毎日続けること

文字数 884文字

 5月17日に約2年超毎日続けた詩(のようなもの)の投稿を休止した。そして、6月1日に再開したのだが、その間も投稿はしないが書き続けていた。投稿疲れの結果、休止という判断をしたものの、書くことに疲れた訳ではないのだ。むしろ、毎日書かないと落ち着かないし、眠れない。毎日書くという習慣はすっかりと身についている。罪悪感だとか強迫観念ではなく、コツコツと書き続けることで、段々と自分の書きたいことが書きたいように書けるようになってきたと実感しているからだ。一方で、投稿については「発表の場」として、誰かが読んでくれたらいいな(読んでもらえなくても仕方ない)という、程度の思いで始めたはずなのに、次第に一人でも多くの人に読んで欲しいと思うようになり、どうしたら読んでもらえるのだろう? と変な悩みを持つようになって、疲れてしまった。我ながら馬鹿みたいだな、と思う。しかし、休んでみて、そもそもの思いとかけ離れてしまった自分に気づいた。一人でも多くの人に読んで欲しいと思うような詩(のようなもの)を書いていないのに、一人でも多くの人に読んで欲しいと思うこと自体が的外れで、やはり誰かが読んでくれたらいいな、で良いのだ。正直、投稿が義務となり、何かを期待するようになり、つまらない作業として心を重くしていた。

 今はすっきりとしている。

 ここまでは半分本当で半分嘘だ。以下が、僕が毎日書き続ける本当の理由。

 そもそも、どうして僕が詩(のようなもの)を書いているかと言うと、結婚する時に、妻にいつか小説を書いてみたいと夢を話したのに、小説を書くと宣言しては挫折するを繰り返し、いつまでも実現できず、夢を諦めたと思われるのが嫌で足掻き続け、50歳になって自分には長距離走(小説)よりも短距離走(詩)の方が向いているのではないかと思ったからなのだ。僕の詩を読んで、妻は話が違う、と思っているかもしれないが、「誰か」は妻なのだ。僕は妻に読んでもらいたくて毎日書き続けている。いつか「この詩は良いね」と言ってもらえたら嬉しい。

 2年超続けた投稿を休んだことで、とても大切なことを思い出した。
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