第6話
文字数 3,467文字
アランも同席した馬車の中は、いくら暦の上では寒い時期に突入してきたとはいえ、あまりにも急激に冷えてきたので、一同はシリウスにて準備してきた防寒具に手を伸ばし、一刻も早く到着するのを待ち望んだ。
そして、シリウスを出てから一週間後、向かう道中雪が降り積もり馬車の進みも遅くなりながらも、ようやくフラネージュに到着した。フラネージュの周囲を取り囲む川はその表面をすっかり凍らせていたが、その氷の下で魚が逞しくゆらゆらと泳いでいる影を見せていた。白一色だった景色が開け、馬たちが門をくぐっていくと立派な街壁が見え、雪に埋もれた街並みが流れてきた。
「じゃあ俺とジルで馬車を預けてくるから、団長たちは宿を取ってそのまま街長のとこまで行ってきてくれ」
馬車を止めたクレールが白い息を吐きながらそう言うと、ジルも黙って頷き、二人は共に『ルミエール』の馬たちを厩舎へと連れて行った。馬車から降りたハルトは寒さで震える腕を懸命にさすりながらブラウたちの後をついていった。シリウスのときとは違って、歩くたびにざくざくっと雪を踏みしめる音が控えめに鳴る。
シリウスではようやく肌寒くなってきたというばかりであったが、一足早く雪が降っているフラネージュでは、とっくに地面に雪が積もっていたり、視界が雪のせいで悪くなっていたりした。雪一面の地面に、馬車が通った跡と思われるわだちや、フラネージュの住人と思しき足跡がうっすら残っていた。そんな雪景色に反して街灯が明るく街の雪道を照らしており、行き交う子供たちはエネルギーに満ちた様子で走り回って遊んでいた。
街に入って近くの宿に部屋を取り、その足でそのまま街役所の建物までやって来たところで、突然ブラウが「ルイとハルトは外で待っていてくれ」と告げてきて、ハルトとルイは息が詰まり咳き込んだ。
「な、なんでだよ団長!」
「アランの依頼に関係があるなら、大勢で話を聞くわけには行かない。まだ受けると決まったわけではないからな」
「どうせ引き受けるだろー団長!」
ルイの悲痛な叫びも届かず、ブラウはアランとアベルを連れて無情にも建物の中に入っていった。去り際にアベルが「じゃあなー」とご機嫌そうにからかってきたことで、ルイはすっかり頭に来たようでしきりに地面の雪を蹴り上げた。ふわっと雪が舞い、ハルトの服に付着し、じっとルイを睨みながらハルトはその雪を払う。それから、ハルトは扉を背にして蹲り、歯ががちがちと震えそうになりながらも少しでも身体から熱が逃げないように自分の身体を抱きながら街の様子を眺めた。無情にも閉ざされた扉は開く気配を見せず、ルイも諦めて扉を背にもたれかかった。
街を眺めていると、ちょうど先ほど見かけたような子供たちが、ある子供一人を指差して遠くから何かを投げつけている光景が目に入った。何かを投げている子供は無邪気に投げつけるだけで、そこに悪意があるのかどうかは判別つかなかったが、それを受ける子ども一人の方は何の抵抗を見せず、投げられるものに必死に身構えているだけであった。そこまで気づいた辺りでハルトは疑い始めたが、やがて投げられている物に石らしきものが見えて、ハルトはたまらず飛び出した。
「そんなもの投げたら怪我するだろうが」
子供たちは、急に割って入ってきた、自分たちよりも背の高い人物に戸惑ったように動けずにいたが、ハルトがもう一度「もうこんなことするんじゃねえぞ」と怒鳴ると、すっかり怯えたように、蜘蛛の子散らす勢いでさっさと退散していった。
「まったく。逃げるんじゃなくてこの子に謝れよなー。大丈夫だったか?」
ハルトは振り返って子供の目線に合わせようとしゃがむも、虐められていた子供はハルトから一歩引くように後ずさりした。ハルトは首を傾げて一歩近づくと、子供もそれに合わせてまた一歩引いた。ハルトはそれ以上近づくのを諦めて、せめて安心させるように笑って見せたが、子供はおどおどした様子で、一度遠慮がちに浅く頭を下げたと思うと目を合わせようともせずにそのままどこかへ行ってしまった。子供がすれ違う際に一瞬だけ見えたとがった耳が印象深かったが、すぐに困惑が打ち勝ってしまった。
「なんだったんだよーマジで」
一応は一段落したことで再び寒さを思い出した身体は震え始め、ハルトは再び身体を擦りながらルイの元へ戻ってきた。ルイに同意を求めようとそんなことを愚痴ったハルトだったが、ルイは呆れたような顔でハルトを見つめていた。
「いやいや、子供たちからすればハルトのことを『なんだったんだよーあいつ』って今頃思ってるだろうぜ」
「だってあいつら石投げてたんだぞ。しかもよってたかって。許せるかよ」
「はいはいオーケーオーケー。今のは子供たちの気持ちを代弁してみただけだっての。俺自身は素直に感心してたところだから」
ルイが宥める調子でそう言ってくれているのは分かったが、それでも不満の収まらないハルトは憤った胸中のまま、先程と同じように扉を背にして蹲った。試しに扉に耳を当ててみても、ひんやりとした感触が無機質にするだけでもちろん中の会話が聞こえてくる気配はなかった。
「なあ、そういえばなんだがよ……ロッティって俺たちのところから去って、何してたんだろうな」
ルイが自分の口から吐き出される白い息をじっと見つめながらハルトに尋ねた。ハルトもしんしんと降り続く雪と白く染められた街の屋根をぼんやりと眺めながら、ロッティと会ったときのことを思い返していた。
ルイが疑問に思うように、確かにロッティが『ルミエール』を出て行った理由と、ロッティがシリウスでしていたこととは、何となく結びつかないもののような気がした。ロッティに会ってハルトに確信できたことは、ロッティは今は『ルミエール』に帰るつもりがない、ということだけだった。
ルイにも何か聞いてみようと顔を見上げるも、ルイも目を細めてぼうっと遠くを見つめたまま、つまらなそうに白い息を吐き続けているだけだった。それを見て、ハルトも尋ねるのも止めて、ブラウが帰ってくるのを黙って待つことにした。道中吹雪いていた雪は、街の中では不思議なほどゆったりと舞い落ちていた。
やがてハルトたちを寒空の下置いていったブラウたちが帰ってきて、「一度宿に戻ろう」ということでハルトたちは、文句を垂れ続けながら宿に戻っていった。宿の部屋では、すっかり待ちくたびれたようで、何冊も平積みされた本の傍らで静かに本を読んでいるクレールと、何の絵かまったく分からないものを真っ白な紙に描いているジルがいた。暖炉に火をくべ、部屋が暖まってきたところで、ブラウが話を切り出した。
フラネージュの街長の依頼は、この近くにて魔物の被害が出ていること、しかしその魔物の正体は誰も確認できていないこと、アランに調査を依頼していたがそれでも難航していたことから、武力を具えておりかつ縁のあった『ルミエール』にお願いしたいとのことだった。ブラウはいつものように二つ返事で了承したらしく、ルイたちは皆呆れたようにため息を吐いていたが、クレールは冷静にこれまでのメモ帳を見比べながら何かを書いていき、表情一つ変えずその紙面をじっと睨めっこしていた。
アベルが「何か甘いもの買ってくる」と言うので、ハルトもそれについて行こうと手を挙げてアベルと一緒に部屋を出ようとしたとき、クレールが立ち上がった。
「二人が出かける前に方針を固めておこう。気になることはあるけど……ブルーメルさんの依頼はフラネージュではひとまず置いておこう。明日、早速魔物の調査に行く。それで良いか?」
クレールの提案に、皆も賛同した。『ルミエール』ではなく、一人でこの依頼を請け負っていたアランも「お前らと一緒なら洞窟の探索も出来るしな」とほっとしつつも上機嫌そうだった。