第11話
文字数 3,597文字
「へっ……うるせえよ。そっちこそ、相変わらず朝は、弱いようだな」
シルヴァンがアベルの肩に掴まるブラウを見るなり、開口一番呆れたような口調で煽り、ブラウも憎まれ口を返した。アベルがブラウに無理して喋らないようにと落ち着かせている間にクレールが事情を話した。いきさつを聞き終えたシルヴァンの顔には先ほどまでのふざけた様子はなく、いつも見かける真剣な顔つきに戻っていた。
「ふーん……それで、報酬のほどは?」
「それは団長の治療が無事に済んでからにしてもらおうか」
「んー……強かだなあ。それが人にものを頼む態度かー……?」
シルヴァンは口では気怠そうに文句を言いつつも、なんだかんだ拒否するような態度は見せず、そのままクレールと交渉の結果、ブラウについていけないクレールとハルトの分、二人をつかせてくれる、ということになった。
それで話が一旦落ち着き、クレールはアベルとブラウに一言二言声を掛け、その後ジルとルイにもエールを送りながらハルトの下にやって来て「俺たちも早速向かおう」と言った。シルヴァンも眠そうに頭を掻きながらも中へ戻ろうとしていたが、扉の横に立っていた、クレールたちの代わりにシルヴァンを呼んでくれた男性がシルヴァンを呼び止めた。男性はシルヴァンが振り向いたのを確認すると、ハルトの方を指差した。
「なあシルヴァン、俺はこのガキについてくぜ」
「……は?」
唐突な男性の発言にハルトは口をぽかんと開けて、クレールも疑るような目で男性のことを見たが、男性はこちらの意など介さないようにシルヴァンの方を見ているだけだった。シルヴァンは眠そうだった目をさらに細めて、諦めきったように肩を竦めた。
「好きにしろ……その代わり、途中で投げ出してくるなよ」
シルヴァンが案外容易に『ルミエール』からの依頼を受けてくれたことを快く思う間もなく、代わりについてきた不審人物、ニコラスを警戒していたクレールは、酒場『琥珀園』まで向かうまでの道すがら、すれ違う人とぶつかりそうになりながらもニコラスに次々に質問していた。その勢いにハルトも思わず「まあ悪い人じゃなさそうだから良いじゃないか」と口を挟んでしまったが、クレールに「ハルトは人が好過ぎるな、団長と同じタイプだ」と憤りたっぷりに凄まれてハルトはそれから何も言わないことにした。クレールの刺々しい質問に対して、ニコラスはクレールの反応を面白そうに見ながら飄々と答えているのを聞いていると、ニコラスは『シャイン』に所属こそしていないがシルヴァンとは古くからの付き合いであり、ときどき『シャイン』の仕事を手伝っているらしい、ということが分かった。ハルトはそれらを聞いて、『ルミエール』にとってのアランのような存在かなと思い浮かべ、悲しい気持ちに沈んでいると、やがて『琥珀園』まで辿り着いた。
『琥珀園』の前でハルトはクレールと目配せし合い、中におずおずと入っていった。中は昨日と同じく厳かな雰囲気に包まれており、思わず背筋を伸ばして歩くハルトであったが、店内にセリアがいないことに気がついた。先日のセリアとの口約束では、今日の午前中にもう一度『琥珀園』に訪れるから、話を訊く気があるなら来て、というものであった。ハルトはあまり深く考えず、クレールたちに「まだ来ていないみたいなので、ちょっと飲んできましょう」と提案したが、クレールに「それなら別に中で待っている必要はないんじゃないか」と答えられハルトも無意識に「あっ」と漏らしていた。
しかし、ニコニコと笑みを浮かべるニコラスが「良いじゃねえか、呑んでいこうぜ」と強引にハルトの肩を掴んでカウンター席まで連れて行った。ハルトはどうすればいいかとクレールの方を確認するが、クレールは渋い顔をしてニコラスを睨みつけながら、渋々といった様子でついてきていた。
昨日と同じようにカウンター席に座り、念のためハルトは店員に注文するがてらセリアという女性が来なかったか尋ねたが、首を横に振るだけだった。ニコラスは何も気にしていないように暢気に酒を頼んでいた。その銘柄は昨日ジルが注文していたものと同じものだった。クレールは水だけを頼んで、呑むふりをしながら密かに背後のテーブル席に着く人の会話を盗み聞いているようだった。ハルトもそれに倣って昨日頼んだのと同じオレンジジュースを静かに飲みながら、扉の開く音に意識を集中させた。
しかし、ちびちびと飲んでいたオレンジジュースがほとんどなくなる頃になってもセリアはやって来なかった。次第に扉の開く音に敏感になってきたハルトは、その音が聞こえるたびに勢いよくその方を振り向いていたが、毎回小綺麗な衣装を纏った偉そうな婦人やらが入ったり出て行ったりしていくだけであった。流石にこれ以上の長居で注文しないのは失礼だと感じたのか、クレールが後になって頼んだ酒もグラスの底を尽きそうになっており、クレールはハルトをちらりと見た。その視線に気づいたハルトも頷くと、クレールは立ち上がって、わざわざ店内に響き渡るほどの声で「会計を」と店員に告げて、そのまま会計を済ませた。
「んあー? もう行くのかよー?」
朗らかな調子で不服そうな声を上げるニコラスは既に酒に酔わされた様子でふらふら揺れ動く赤い瞳でクレールを捉えるが、クレールはそれを意にも介さずにニコラスの首根っこを捕まえた。ニコラスも引き摺られないように立ち上がり、ハルトたちはそのまま『琥珀園』を出た。
それからしばらく『琥珀園』から下ったところでクレールが立ち止まった。
「ハルト。本当に待ち合わせ場所、時間共に間違っていないんだろうな」
クレールが顎でくいっとどこかを指す。その方を見てみると、時計台の針がとっくに午前を過ぎていることを指し示していた。ハルトも不審に思いながらも頷くと、クレールは何ともつかない声でぶつぶつ呟いていた。
「おいおい、そのセリアってお嬢ちゃんが来るまで呑ませてくれよー」
「……あんたが何しに来たのかは、ひとまず置いておくとして。これは少し不味い状況かもな」
クレールが再び歩き始めるが、そのスピードは早く、ハルトは置いてかれないように慌てて追いかける。ニコラスも飄々としてついてくるが、先程までの茶化すような雰囲気はなくなり面白そうなものを見るような目でクレールの話に耳を傾けているようだった。
「まず、セリアが来なかったことについてだが……何か事件に巻き込まれたのかもしれない」
「……セリアが俺たちを騙してたり、敵の一員だって可能性は、外して良いんだな?」
ハルトがそう訊くと、クレールは必死に頭を働かせているようで難しい顔をしたままわずかに頷いただけだった。その様子が、ことの深刻さを物語っていたが、ハルトはいまいちピンとこず、クレールの説明を待った。
「ハルトたちは昨日、偶然『琥珀園』に訪れたんだ。見ず知らずの人間がそんな偶然現れた、しかも初対面の人を相手に約束の時間に現れないなんていう悪戯まがいの騙しをするとは思えない。また、意味もないからこれは外せる。次に、もし連中の一員だった場合だが」
クレールはどこか目的地に向かっているかと思ってついて来たが、『ルミエール』の借家が見えたところで道を外れて全然関係ない道へと進んだ時点で、ハルトはクレールがどこか目的に向かって歩いているのではなく適当に歩いているのだと気がついた。
「これも恐らくだが、考えにくい。何故なら、約束の時間の間に俺たちに何もしてこなかったからだ。団長たちの方に人数を割いているし、何か罠にかけるとしたら間違いなく俺たちに仕掛ける方が楽だ。だが、結局約束の時間を過ぎても特に何も起こらなかった。俺たちを二手に別れさせるためという程度の罠だったとしてもシルヴァンに協力してもらえたことが大きい、状況を良くさせることには成功している。俺たちが団長の方よりこっちに人数を割くと想定した作戦を連中が立てていることもないだろうし、やはりセリアが連中の一員だったことも考えなくていいだろう。店にいた客の会話も自然だったし、俺が会計を済ませてから出て行くまでの間も変な所はなかったしな。ハルトの勘もあることだし」
最後に付け足された言葉にハルトは少し恥ずかしくなるが、クレールは至って真剣な顔をしていた。そのまま今度は『シャイン』の借家が見えてくるが、クレールは少しだけ逡巡しながらも、方向を変えて再び違う道へと逸れていった。
「ここまでの話を整理するぞ。昨日偶然出会ったセリアは自分から言い出した約束の時間に来なかった。しかし、それは悪戯とも連中の一員で罠だったからとも考えにくい。何かしらトラブルか、最悪の場合事件に巻き込まれている可能性があるかもしれない……とまあこんなところだな」