エピローグ 取り残されても寂しくはない
文字数 3,442文字
幾人もの子供の声が重なり、私を振り返り、手を振りながら街の向こうへと走っていく。子供たちは和気あいあいと足を弾ませていた。窓から見えるその純粋で眩しい背中を見送りながら、手元の二冊のノートを開いて、片方のノートに一日の出来事と子供たちの様子をまとめていく。もう一冊の方は、ある未来を見た私に、大切な友人がわざわざ譲ってくれた日記の内の一冊である。そこに書かれている内容を文献を扱うかのように参考にしながら一日の出来事を考察しまとめる作業は、仕事を円滑に進める上では欠かせないことであった。
背後で何やら話し声とこちらに向かって歩いてくる音が聞こえてきて、私は参考にしていたノートを閉じる。譲り受けた相手から、ここに書かれている内容は私以外には見せないで欲しい、と頼まれていたが、そうでなくとも私はこの大切なノートを誰にも見せるつもりなどなかった。やがてノックの音が聞こえてきたので、「どうぞ」と返事した。
「失礼します。ガーネット先生、今しばらくお時間はありますか?」
そう訊いてきたのに遠慮なく私の前にやって来たその男は、私の仕事の邪魔にならないように何かの資料らしい書類を机の上に広げてきた。表紙には孤児院の経営企画と記されていた。
「許可を取る前から広げるものではありません。減給されたいのですか」
「ははっすみませんすみません……」
そう言いつつも男は少しも悪びれない様子で後頭部を掻きながら、私が先ほど視認した資料のタイトルを指差した。
「実は、帝都アルフリーデン皇女のアリス様から直々に貴方様にご依頼がありまして……」
「それは……急な話ですね。この書類の山が私宛の資料、ということですか」
男が「そうなります」と言い終えるのを確認してから私はその表紙を捲った。長年の経験からぱらぱらと素早く捲っていき大まかな内容を把握する。企画によると、昔私たちが救うことの出来なかった運命の少女が甲斐甲斐しく通っていた帝都の下町における企画のようで、その地域で孤児院と周辺施設を整えていくことで、未だ世界中の根深い問題となっている孤児問題に取り掛かると共に、帝都の更なる規模拡大を狙ったものであった。私たちが救えなかった少女の遂げられなかった想いを私自身が引き継ぐよう頼まれるのは、皮肉なことだと感じた。
「本当に仕事人間ですね、読むの早すぎます……最初の表紙にくっついている手紙をご覧ください」
「ん」
部下の呆れた口調に構わず、言われた通りに表紙の裏を見やると、花びらの模様が施された便箋が留められていた。
「ご苦労様です。この件に関して何かありましたらお呼びしますので、下がってください」
「はいはい、分かりました」
男は待ってましたとばかりに、最低限の礼儀を守った動作でさっさと部屋から出ていった。大切な友人の、そのまた友人の息子という縁があり、仕事上の付き合いが長いとはいえ、そろそろ本気であのぞんざいでぶっきら棒な勤務態度に対して然るべき処分を下そうかと考えた。
扉の向こうの男の足音が遠ざかり職員室に戻ったのを聞き終えたところで、皇女から直々に渡ってきた便箋を開け、手紙を読むことにした。
そこには私のことを先代皇女クロエから聞いていたこと、もし本当に困ったことがあったら私が一番頼れる人間であること、そして孤児院経営の業務形態や周辺施設についての相談を希望していることなどが記されていた。確かに企画書には目標と実施イメージだけが記されているだけで具体的な組織としての詳細は曖昧にしか書かれていなかった。
もちろん、この手紙が来ることも以前から予知夢で確認していた。もっと言えば、その後実際に私が現在務めている学び舎の学長と新しく設置されることになる孤児院の院長を兼任することも、分かっている。返事の手紙の内容も、それらを見た日から練っていたので、私はすぐさま手紙の返事に取り掛かることにした。念のために企画書の中身を確認するのと並行しながら、引き出しから新しい洋紙を用意し返事の手紙を書き始めた。
しばらく書き進めて目が少し疲れてきたなと感じて、ただでさえ一日の授業を終えた後で疲労がたまっていた身体を休めるため、ぐっと背筋を伸ばしながら再び窓の外に目を向けた。この窓は、私がわがままを言ったという名の職権乱用によって、自分の仕事場から子供たちが帰っていくのを見る目的で造ったものである。その窓から見える景色には、世界の運命が大きく変わったあの日の面影はどこにもなかった。ただひたすらに、私と私の友人たちが築き上げた世界が広がっていた。
あの運命の日からの私たちは、とにかく忙しかった。世界の中心となって国々を引っ張っていた帝都は崩壊し、今まで明るみに出ていなかったこの世界の脅威が白日の下に晒され、世界中の人々が不安に包まれた。そんな状況で世界中の人々を新しい方向へ導くのは骨が折れることであった。
それでも私たちは、足を止めるわけにはいかなかった。私たちは、新しい世界を築き上げると亡き友たちに誓ったのだ。誰よりも理解者で、誰よりも気持ちが通じ合っていた今は亡き友たちの想いをも跳ね除けたからには、そうしなければいけなかった。
今は亡き友たちの一部の人たちは、自分たちを誤りと認識し、本当に願った理想を最期に私たちに託してくれた。
先代皇女は、争いの引き金となった少女の死を無駄にせずにその想いを引き継いで民衆を導いてくれた。
強い意志で以て最後まで私たちの味方をしてくれた友人たちは、私たちがこの世界に生きることを認めてくれた。
そして、私の最も大切な友人は……親しい誰かといても感じる孤独感に打ち克とうとして、その孤独感を理解してくれる同胞の想いを打ち砕いてくれた。
そんな皆の想いは、あの日死ぬはずだった私を生かしただけに留まらず、その後の世界を大きく動かしていった。大樹の下で引き篭もっていたエルフ族の皆や、ミスティカ族を含めたリベルハイトの人たちが世間の人々に受け入れられ、仮初めでない平和を確かに築き上げていった。
そうして世界を変えていって、百余年が経った。転生した幻獣族の生まれ変わりは、未だ予知夢を以てしても観測できていない。あの日を生き残った私以外のミスティカ族たちも先の大戦や寿命による縛りでそう永くは生きられず、とうとう純粋なミスティカ族の生き残りは私だけになってしまった。ステファニーもエルマも、私たちが新しい世界へ歩むために力を尽くしてくれこの優しい世界を享受することは出来たが、願っていた幻獣族との再会はついに叶わぬまま、その積年の想いを友人の息子や娘に託して亡くなってしまった。あの運命の日を生き延び想いを分かち合った人たちは、もうこの世にはいない。運命の日を乗り越え、すっかり破壊しつくされた帝都が見事に再生したことに感動できるのは、もう私しかいないかもしれない。窓の外を見やる度にそんな考えが頭を巡り、胸が締め付けられてしまう。
これからが、私たちが夢見た理想を成就させるための正念場であった。最後の砦である私がいなくなった後も、私たちが願った世界が継続されるためには、今後の私にすべてがかかっていた。今まではあの運命の日を共有した仲間がいたから、何とか世界は異端者への不安に崩れずここまでやってこられたのだ。そんな皆がいなくなったこれからが本番なのであり、世界が試され、あの運命の日に打ち砕いた想いの持ち主たちに示しをつけるときなのだ。
沈みかける太陽が照らす街並みを一通り見終え、気持ちがある程度落ち着けたところで、私は再び手紙の返事に取り掛かった。企画書を確認しながら書き進めていると、ふとあるページに「孤児院の名前も未定、相談にて追々決めていきたい」という記述が乱暴にされているのが目に入り、予知夢で既に孤児院の存在を知っていた私は思わず呟いた。
「孤児院の名は、アインザームの楽園」
——私たちは皆、違う生き物かもしれない。
——だから誰もが、他の誰かの気持ちを、本当の意味では分かってあげられないかもしれない。
——それでも、私たちは一緒に生きていける。互いを想い合って生きていける。
——だって、誰もが同じように、泣いて、笑って、そんな風にして生きているのだから。
——人が生きることに違いなんてないのだから。
——ロッティ、見ていて。貴方と、私たちの大切な友人たちが夢見た楽園を、きっと実現させてみせるから。
~Fin~