第6話
文字数 3,349文字
間借りしている家がよほど立派な住居であったのだと理解させられるほど痩せた住居が並ぶ中、フルールは屋根の煉瓦が剥がれかけている家の前で立ち止まった。表札を確認するとフルールはそのまま玄関に向かい、獅子を模したドアノッカーを叩き「おはようございますポール様、屋根の修理の依頼を受けたフルールです」と呼びかけた。家の中から「はーい」と低い声が返ってきて、どたばたと忙しない音が鈍く響いてきた。
玄関が開くと、低い声を聞いた印象とは違った、丸い眼鏡を掛けた線の細い男性が出てきた。一度だけロッティをちらりと見たがすぐにフルールに視線を移した。
「ポール様。屋根の修理のお手伝いをしにやってまいりました」
「ああ、これはどうもどうも」
男性はやたらと腰が低く、丸い眼鏡に手を添えながらフルールに対して何度も頭を下げた。それから男性とフルールはしばらく話し合い、その後フルールが何か書類を男性に差し出すと、男性は再び頭を下げて家の中へと引っ込んでいった。
男性が引っ込むとフルールもロッティの方へ戻ってきた。
「手間を掛けさせてすみません。これから煉瓦を受け取りに店に向かうので、着いて来てください」
「分かった。行こう」
フルールは軽く頭を下げ、いそいそとロッティの前を歩いた。ロッティも黙ってその後をついていった。
どこを歩いているのかもさっぱり分からないロッティに対して、フルールは何の迷いもなく街の中を進んでいく。その道すがら、すれ違う住人に声を掛けられ、フルールも淡々とではあるが、先日と同じようにきちんと一人ひとりに会釈を返していった。
フルールに連れられたどり着いた店は、依頼のあった家よりもよほど年季の入っていそうな古めかしい小さな建物だった。フルールが扉をノックしてしばらくすると、中から髭をたっぷり蓄えた中年の男性が出てきた。男性はフルールを認識すると、一瞬のわずかな変化ではあったが驚いたような表情になった、ような気がした。
「お前か……今日来るということは、煉瓦を頼みに来たのか」
「はい……よろしくお願いします。こちらが注文票になります」
男性は低い声で淡々と応対しながらフルールの差し出した書類を受け取り目を通す。その後「少し待ってておくれ」とフルールを置いて建物の中へ戻っていき、しばらくして再び出てきたときには荷車いっぱいに煉瓦を載せて戻ってきた。
「ほれ、持っていきな。重いから、そっちの兄ちゃん、持ってってやんな」
男性はそう言って荷車を軽々とロッティの方へ運んできた。ロッティは、一度フルールの方を見やって、フルールが申し訳なさそうに頭を下げるのを確認すると、その荷車を受け取った。男性がスムーズに運んでいたのに反してロッティの掌にずしりと重い感触が伝わり、ロッティは気を引き締めて荷車の取っ手を握り直す。
「ロッティ様、ありがとうございます。ジャックさんも……ありがとうございました。報酬の方は明日委員会の方から送られてきます」
「あいよ。こちらこそ」
フルールはジャックと呼んだその男性にやはり丁寧にお辞儀をしてから、ロッティの荷車を持つ手に手を重ねて再び道を案内していった。
静かに来た道を引き返していると、それまで無口だったフルールが申し訳なさそうに口を開いた。
「順序が逆になってしまいましたが、ロッティ様にはこのような私のお仕事を手伝ってもらいます。私のお仕事は、ブルーメル様の側でお仕えする以外にも、このように街の人たちの依頼に応えるお仕事があります。これからもよろしくお願いします、ロッティ様」
「あ、ああ……分かった」
「はじめは、ブルーメル様が何故ロッティ様を私に同行するように指示したのかは分かりませんでした。たいていのことは私もこなせますので……ですが、このような力仕事を任せたかったのかもしれませんね」
「そいつは……どうなんだろうな」
ガーネットという、ちょっとした考え事の中にも何か深い背景がある人物に触れてきたロッティは、フルールの純粋で素直な予想に頷くことが出来なかった。熱気が相変わらずこもる道を荷車を押しながら進むロッティは、ガーネットとブルーメルを思い浮かべていた。ブルーメルの唐突で意図の読みにくい指示の出し方は、何となく先日のリュウセイ鳥の伝説の街でのガーネットのやり方に似ているような気がした。それ故、単にフルールの仕事を手伝わせようとしたかっただけではなく何か他の目的があるのではないかとロッティは勘繰っていた。
しかし、フルールが自分で出した答えに満足したように小さく微笑んでいる様子を見ていると、その考えを話すのも無粋なような気がしたので、会話をそこで終え、先程の家へと向かっていく。
ポールという人の家で、屋根の修理の仕方も知らないロッティは、意外にも強引なフルールに連れられ、煉瓦を持って登っていき、見よう見真似で何とかその修理を手伝った。その手伝いの後も、フルールの手伝いは続いた。ロッティとしてもただガーネットが委員会に出向いている間をじっと待っているだけでは退屈になるだろうと予想していたので、フルールの手伝いをすること自体は悪い気がしなかった。
一度食材店に寄って買い物をしてから次に向かったのは、先程よりもずっと小さくみすぼらしい家だった。
「フルールさん、ありがとうございます。いやはや、なかなか難しいものですね、勉強も生活も」
家主はやけに背の高い青年然とした男性で、家の見た目と同様に少し頼りなさそうに線の細い身体をしていた。青年の依頼は、生活周りの相談というざっくりとしたものだった。機械工の職人を目指して単身この都市に越してきたのは良いものの、突然の違う環境での生活に体調を崩しそうになったらしい。ロッティたちは家に上げてもらい、テーブルに着いたフルールは向かい合って座る青年に対して真摯に説明を施していた。そうやって二人が話し合っている様子を、ロッティは壁にもたれかかって見守っていた。見た目の頼りなさとは裏腹に青年の声は芯が通っていた。
「初めてで慣れない街でしょうから、こちらの地図もお渡しします。時間も良い頃ですので、先程アノン様に紹介した店で買ってきた食材がございますので食事にいたしましょう。台所をお借りしたいのですが、アノン様はそれでよろしいでしょうか?」
フルールの丁寧な申し出に、アノンと呼ばれた青年は深く頭を下げた。
「何から何までありがとうございます。何と言ってお礼を申し上げればいいやら……」
「お気になさらないでください。これが私の仕事ですので。ロッティ様もすみません、ロッティ様も一緒にお昼にしましょう」
フルールがロッティの方を振り向く。ロッティもちょうどお腹が空き始めてはいたが、フルールに見つめられているうちに罪悪感のようなものが湧いてきて、壁から離れた。
「良いけど、俺も手伝うぞ」
「ではロッティ様、こちらにお座りください」
「いや、俺も……」
「ロッティ様、お座りください」
ロッティの言葉も遮り、フルールは声を徐々に大きくさせてロッティに座るよう促す。フルールの真っ黒でキラキラした瞳に頑固さが滲み出ており、ロッティは渋々言われた通りに席に着くことにした。それを見て満足そうに微笑んだフルールは、先程の買い物袋を手にして台所へと向かった。
台所で淡々と、しかし実に手慣れた調子で調理を進めるフルールの背中姿を見つめていると、アノンと呼ばれていた青年がテーブルをとんとんと叩いてきた。
「なあ、あんたはこの街で何をしているんだ」
「え……俺か?」
アノンはもちろんとでも言いたげに力強く頷いた。興味深げに見つめるアノンの視線に、ロッティは気後れした。