第12話
文字数 3,327文字
急にシャルルは独り言のように呟いた。ロッティはわざわざ隣を歩いてそんなことを話してくるシャルルが気になりちらりと横顔を盗み見る。記憶喪失しており、自分の年齢すらも正確には分からないシャルルの横顔が、ロッティより少し年上程度でしかなかったのがいきなり何十歳も老けたように見えた。遠くを見つめる瞳は、何かを懸命に探しているような真剣な眼差しを放っていた。
「記憶が戻ったのか?」
「……分からない。ただそんな気がするだけだ。それに……誰か、大切な人にそんな顔をさせてしまったことも、ある気がする」
「……よく分からないな。どういうことなんだ」
ロッティはあまり話に付き合う気になれなかったが、シャルルは「俺にだってわかんねえよ」と言いながらも続きを語り始めた。すらすらと言葉が出てくるその様子に、もしかすると、誰かに話したかったのかもしれないとロッティは思った。
「多分だけど、俺は昔、ある人と旅をしていたんだ。けど、そいつに迷惑ばっかりかけていた気が……っ!」
突然、シャルルが頭を抱えてその場に蹲る。ロッティも慌てて立ち止まり、シャルルの肩に手を掛ける。
「おい、大丈夫か」
「へっ……人のことより、まずは自分の心配しろってんだ。少し頭痛がするが、俺は、大丈夫、だ」
激しそうだった頭痛の波も直に収まったようで、思ったよりも早くシャルルは平静を取り戻し立ち上がった。まだそれほど日も昇っておらず、気温も暑くもないというのに額から汗が滝のように流れていた。しかし当の本人は涼しい顔を作って不敵に笑って見せた。
「最近よくあるんだ。問題ねえって。それより早く行かねえとトムがごねちまう」
シャルルはわざとらしく羽織を靡かせながら、先を行こうと急かした。ロッティは、最近になってシャルルの性格が変わってきているような気がしたが、それは今までロッティが話していなかっただけで、元からこんな性格をしていたのかもしれないと思い、そのことについては深く考えないことにした。
シャルルの言う通り頭痛はよくあることらしく、鉱山発掘中にも頭痛で蹲ることが多くなった。すっかり人数の少なくなった鉱山内では、シャルルの呻き声は分かりやすく響いた。その度にトムが本気で心配そうにシャルルに駆け寄るが、シャルルはそれを笑って一蹴する。脂汗を滲ませながらも鶴嘴を持って掘り進めるシャルルを誰も止められなかった。
「おいロッティ。お前、シャルルのこと何とかしてやれねえのかよ」
シャルルに直接言って止めさせるのは諦めたのか、トムはロッティに近づいてきて、シャルルに聞こえない程度の大きさの声でそっと耳打ちしてきた。
「何とかって……本人がどうしてもやるって言ってるんだ、止められないだろ」
「でも、あいつそのうち大怪我するぞ。そもそもあんな風に何回も頭痛くなるのがおかしいだろ。心配じゃないのかよ」
次第に大きくなっていき荒くなっていくトムの声色には、ロッティを責めるというよりも、心からシャルルの身を案じる必死な気持ちが滲んでいた。そのトムの剣幕に、ロッティは思わずシャルルの方を見る。黙々と発掘作業に勤しんでいるその背中はがっしりとしており、記憶を喪失する前はそれなりの冒険家か剣士であることを感じさせたが、ただそれだけではない優しい雰囲気をもその背中から途端に感じ取った。同時に、自分にはないものに対する
「……トムが言っても聞かないなら、あいつは止めないと思う」
「……え?」
「お前たち、ずっと一緒だったじゃないか。多分、一番心を許してるのはお前だ。そのお前が言っても聞かないなら、誰が言っても多分聞かないと思う」
ロッティの言葉にトムは不思議そうにロッティのことを見つめながら黙っていた。納得してくれたと思いロッティは作業を進めようとするが、ふいに服の裾を引っ張られ、危うく鶴嘴の先端で自分の身体を傷つけそうになった。ムッとして振り返ると、トムが寂しそうに俯いている様子が目に入り、ロッティの不満もどこかに消えていった。
「ロッティの言うことは合ってるのかもしれない……けど、だからってそれが正しいことじゃないと思う」
ぼそぼそと自信なさげに話すトムの声は、何故かよく聞こえた。
「俺子供だから難しいこと分かんないけど、でも、ロッティは心配じゃないのかよ」
「……心配してないと言ったら、嘘になるかもな」
「じゃあ、それを伝えるべきだって! 命より大事なことなんてあるのかよ」
トムの叫びが鉱山内に響き渡る。シャルルにも聞かれてしまっているだろう。しかし、そんなことも気にせずトムは必死の形相でロッティをほとんど泣き出しそうな目で睨んでいた。ロッティは、そのままトムが泣き出してしまうのではないかとじっと見つめていたが、トムは気丈にも瞳から涙をこぼすことなく、ロッティをじっと見返し続けていた。ロッティは今までにない波紋が自分の心に立っていくのを感じながら、トムを落ち着けさせようと頭をぽんぽんと叩く。ムッと唇をきつく結んでいるトムを置いてロッティはシャルルの方に向かった。
「シャルル」
「あーなんだよ。言っておくが俺は大丈夫だからな」
「そうは言っても……トムがどうしてもって、泣きそうになってるぞ」
その言葉にシャルルの鶴嘴は上に構えたところで制止した。その後、ゆっくりと鶴嘴は降ろされ、困ったような笑みを浮かべながらシャルルはロッティに振り向いた。
「血も繋がってない子供があそこまで言ってくれてるんだ……少しは聞いてやっても良いんじゃないのか」
ロッティには、この言い方が限界だった。しかしシャルルの視線はトムとロッティの間を何度も往復し、やがて観念したようにため息を深く吐いた。シャルルは鶴嘴を肩に乗せて鉱山の壁から離れる。
「しょうがねえな。じゃあ、少しだけ風にあたってくるよ」
すれ違いざまにそんな風に言い残してシャルルは鉱山の出口へと向かって行った。その後ろ姿を見つめているうちに、トムの言葉を頭の中で反芻させた。
ガーネットにもう一度訊いてみよう。ロッティは、トムの頼みに素直に従って去っていくシャルルの背中を見つめながら、そう心に決めた。ガーネットが気にしてしまう気持ちを、もしかしたら本当の意味では分かってやれていないかもしれない。ガーネットが抱えているものも共有できず、分かってやれないことで余計に苦しめてしまうかもしれない。それでも、ロッティはガーネットに気にしないでほしかった。そしてそれはきっと、口に出してでも伝えるべき自分の本音なのだと、トムの言葉を反芻しているうちにようやく理解した。
一通り鉱物を採掘したところで、スコップも鶴嘴も刺せないほど硬い岩盤にぶつかった。復帰してきたシャルルやロッティが力任せに叩いても岩零れ一つせず、トムがやってももちろんびくともしなかった。これ以上進むには爆弾か何か強い衝撃を与えられるものが必要だというのが、皆の一致した意見だった。横に掘り進めていく余地もまだ残っているが、区切りが良いということでその日はトムとシャルルと一緒に鉱山を出た。鉱山を出るとき、すでにこの三人しか残っていないことにロッティは気がついた。
「なあ、最近全然人いないよな」
トムもロッティと同じことを考えていたようで、ぽっかりと寂しくなった鉱山の方を振り返りながらシャルルに話しかけていた。
「確かにな」
「なあ、シャルルは何か知らねえのか? なあ」
「俺も知らねえって」
すっかり元気を取り戻したトムは人懐っこくシャルルに付きまとっており、シャルルが鬱陶しそうにしていた。その光景を眺めているうちに、最近鉱山発掘に赴く人数が減った理由について嫌な予想が一瞬浮かんだが、ロッティはそれを振り払った。そのまま街につくと、すっかり陽も暮れていた。シャルルはトムを送っていくそうである。そこで初めて、ロッティはトムの両親が一度もトムを迎えに来たり街中を一緒に歩いている姿を見たことがないことに気がついた。トムとシャルルが一緒になって街を歩く背中を見送りながら、ロッティも宿へと向かった。