第3話
文字数 3,019文字
「そうは言っても、上の人に話を通さずにそんなことを勝手にするわけには……その話の信憑性も疑わしいし、それに、あの生き物の対処にも出なければならない」
騎士はそう言って城の後ろの方で未だに不気味に飛んでいる巨大な鳥と鯱のような生き物を指差した。今騎士団は避難班と危険生物の駆除班とに別れており、避難班は住人の避難が済んだ後に直ちに駆除班に合流することになっているそうである。中々セリアの話を聞き入れてくれない騎士の反応はもっともなのではあるが、セリアはどうしても焦りが生じてしまう。
何とか話を聞き入れてもらうにはと頭が混乱しかけていると、一人の騎士の怒声が響いた。
「報告! 帝都内に魔物の群れが侵入! 直ちに住人を避難させた後に避難班は前線に出て迎え撃て! 繰り返す、帝都内に魔物の群れが侵入! 直ちに住人を避難させた後に避難班は前線に出て迎え撃て!」
その騎士団の報告は、貴族街にいた騎士たちの目の色を変えさせた。セリアも悪夢が再び蘇ってくる感覚に、吐き気が催してきた。セリアはそれを必死に嚥下して、目の前の騎士に訴えようとする。
「私の話を他の騎士たちにもするようお願いします。私は一足早く魔物を迎え撃って出ます」
その騎士が何か答える前に、セリアは再び街を下っていった。夕暮れの空はすっかり赤く染まっており、火の燃え上がる風景を連想させ、セリアの動悸は一層早くなる。自分でも驚くほど速く走ることが出来た。
自分は、今回こそは違う。力もなく、両親が殺されても必死に息を潜めて震えることしか出来なかったあの頃とは違う。騎士学校に入学し、そのままストレートに騎士団へと所属して今日に至るまでの日々を思い返し、それを支えに、セリアは自分にそう言い聞かせていた。幼少期の、両親とロッティ、そしてブルーノとの日々だけを心の支えに、それらを奪ったものへの復讐心を燃やし続けることで何とか生きてこられた。その日々の結果を今ここで出さなければと、セリアは次第に動揺や悪夢のトラウマを復讐心に塗り替えていった。
下っていくと、先ほどまでと違い、ハルトたちのおかげなのか、そこまで人の通りはなく、不気味に静かだった。悲鳴の代わりに、すでに駆けつけた騎士たちがいるのか、鈍い叫び声と共にどんと腹に響く音や金属と固い何かがぶつかり合う音が遠くから聞こえてきた。風向きが変わり、わずかな血の匂いが街を包み込もうとしていた。セリアは他の騎士たちに合流するために、その血の匂いを頼りにそちらへと向かって行った。街を下って行くと、すでに火を点けられた建物だらけになり、進めば進むほどあの日を思わせる地獄絵図へと変貌していった。
建物の中を注意深く覗いていきながら駆けつけると、複数人の騎士たちが狼のような四足獣の魔物を退治している場面に合流した。セリアは状況を確認しようとそのうちの一人の騎士に話しかける。
「住人の避難は順調に進んでいる模様。魔物の状況を」
その騎士によると、突如門の向こう側から一人の女性を先頭にした多くの魔物の群れが現れ、門番が橋を上げ終える前に殺され、一気に帝都内へと侵入してきたらしい。魔物の種類は今目の前にもいる狼型の魔物以外に、この魔物より一回り大きく、その代わり足が遅く牙が特徴的の魔物、そして先ほど山脈から姿を現した巨大な狼型の魔物の三種類がいるらしい。セリアはその二種類目の魔物の話に、思わずはっと息を呑んだ。
「それと……」
騎士がそこまで話し、ごそごそと懐に手を伸ばしたかと思うと、三枚の紙を取り出し、セリアの目の前でひらひらさせた。それらの紙に写っている人物の顔に、セリアは頭を殴られたような衝撃を受けた。
「ろっ……てぃ……」
「この三名は、法令第十三条に記載されている特別指定危険人種の人間だ。見つけ次第、直ちに処理に務めること。運の良いことに、これらの人物の目撃情報は少なくないようだから、迅速に対応すること」
「いや……だめ、です……」
セリアの顔からみるみるうちに血の気が引いて行き、わなわなと身体が震えだす。これまで何とか奮い立たせられていた自身の心が崩れていくのをセリアは止められなかった。そのセリアの様子に騎士も動揺したように険しい表情を変える。
「どうした。何か問題があるのか」
「だめ、です……その人は、その人たちは……」
セリアは、言葉が出てこなかった。胸が押しつぶされたように苦しくなり、頭が騎士の話を受け付けようとしていなかった。騎士が、世界が、突きつけてきた世界の残酷な一面に、セリアは身動き出来ずにいた。自分の足元にある地盤が大きく崩壊し、光の見えない真っ暗闇な世界に放り出されたような感覚に陥り、セリアの全身から力が抜けていき、膝から崩れ落ちた。
「おい、立ち上がれ。騎士の本分を忘れたか」
その後も騎士がセリアを叱咤激励する言葉を続けていたが、セリアの頭には何も入って来なかった。走馬灯のようにこれまでの日々が脳裏をよぎっていき、虚しくなった。
自分は、今まで何をしていたのだろうか。人生の半分を復讐のためだけに生き、それと引き換えに手に入れたもので、今度はその人生の残り半分で見つけられた大切な友達のロッティの命を手に掛ける立場へと立ってしまっていた。こんなことが本当に自分のやりたかったことなのだろうか。セリアは自身の人生が、途端に空虚で、無意味なもののように思えた。
「ふうん。随分物騒なんだねえ、騎士の方たちって」
突然、その場にそぐわない明るい爽やかな声が聞こえてきた。セリアを除いた騎士たちがその声の方へ振り向くと、魔物を数匹引き連れた一人の女性が歩いてきていた。その女性は身軽そうな恰好に背後に剣を携えているだけであったが、不気味なほど悠然と歩いている様にその場にいた騎士たち全員が、その女性こそが今回の帝都内へ魔物を侵入させた張本人であると直感した。騎士たちは自身の剣を素早く引き抜いた。
「帝都に抗い、人々の生活を脅かす貴様を許すわけにはいかない」
騎士の誰かがそう言った。騎士たちの剣がその女性に向けられる気配がし、途端に空気が張り詰め、風向きが再び変わった。建物の向こうから再び激しい抗戦の音と、何かが燃えるような匂いが漂ってきた。それらの背後で、女性が不敵に笑った。
「ふうん。それが騎士サマたちの正義ってやつ? なるほどねえ……」
その女性の声音は軽蔑的な雰囲気を孕んでおり、セリアは俯いていた顔を上げた。大勢の騎士がその女性を取り囲むようにじりじりと距離を詰めていた。その背後に数匹の魔物が待てをされたように大人しくしているのを差し引いても、一人の女性を取り囲むその光景は奇妙で、ひどく滑稽に思えたが、セリアは途端に悟ってしまった。
その女性こそが、今目の前にいる女性こそが、あの日あの街に魔物を放ち、自分の全てを奪っていった、仇である。グランが巨大な鯱へと変身するのを見て復讐を願った相手がすぐ近くに迫っていることを直感し、そして目の前の女性こそがその人物であると確信できたセリアは、なけなしの気力を振り絞り、消えていた復讐心に再び火を点け、何とか立ち上がった。
その女性は、可哀想なものを見るような目で騎士たちを見つめ返した。その態度には明らかに余裕が滲み出ており、騎士たちを煽るには十分だった。