第11話
文字数 3,138文字
シャルロッテが何とか最期の力を振り絞って話してくれているのを、シャルロッテの苦悶する表情が物語っていた。ロッティはその想いに応えるべく、今だけはリベルハイトとの争いも、対立していたことも、すべてを一旦頭の端の方へ追いやって、ただただ寄り添っていたかった。ロッティは能力を駆使し続けようとするが、初めての試みだからなのか、出血を完全に止めることは出来なかった。
しかし、しばらくすると急に身体の奥から温かい何かが全身に行き渡るような感覚に包まれ、これまで以上に能力を巧みに扱えている実感があり、シャルロッテの出血量が次第に減っていった。血の巡りは、ロッティの目には見えていないため上手くできているかは分からないが、激しく歪んでいたシャルロッテの表情はわずかに和らいでいった。
「この世界でっ……たった一人の家族だけは、助けたかった……ごめんね、こんなお姉ちゃんで。最後まで、貴方の味方に、なってあげられなかった……」
「……そんなこと、ないだろうがっ」
ロッティは、シリウスでの出来事や、先日のカルトックスの繭のときでの出来事を思い返していた。それらのシャルロッテの言動がすべて、リベルハイトや『シャイン』のこととも関係のない、純粋な思い遣りそのものであったという事実に、気が緩むとすぐにでも泣き出してしまいそうになった。初めからロッティと対立しているわけではなかったのだとようやく気がつき、どうにもならない虚しさと後悔にも似た感情とが瞳に溜まる涙を押し流そうとしていた。
「私はね……私はただ、ロッティと一緒に生きたかった……ごめんね」
「……もっと早く、それを言ってくれれば……」
つい零れてしまったロッティの切実な想いにも、シャルロッテはもう一度「ごめんね」と言って、穏やかに笑ってみせるだけであった。苦しいだろうに、それでも絞り出したその微笑みに、ロッティはどんな感情をシャルロッテに向けてやれば良いのか分からなくなった。一生で一度しかない瞬間なのに、ロッティは最期にかけてやる言葉すら思いつけず、歯を食いしばりながらも涙の溜まる瞳で懸命に見つめ返すことしか出来なかった。
そんなロッティを、シャルロッテは愛おしそうに見つめ続ける。
「……ねえロッティ……貴方は、どんな道を選んだの? 最後に、教えてっ……欲しいな」
シャルロッテの瞳は、すでに焦点が合っていなかった。もう意識も朦朧としているかもしれない。どんな想いをぶつけても、シャルロッテの与えてくれた愛情に報いることは出来ないかもしれない。しかし、そんなシャルロッテの純粋なお願いのおかげで、ロッティはごちゃ混ぜになった感情に整理がつき、世界でたった一人の肉親を静かに見つめ返すことが出来た。
「俺は……俺は、信じることにしたんだ。俺も何も変わらない人間なんだって。だから俺は独りじゃない。どんなに違っていても、たとえ苦しみの種類も理由も違っていたとしても、俺たちは同じように苦しむ。だから、同じ俺たちは、互いを想いながら生きていくことが出来るって。そんな世界にすることが出来ると、信じることにしたんだ」
その世界に、シャルロッテもいてほしかった。喉から今にも出てきそうなその言葉は、どうしても言えなかった。
シャルロッテの顔に水滴が落ちた。濡れたシャルロッテの顔が、とても愛おしいものに思えた。水滴はぽたぽたと落ちていくが、シャルロッテはまったくそれを嫌がる素振りも見せずに眩しそうにロッティを見上げていた。
不意に自分の体が浮かび上がる。それがシャルロッテの力によるものだということを、シャルロッテのかすかに青く光り輝く瞳を見て気がついた。浮かぶロッティの体は、ゆっくりとシャルロッテの胸に収まるように移動した。ロッティは何も抵抗せずに、なすがままにされていた。
「ロッティ……きっと出来るよ。貴方がその答えを導き出せたのならっ……その未来を信じられた貴方なら、きっと叶えられる。その力が、ロッティにはあるから。きっと叶えて、幸せに生きて、ロッティ……世界中の誰よりも、貴方が大切、だか……ら……」
シャルロッテの両腕はもうなくなっているはずなのに、頭を、背中を、優しく撫でてくれたような錯覚があった。抱きしめられていないはずなのに、シャルロッテの温もりが全身を包んでくれたような温かさを感じた。まるで夢心地で、ロッティはいつまでもこの温かさに包まれていたかった。
しかし、無常にもその温もりは次第に薄れていき、寒い空気が肌に触れてきたと感じられるようになったのと同時に、体の浮いている感覚が徐々になくなっていった。シャルロッテの体を刺激しないように、両手を地面について起き上がると、シャルロッテは静かに微笑んでいた。閉じられた瞳はもう二度と開くことはなかった。
シャルロッテの体を抱え上げ、丘の上まで登ったところに、シャルロッテの体を埋葬した。埋葬しているときに、自分の左手の人差し指に青く光る石の指輪が嵌められていることに気がついた。その指輪がシャルロッテからの物であると、ロッティは何故か確信した。
シャルロッテは、ロッティがかつていたあの街に、ロッティと同じ能力を用いて魔物を放ったかもしれない。ブルーノの命を奪い、ロッティやセリアの運命を大きく捻じ曲げた張本人かもしれない。リベルハイトの人間として、多くの人の命をこれまでに奪ってきたのかもしれない。しかし、今はそんなことも忘れて、ひたすらシャルロッテのことを想っていたかった。帝都に生き残っている人間がいればこの声も聞こえてしまうのではないかという勢いで、声を上げて、泣いた。ひたすら溢れ出てくる感情に身を任せて、泣いた。こんな風に感情に任せて泣いたのは、今までで初めてのことであった。
どれくらいの時間が経っただろうか。辺りで明るい虫の音が聞こえ始め、ほのかに夜明けの匂いがしてきていた。ロッティは、能力を使って作り上げた墓石の前で力なく座っていた。墓石にはシャルロッテと彫られている。
ロッティは指輪を見つめる。帝都にいた頃には、もっと言えば、先ほど帝都でシャルロッテと対峙したときまで身に着けた覚えのないその指輪は、おそらくシャルロッテがロッティに授けたものに違いなかった。ロッティは思った。もしあの爆弾が投下されてから、自分の両腕を失ってでもシャルロッテがロッティにその指輪を授けたのなら、きっとそれは意味のある行為であるはずだ。そしてシャルロッテは最期に言った。ロッティには、自分の信じるものを叶える力があるのだと。
この指輪の意味に答えてくれる人は、もうこの世にはいない。ならば、ロッティは勝手に信じてみることにした。この指輪に、シャルロッテの最期の想いが込められていると信じ、ロッティはようやく立ち上がる勇気を得た。指輪に後押しされるように、墓石に背を向ける。
帝都は崩壊した。まずは、どれくらいの人が生き残っているのか、地下にどれくらい人が集まってくれたのか、今はもう姿が見えないノアやレオン、グランはどこへ向かったのか、そしてガーネットやハルトたちは生きているのか、それらを突き止めるためにも帝都跡に行くことにした。
折れそうになる心を奮い立たせ、一歩を踏み出そうとしたそのとき、ふと追い風を感じた。その風に乗って、誰かの声が聞こえたような気がした。振り向けばその声の主が幽霊のように佇んでいるかもしれない。しかしロッティは、必死に歯を食いしばり、振り返ることなくそのまま帝都跡へ向かって走り始めた。