次第に集めながらも、生物との対峙や、両親やセリアたちを探すのとで余裕のなくなっていたロッティはその視線も気にすることなく、ひたすら火の海の中心地へと向かっていった。
数年前、読み聞かせの会があった建物の近くを通ったところで、両親を発見することができた。
両親以外にも何人かの住人が集まっており、何度も目にした例の生物に皆追いやられているところであった。その生物も、角を鮮血に染まらせ、今まさに両親たちや住人にその角を突きささんと嘶いていた。ロッティは、すぐさま能力を使って、その生物を天へと上昇させて能力を解く。為す術もなく持ち上げられたその生物は、空中で足をじたばたさせるも、無慈悲にそのままその高さから落とされ、地面に叩きつけられると悲鳴のような鳴き声を上げてすぐに動かなくなった。
恐怖の対象だった生物がいきなり視界から消え、再び地面に落ちてきた一部始終を目撃した人たちは唖然としたり、そのことに吃驚してわずかな悲鳴を上げたりしていた。両親も何が起きたのか分からないという風に瞬きを多くさせていた。
「母さん! 父さん!」
ロッティの両親は幸いなことに、傷を負っていなかった。ロッティはようやく安否を確認出来た喜びで緊張が解け、すぐさま両親の元へ駆け寄った。
しかし、喜ぶロッティの反応とは対照的に、両親の表情には息子の安否が確認できた喜びはなく、どのように反応すればよいのか途方に暮れているような、困惑した色が浮かんでいた。その表情に、ロッティは急激に血の気が引いてくような、胸のうちで高まっていた熱が急激に冷めていくのを感じた。
「お前、どうやってここまで……」
父親の響く低い声にロッティは返答に詰まった。怯えているわけでも喜んでいるわけでもない父親の表情と、今まで隠していた能力をどう説明すれば良いのかという戸惑いとで、ロッティは何も言えずに両親の顔を交互に見つめることしか出来なかった。
「そ、そんなこと良いじゃない! ロッティ、無事で良かったわ!」
母親の空元気にも似た乾いた声は、鋭利な針のようにちくりと胸の内に突き刺さった。ロッティは素直にその言葉をそのまま文字通りに受け止めようとしたが、母親の顔を見ると罪悪感にも似た暗い感情に心が覆われ、母親に伸ばしかけた手も止まってしまった。母親の瞳はうっすらと潤んでおり、涙を滲ませていた。ロッティはもはや両親を直視するのも辛く、顔を俯かせた。
「今の、その子供がやったのか?」
両親でない、大人の男性の声が聞こえた。
「何も触れずにあの化け物を動かしていたのか?」
また、別の誰かの声。
そんな困惑と混乱の入り混じる声に囲まれ、ロッティは怖くて顔を上げることが出来なかった。そのときになってようやく、ロッティは自分の隠していたものが最悪な形で明るみになったことに気がついた。混乱と恐怖の入り混じった無数の視線を浴び、深い罪悪感に胸が苦しくなって、顔を上げるのすら怖くて出来なかった。
それからのことは、どれぐらいの時間が経ったのかも、ロッティはよく覚えていなかった。両親を守るために退治した生物で最後だったのか、不思議とその後生物に襲われているような悲鳴は上がってこず、両親と合流してからしばらくして、街を襲った悪夢は収束に向かっていった。
火の上がり、人ではない異形の生物と遺体の横たわる凄惨な街の風景を、ロッティはどこか遠い国の出来事のように眺めていた。