第9話
文字数 3,473文字
クレールのやる気をありがたく思っていると、ふと図書館を出てから飲食店に辿り着くまでよりも長く歩いている自分に気がつく。どうしたものかとアベルの方を見るが、ブラウもアベルが何故中々図書館に到着しないのかに気がついた。クレールも察しているのか、黙ってアベルの後をついていった。
「いつからだ?」
ブラウは出来るだけ声を低く抑え、二人に訊いてみる。
「分からねえ。が、嫌な視線だぜこりゃあ。魔物かよって感じだ」
「アベル、どこにいるとかは分かりそうか」
毒づくアベルにクレールが小さく問いかけるが、アベルは首を横にも縦にも振らず黙々と歩いていた。その気の張り方にブラウも辺りを注意して見てみるが、辺りは行き交う人が多くどれが自分たちを狙っている相手かは判別つかなかった。また建物の上にもそれらしい人影は見つからなかった。
しかし、アベルが急にブラウに向かって飛び込んできて、ブラウはアベルと一緒に後ろに倒れる。その間際、鋭く弓矢がこちらに向かって飛んでくるのが見え、それと共に膝下に痛みが走った。その痛みを堪えながら弓矢の飛んできた方向を見やると、さっと何者かが去っていく影が見えた。
「野郎っ!」
アベルは吠えてすぐに立ち上がるが、飛び出していくことはなく、ブラウを庇うようにしながら周囲を警戒した。多くの人が何事かと辺りを見渡しているが、何が起きたのか正確には分かっていないようだった。生憎なことに三人とも武器らしい武器を持ってきておらず、服装も動きやすさ重視の恰好で来ていたため、ブラウはどのようにしてこの場から立ち去れるかを考えていた。周囲の人間も今は何も気づいていなさそうだったが、下手をすればパニックになりかねない状況ではあった。
「団長、立てるか? 立てるなら今すぐにでも図書館に向かおう」
ブラウを狙った弓矢を拾ったクレールの切羽詰まった声にブラウは難なく立ち上がってみせる。クレールが満足したように二っと口元を綻ばせると、弓矢を持ったまま建物の裏へと入り込んでいき、ブラウたちもその後を追いかけた。
しかし、それを読んだかのように向かいからマントを顔まで覆った人物が走ってきた。明らかに一般人ではないその人物に、クレールは手に持っていた弓矢で突き刺そうと狙うが、その人物はマントをひらりと翻し、難なく躱してそのままブラウたちに向かってきた。アベルがブラウの前に立ちその人物に殴りかかろうとするが、それも綺麗に躱され、その人物はブラウに向き合うとちらりと懐から光るものを覗かせた。ブラウは、もはや差し違える覚悟でその人物の突進を待ち構えたが、その人物はまるでそのブラウの狙いも見透かしたかの如く、身を隠すようにマントをブラウの目の前でひらめかせ、ブラウの足元を素早くスライディングしていった。予想外の行動に隙を突かれたブラウはすぐに我に返り後ろを振り返るが、マントをもう一枚用意していたようで、すっぽり頭まで覆わせたまま道に出て行き行方を見失った。後を追いかけようとしたが、途端に視界が揺れ始め、まともに立っていられなくなってしまい、ブラウはその場にしゃがみ込んでしまった。
「ブラウ!」
二人の心配する声が遠くに聞こえたところで意識が途絶えてしまった。
☆
『ルミエール』の借家から窓の外を眺めると、いつもの見慣れた街並みが見て取れた。大勢の人が今日も商売や冒険のために準備をしたり出かけたり、中には騎士学校で学んだりしている人もいるかもしれない。そんな人の流れを眺めながら、ハルトはその中に潜む悪意を探そうとしていた。皆の集まる居間にはブラウの姿はなく、隣の寝室にて今も目を覚まさないで苦しそうに眠っているとのことだった。
『琥珀園』でのセリアとの出会いで有力な情報を手に入れられたハルトたちは、一度クレールたちが図書館で集めてくるであろう情報と照らし合わせて考えてみようということになり、まず図書館に向かったのだが、そこにブラウたちの姿はなかった。ルイが「どうせ遅めの昼食でも摂ってるんでしょうよ」と気楽そうに言って、『琥珀園』である程度つまみも頼んで小腹を満たしていたこともあり、一度『ルミエール』の借家に戻ることにした。そこでしばらく待機していると、ぐったりしているブラウを抱えたクレールたちと合流した。
「それで……これからどうするか、なんだが」
ブラウの様子を見に行ったクレールが居間に戻って来るなりすぐにそんなことを切り出した。顔色一つ変えず冷静に語り始めるクレールはいつも通りに見えるが、苛ついたように手をぶらぶらとさせる様子にどこか焦りが見えるような気がした。クレールの推察によると、ブラウは毒を塗られた弓矢を掠めたということだった。
「……すまない、俺たちはあまり有力な情報は得られなかった。少なくとも、俺たちが探してる種族は、ほとんど世界の人に認知されていない、ということだけは分かった。その代わり、ジルたちが有力な情報を手に入れてくれた。ハルト、説明してくれ」
クレールに話すように促され、椅子に逆向きに座っていたハルトはそそくさと立ち上がった。ジルは今、ブラウの様子を看てくれていた。
「俺たちは酒場でセリア・ローランっていう女性と知り合った。どういう事情かは知らないが、彼女はエルフ族を追っているらしく、一人知り合いを知っているらしい。ただ詳しい話は、明日話す……らしい。あと、ルイは相手にされてなかった」
「余計なこと言うんじゃねー! それに、まだ振られたわけじゃねーし?」
「……他に何か聞かなかったか?」
アベルに笑われているルイの抗議を無視してクレールは質問を重ねるが、ハルトは思い出そうにもセリア自身がひどく冷淡で、必要最低限以上のことは話さないような人物だったためこれ以上話せることはなかった。
「聞いたってわけじゃないけど、けっこう怖い奴だった……ってぐらいだな」
「なあに、あの冷たい仮面の下に秘められた笑顔を俺が引っ張り出してやるって~」
「ルイに絡まれて悲惨だな、そのセリアとかいう女も」
ルイがアベルに抗議するのを尻目にクレールは「そうか」とだけ呟くと、ひどい顰め面で窓の外を睨んでいた。その目つきの悪さは、自分たちの状況の悪さを物語っているようだった。
しばしの沈黙の末、再びクレールが重苦しそうに口を開いた。
「そのセリアとかいう女の言うことの信憑性が何とも言えねえ限りな……信じられれば、どうにか次の方針は立つんだが」
「それに関しては……俺はあいつを信じても良いと思う」
ハルトの発言にルイが「お~?」と妙な声と共に見てくるが、ハルトはそれを気にせずセリアと対面した時のことを思い返していた。確かにまだ知り合ったばかりで信じられる要素はないかもしれないが、それでもハルトには、あのときのセリアの瞳に込められた憎悪の炎は決して偽物だとはとても思えなかった。そんな彼女の憎しみが本物だったとして、ハルトたちに何かしら協力してくれるというのなら、それも嘘ではないような気がしていた。自身の目的のためならばどんなことも利用する、そんなタイプの人間だとハルトは判断していた。
「ハルト、その根拠は何だ?」
ハルトは、クレールの目をしっかり見て言った。
「俺の勘だ。確かに会ってすぐの奴を信じるなんてどうかしてると思われるかもしれないけど……でも、アイツの何かに対する憎しみは、本物だったと思う。それで俺たちに協力してくれるっていうなら、きっとそれも本物だ」
クレールはハルトの説明を聞いている間目を逸らすことなくハルトのことを見続けていた。そして話を聞き終えると、あっさりと頷き、「ジルを呼んでくる」と言って居間を出て行った。