第1話
文字数 3,381文字
トムと別れてから数時間経ち、珍しく話を続けてくれたガーネットもすっかり寡黙に戻っていた。リュウセイ鳥の伝説を巡る一連の出来事で、多少はガーネットのことを知れたかと思っていたが、相変わらず無表情のまま、つまらなそうに外の景色を眺めるガーネットの横顔は、何かを企んでいるようにも見えるが、その腹の内はやはりまだまだ読めそうになかった。
ほどほどの大きさの石を巻き込むと馬車は小さく揺れ、その度にロッティの腰も小さく浮かんだ。会話のない静かな部屋に、馬車に付いている魔除けの鈴がちりんと鳴ったり馬車の車輪がガラガラと回ったりする音がよく響いた。
暇を持て余したロッティは、次の目的地であるというシリウスについて思いを馳せた。
シリウスは世界でも有数の工業や機械技術の発達した都市として有名であった。『ルミエール』であちこちを旅していた際にも、武具の整備や道具の準備のために訪れることが何回かあった。近年では特に発展が著しいようで、その技術力の高さも相まって帝都とはまた違った、独特の成長を遂げた大きな都市である。
ふと、先日までいた街に訪れた初日に、初めて出会い、ガーネットに教えてもらった
ほとんど連れられていただけとはいえ、仮にも『ルミエール』の一員として長い間旅をしてきたロッティも知らなかった機械人形について、ガーネットは詳しく知っていた。リュウセイ鳥の伝説を巡る争いの中、ガーネットはロッティも見たことのない『銃』という武器を扱っていた。何故ロッティのことを知っていたかなども含めて、色々と謎の多いガーネットであったが、これらのことから、もしかしたらガーネットはシリウスの人間ではないのかとロッティは予想した。銃という武器も、機械技術に優れたシリウスでなら作っていても不思議ではないだろう。もしシリウスでも何かしら立場の高い人だとしたら、そういったガーネットの謎も説明がつくような気がしてきた。
一度そう考えてしまうと、途端にガーネットの窓の外を眺める佇まいが高貴溢れる者のそれのような気がしてきて、思わずガーネットの横顔をじっと見つめてしまう。ガーネットはあえて気づかない振りをしているのか、変わらずどこか一点をずっと眺めているだけであるが、ふと表情が少しだけ明るくなった。
「すみません、少し止めてもらえますか」
ガーネットが馬車を走らせる御者にそう声を掛けると、御者は二つ返事で馬車を止めてくれた。ガーネットは、馬車が止まるや否やすぐに馬車から降りて草原の中を歩いていく。ロッティも慌てて降りてガーネットの後を追うと、ガーネットは草原をいくらか進んだ場所でしゃがんでいた。何をしているのだろうか、近づいて確認しようかどうしようかと迷っているうちにガーネットは早くも立ち上がり、手に数輪の紅色をした花を持ってきた。花弁の根元が四角く先は丸いという珍しい花で、ロッティもその花については知っていた。
「その花も、ガーネットって言うんだよな」
「ええ……」
ガーネットは大切そうにその小さな花束を抱える。同じ名前の花を抱えて持ってくるその様子は、まるで自分の娘を大切そうに抱く母親のように見えた。
「ごめんなさい、急に飛び出してしまって」
「それは別に気にしてない。でもガーネットがそんな風になるなんて、何か……珍しいな」
「……なんだか、少し恥ずかしいね。でも、そう……この花は、私にとってとても大切なものなの」
そう言って花束を優しく見つめるガーネットに、あれこれ言うのは野暮だと思いロッティはそのまま馬車へ引き返した。ガーネットも馬車に乗り込んでくると、何事もなかったかのように再び無表情に戻り、「お待たせしました。シリウスまで引き続きお願いします」と御者に声を掛けた。
ガーネットの照れ臭そうに笑った顔が印象深くロッティの心に残った。一瞬、頬に視線が刺さるのを感じたが、すぐにその視線は頬から外れた。ロッティは馬車から見える風景をもっと見ようと思った。
馬車に揺られて数日が経ち、シリウスが見え始めてきた。多くの大きな街と同じように壁と川に大きく囲まれているが、栄えているシリウスともなると壁を越えた高さの建物がいくつか聳え立っている。門に繋がる橋の近くに降ろしてもらい、料金を支払うと馬車は次の顧客を求めて元の街へ戻っていく。
「それじゃあ、行きましょうか」
ガーネットはまるで何か急いでいるように、さっさと橋を渡り始めた。ロッティも慣れた様子でガーネットの後をついていく。
漆黒に染まった厳つい装いの門扉をくぐると、吸っている空気の種類が変わるのを感じた。わずかにむわっとする熱気を孕んだ空気に一瞬だけふらつく。気をしっかり持ってガーネットはどうかと首を回すと、橋の向こう側、馬車のための馬のいる大きな馬小屋の隣で、一人の少女がロッティたちの方を向いて立っていた。純白を基調としてクローバーの模様が散りばめられたワンピースドレスを纏い、ひだ付きのスカートをひらりともさせずにピタッと静止させ、絵本に出てくるお姫様のように白くて綺麗な顔立ちも相まって、まるで人形のような出で立ちであった。胸元の大きな赤いリボンがその少女を子供っぽくさせていた。
その存在を認識してなのか、前を歩いていたガーネットは急に立ち止まりロッティの方に振り向いた。そして、何も気にせず歩くロッティが追いつくと、ガーネットはわざわざロッティの横に並んで再び歩き始めた。
橋を渡り終えると、糞混じりの馬小屋の臭いがむわっと漂う。ロッティたちがそのまま少女の横を通り過ぎようとしたときであった。
「いらっしゃいませ、ガーネット様」
少女がガーネットの方を向き丁寧にお辞儀をした。まさかいきなり、しかも名指しで呼び止められると思っていなかったロッティは前のめりにつんのめりそうになるが、ガーネットは予期出来ていたのかしっかりと足を止めその少女に向き合う。そのときのガーネットの表情はえらく真剣な表情に見えた。
「貴方は、ブルーメルに命令されてここに来たの?」
上ずった声でガーネットが訊くと、その少女は顔を上げて、絵に描いたような微笑を浮かべた。
「はい。ブルーメル様から、ガーネット様とそのお連れ様を宿まで案内するようにと命じられました」
「……随分と準備の良いこと。では、よろしくお願いします……貴方のお名前は?」
ガーネットは感心したように息を漏らしてから丁寧にお辞儀し返すと、そっと少女の瞳を覗き込んで、促すように手を差し出した。少女はしばらくその手をきょとんと見つめたかと思うと、再びゆっくりと微笑んだ。
「申し遅れました。私は、シリウスの皇族上院委員会に勤めていらっしゃるブルーメル様の付き人、フルールという者です」
それからフルールは、丁寧すぎるほど丁寧に深くお辞儀をした。勝手に話が進んでいくのを眺めていたロッティは、フルールのあまりにも綺麗すぎる礼につられてお辞儀をしてしまう。
フルールの言うシリウスの皇族委員会はこの都市シリウスを動かす政治組織のことで、上院委員会、下院委員会の二つから成る。どちらの委員会にも百数十名が所属しており、基本的に発言力などに違いはないが、待遇や福利厚生は上院委員会の方が良いらしく、フルールの付き人もその仕組みの一つであろう。そんな都市を動かす上院委員会の付き人が、わざわざ自分たちの案内をするなんて信じられないことのように思えて、ロッティは緊張やら混乱やらで動きをぎこちなくさせながらも何とか自己紹介を済ませる。ガーネットは何故だか、少しだけ不機嫌そうに唇を引き締めムスッとしていた。