第114話

文字数 5,017文字

 私は、しめたと、思った…

 つい、無意識に、オスマン殿下の名前を出したのが、功を奏したのだ…

 「…お姉さん…オスマン殿下が、どうかしたんですか?…」

 と、バニラが、塩らしい声で、続けた…

 バニラにとって、オスマン殿下は、最重要人物…

 オスマン殿下の動向は、なにより、大切かもしれない…

 なにしろ、バニラの娘のマリアは、オスマン殿下のお気に入り…

 が、

 バニラは、それを、憂慮している…

 オスマン殿下は、外見が、3歳にしか、見えないが、本当は、30歳…

 片や、

 マリアは、本物の3歳だ…

 そのマリアを、オスマン殿下が、気に入っている…

 だから、もしやと思うが、オスマン殿下が、マリアを、将来、サウジに、連れていったりしたら、困ると、心配しているのだ…

 と、

 ここまで、考えて、気付いた…

 もしや、

 もしや、

 これこそが、オスマン殿下の素(す)の姿ではないか? と、気付いたのだ…

 マリアを好きなオスマン殿下…

 これこそが、オスマン殿下の素(す)の姿ではないか? と、気付いた…

 夫の葉尊のいう、素(す)のオスマン殿下の姿では、ないかと、気付いた…

 そして、そんな諸々(もろもろ)のことを、考えてくると、段々と、オスマン殿下の狙いが、読めてきた…

 どうして、3歳の子供たちに、紛れて、あのセレブの保育園に身を隠しているのか、わかってきた…

 それは、きっと、気疲れしないからだと、気付いた…

 子供相手だから、変に、気疲れしない…

 安心して、素(す)の姿を見せられるからだと、気付いた…

 夫の葉尊が、言うように、自分の本当の性格を見せないことに、常に腐心しているならば、疲れるに、決まっているからだ…

 ちょうど、芸能人のようなものだ…

 有名な芸能人は、すでに、イメージが、ついている…

 イメージが、出来上がっている…

 有名な芸能人の例で、言えば、高倉健だろう…

 寡黙で、男らしいイメージの高倉健だが、本名の小田剛一(たけいち)は、むしろ、陽気で、おしゃべりな人物だったそうだ…

 それが、画面の中では、必死になって、高倉健を演じていた…

 それが、真相だった…

 だが、そんな高倉健が、仮に、オスマン殿下だったら、どうだろう?

 やはり、今の殿下と、同じように、普段は、自分と、同じ年齢に見える、保育園に、身を置くのではないか?

 そうすれば、変に気疲れしない…

 なにより、子供相手だから、正体が、バレない…

 だから、安心して、素(す)の姿を見せられる…

 安心して、子供たちと、戯れることができる…

 そして、公(おおやけ)の舞台では、オスマン殿下を演じる…

 そういうことだ…

 いわば、公私をキッチリと、分けて、生活する…

 いつも、公(おおやけ)のイメージを演じているのは、疲れるから、普段は、素(す)の姿でいる…

 ちょうど、サラリーマンが、スーツを脱ぐのと、いっしょだ…

 私は、思った…

 すると、

 「…お姉さん…殿下が、一体?…」

 と、バニラが、切羽詰まった口調で、聞いてきた…

 だが、私は、考えた…

 このまま、本当のことを、言った方が、いいのか、どうか、考えたのだ…

 「…お姉さん…」

 と、バニラが、すがるように、私に聞いてきた…

 だから、私は、バニラを焦らすことにした…

 バニラを焦らして、バニラが、どんな態度を取るか、見ることに、した…

 我ながら、性格が悪いと思ったが、相手が、バニラだから、構わんかった…

 バカ、バニラだから、構わんかったのだ…

 私は、

 「…知らんな…」

 と、とぼけた…

 「…今、私が、なにか、言ったか?…」

 「…お姉さん…」

 「…バニラ…幻聴じゃないのか?…」

 私は、わざと、言った…

 が、

 バニラは、

 「…」

 と、なにも、言ってこんかった…

 私は、

 …やはりな…

 と、内心、ほくそ笑んだ…

 やはり、このバニラの前では、オスマン殿下の名前を出すに、限ると、思ったのだ…

 さんざん、この私を、バニラは、バカにしてきたが、所詮は、顔だけの女だ…

 顔が、取り柄だけの女だ…

 この矢田トモコが、顔が負けているからと、言って、人間が、負けているわけじゃない…

 人間が、負けているわけではないのだ!…

 私は、そう、あらためて、思った…

 私は、そう、あらためて、気付いたのだ…

 すると、

 「…お姉さん…すいません…」

 と、バニラが、私に詫びてきた…

 「…スイマセンだと? …バニラ…オマエ…なにか、私に謝ることがあるのか?…」

 と、言ってやった…

 途端に、バニラが、

 「…」

 と、黙った…

 だから、私は、

 「…私に謝るぐらいだから、なにか、後ろめたいことでも、あるんだろ?…」

 と、言ってやった…

 どんな小さな弱点でも、見つければ、それをネチネチと、いびるのが、私だ…

 この矢田トモコだ…

 我ながら、性格が、良くないと、思ったが、相手が、バニラだから、いい…

 いつも、この矢田トモコに、逆らってきたバニラだから、いいのだ…

 「…どうした? …なにか、あるのか?…」

 と、私は、上から目線で、言ってやった…

 それでも、バニラは、

 「…」

 と、なにも、言わんかった…

 だから、私は、ここぞとばかりに、

 「…バニラ…私が、今、どうして、オマエに対して、厳しいか、わかるか?…」

 と、聞いてやった…

 「…わかりません…」

 「…わからんだと? …だから、オマエは、ダメなんだ?…」

 「…」

 「…いいか、バニラ…よく聞け!…」

 「…ハイ…」

 「…私だけだゾ…」

 「…お姉さんだけ?…」

 「…そうだ…オマエは、今、少しばかり有名になって、天狗になってるのさ…」

 「…天狗に?…」

 「…そうさ…だから、いつも、威張っている…態度が、デカくなっているのさ…」

 「…」

 「…だが、私は、そんなオマエを心配して、オマエにアドバイスをしてやってるのさ…そのままの態度では、いずれ、オマエから、皆、ひとが、離れて行く…すると、どうだ? …オマエは、ひとりぼっちさ…誰も、オマエのために、指一本動かしてくれんさ…だから、どこかで、失敗して、今の地位から、転げ落ちるのは、目に見えているさ…そしたら、どうだ? …マリアは、どうなる?…」

 「…マリアが、一体、どうなると、言うんですか?…」

 「…保育園で、イジメられるさ…いや、保育園では、まだイジメられんかも、しれんが、いずれ、小学校に上がって、高学年になれば、イジメられるさ…オマエの母ちゃんは、ダメな女だと、子供たちが、知って、それをネタに、マリアをイジメるさ…」

 私は、心に浮かんだことを、適当に、言った…

 実に、適当に、言ってやった…

 が、

 効果は、抜群だった…

 抜群だったのだ…

 バニラは、すぐには、なにも、言わんかったが、少しすると、

 「…申し訳ありませんでした…調子に乗ってました…」

 と、電話の向こう側から、土下座せんばかりの声が、聞こえてきた…

 「…わかれば、いいのさ…」

 私は、言ってやった…

 実に、気分が、良かった…

 気分爽快だった…

 「…申し訳ありませんでした…」

 と、バニラが、重ねて、私に詫びた…

 だから、ひとのいい、私は、バニラを許してやることにした…

 「…もういい、バニラ…オマエの気持ちは、わかった…これからは、私に逆らうんじゃないゾ…」

 「…ハイ…」

 「…今日、オマエに電話したのは、リンダのことさ…」

 「…リンダのこと?…」

 「…そうさ…実は、ここだけの話、リンダの身が、心配で、な…」

 「…リンダの身が、心配? …どういうことですか?…」

 「…もしかしたら、リンダは、虎の尾を踏んだかも、知れんのさ…」

 「…虎の尾? …どういう意味ですか?…」

 「…つまり、怒らせては、いかん相手を怒らせたのかも、しれんと、いうことさ…」

 「…怒らせては、いけない相手? …誰のことですか?…」

 「…オスマン殿下さ…」

 「…オスマン殿下? …でも、殿下は、リンダのファンじゃ?…」

 「…いや、そうとも、限らんゾ…」

 「…どうして、そんなふうなことを、言うんですか?…」

 「…マリアがいい例さ…」

 「…マリア?…」

 「…オスマン殿下が、マリアを好きなのは、知ってるだろ?…」

 「…ハイ…知ってます…」

 「…きっと、アレこそが、オスマン殿下の素(す)の姿さ…」

 「…素(す)の姿?…」

 「…リンダは…リンダ・ヘイワースは、ハリウッドのセックス・シンボル…世界中の男の憧れさ…だから、リンダのファンだと言えば、誰もが、納得する…」

 「…」

 「…でも、それは、仮面さ…」

 「…仮面って?…」

 「…ホントは、殿下は、自分の好きな女の好みも、周囲に言わない、したたかな男かもしれんさ…」

 「…お姉さん…どうして? …どうして、そう思うんですか?…」

 「…葉尊さ…」

 「…葉尊?…」

 「…そうさ…葉尊が、今、オマエに、電話する前に、教えてくれたのさ…もしかしたら、殿下が、リンダを好きなのは、そう見せかけているだけかも、しれんて、な…」

 「…」

 「…それで、私も気付いたのさ…」

 私が、言うと、バニラは、

 「…」

 と、絶句した…

 答えんかった…

 「…だったら…リンダは…リンダは、一体?…」

 「…だから、私も、今、リンダの身が心配になって、オマエに電話をしてやってるのさ…」

 「…」

 「…オマエ…今、リンダが、どこにいるか、知っているか?…」

 「…いえ…」

 「…そうか…」

 私は、言った…

 「…だったら、リンダは…リンダは、一体、どうなるんですか?…」

 「…それは、私も知らんさ…」

 「…知らない?…」

 「…あくまで、私が、葉尊と話したのは、仮定の話さ…」

 「…仮定の話…」

 「…だが、オスマン殿下が、本当に、リンを好きなら、これまで、どこかで、リンダと会っているんじゃないか?…」

 「…リンダと、会っている?…」

 「…そうさ…オスマン殿下は、アラブの至宝と、呼ばれる権力者さ…だから、いかに、リンダが、ハリウッドのセックス・シンボルと、呼ばれる有名人でも、個人的に、パーティーでも、なんでも、開いて、呼べるだろ?…」

 「…たしかに…」

 「…それを、しなかったというのは、ホントは、殿下は、リンダのファンでも、なんでも、なかったということさ…」

 「…だったら、リンダは?…」

 「…問題は、リンダが、それに、気付いているか、どうかさ…」

 「…」

 「…気付いてなくて、殿下に接すれば、大変なことになるさ…」

 「…大変なこと?…」

 「…リンダ・ヘイワースのファンクラブ…アレは、ただのファンクラブじゃないだろ?…」

 「…ただのファンクラブじゃない?…」

 「…アレは、セレブの情報交換の場さ…セレブしか、知らない貴重な情報を交換する場所さ…リンダは、おそらく、その場に、オスマン殿下を誘おうと、しているさ…」

 「…お姉さん…それが、さっき言った、虎の尾を踏むということなんですか?…」

 「…そうさ…」

 「…リンダが、オスマン殿下を、リンダのファンクラブに誘うことが、どうして、虎の尾を踏むことに、なるんですか?…」

 「…オスマン殿下の私生活さ…」

 「…私生活?…」

 「…殿下は、こう言っては、なんだが、あの外見だ…きっと、自分の存在が、公(おおやけ)になるのを、極端に、恐れているだろ? だから、用心深い…」

 「…用心深い?…」

 「…そんな殿下に、リンダが、下手に近付いてみろ…どうなるか、知ったもんじゃ、ないさ…」

 「…」

 「…しかも、リンダは、オスマン殿下が、自分のファンだと誤解している…だから、殿下に甘えるというか…馴れ馴れしく接するに、決まっているさ…そしたら、どうなる?…」

 「…どうなるんですか?…」

 「…最悪、殺されるかも、しれんゾ…」

 「…殺される?…」

 「…そうさ…権力者というものは、常に、そういうものさ…そうやって、自分の地位を守っているのさ…」

 「…」

 「…だから、今、私は、リンダの身が心配なのさ…」

 私が、言った…

 言いながら、自分でも、思わぬ展開になったと、思った…

 あのオスマン殿下が、実は、リンダのファンじゃない…

 リンダ・ヘイワースのファンじゃない…

 そんなことは、考えもせんかった…

 なぜなら、リンダは、男の憧れ…

 ハリウッドのセックス・シンボルだと、思っていたからだ…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…実は…」

 と、バニラが、切り出した…

               

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