「命日」という日(2023.7.8)
文字数 464文字
今日は従弟の命日です。三年前に亡くなりました。僕よりも五歳年下で、生まれた頃も、その後の成長も、近くに住んでいたので良く知っています。
僕が大学から関西に移り住んだこともあり、なかなか会うこともなくなり、親戚の結婚式や葬式で顔を合わす程度の付き合いが続いていていましたが、三年前に急用(伯父が亡くなった)があって電話したのになかなか連絡が取れず、ちょうど自宅に戻っていたので、しびれを切らして彼の家に直接出向きました。その時に、パジャマ姿で現れた従弟から、はじめて病気のことと「余命」わずかであることを知らされました。自宅に帰り、意気消沈して顔が青ざめた僕を見て、妻が珍しく「どうしたの? 何かあったの?」と心配したことを今でもはっきりと覚えています。
こうして従弟の姿を思い出すだけで、今でも悲しく、淋しくなります。近くに住んでいたのに、何もしてあげられなかったという後悔は一生消えないでしょう。「命日」という日は、亡くなった人を思う日です。肉体はこの世から消えてしまいましたが、魂は思い出す人がいる限り消えないと思います。
僕が大学から関西に移り住んだこともあり、なかなか会うこともなくなり、親戚の結婚式や葬式で顔を合わす程度の付き合いが続いていていましたが、三年前に急用(伯父が亡くなった)があって電話したのになかなか連絡が取れず、ちょうど自宅に戻っていたので、しびれを切らして彼の家に直接出向きました。その時に、パジャマ姿で現れた従弟から、はじめて病気のことと「余命」わずかであることを知らされました。自宅に帰り、意気消沈して顔が青ざめた僕を見て、妻が珍しく「どうしたの? 何かあったの?」と心配したことを今でもはっきりと覚えています。
こうして従弟の姿を思い出すだけで、今でも悲しく、淋しくなります。近くに住んでいたのに、何もしてあげられなかったという後悔は一生消えないでしょう。「命日」という日は、亡くなった人を思う日です。肉体はこの世から消えてしまいましたが、魂は思い出す人がいる限り消えないと思います。