第27話

文字数 6,294文字

 …あの二人を屈服させてやるさ…

 もう何度目か、わからないほど、固く心に誓った…

 そんな私を見て、葉尊が、

 「…お姉さんは、リンダが嫌いですか?…」

 と、いきなり、私に聞いた…

 私は、驚いた…

 まるで、夫の葉尊が、私の心の内を見抜くように、聞いたからだ…

 驚いた私は、とっさに、

 「…どうしてだ? …どうして、いきなり、そんなことを、聞くんだ?…」

 と、夫の葉尊に聞いた…

 すると、

 「…今日の、昼間、リンダから、電話があったんです…」

 と、葉尊が答えた…

 「…なんだと? …リンダから、電話だと?…」

 「…ハイ…」

 「…リンダは、なにか、言っていたのか?…」

 「…お姉さんに、謝ってくれと…」

 「…なんだと?…」

 「…昼間、お姉さんを、傷付けてしまって、すまなかったと…」

 「…そうか…」

 私は、言った…

 言いながら、実に、抜け目がないと、思った…

 さすがに、リンダ・ヘイワース…ハリウッドのセックス・シンボルという地位を、そのボディとルックスだけで、得たわけでは、ないということだ…

 それにプラスして、知性がある…

 戦略がある…

 昼間、私をからかったことで、夫の葉尊を通じて、私に詫びれば、済むと、思っているのだろう…

 葉尊は、リンダ=ヤンの友人…

 台湾の学生時代からの友人だ…

 だから、その友人の葉尊を通じて、私に詫びれば、私の機嫌が、直ると思ったに違いない…

 が、

 甘いゾ…リンダ・ヘイワース…

 この矢田トモコは、そんな甘い女ではない!…

 夫を介して、私に詫びたところで、今日の昼間、私が受けた屈辱を、帳消しにすることなど、できん…

 できんのだ!…

 なかったことにすることなど、できんのだ!…

 そう、私は、心に誓った…

 誓ったのだ…

 いかに、夫の葉尊が、私をなだめようと、今日、受けた屈辱を、なかったことにすることなど、できん!

 そう、考えると、私の気持ちが昂った…

 すると、

 「…お姉さん…」

 と、葉尊が、私に話しかけた…

 「…なんだ?…」

 「…リンダ…いえ、ヤンは、決して、悪いヤツではありません…」

 「…どうして、そんなことが言える…」

 私は、言った…

 私は、不機嫌…

 実に、不機嫌だった…

 だから、夫の葉尊にも、不機嫌に言った…

 「…今日、なにが、あったかは、ヤンに聞きました…」

 「…そうか…」

 「…ヤンは、お姉さんをからかうつもりは、なかったと、言ってました…」

 「…からかうつもりはないだと? …だったら、どういうつもりで、リンダのパンティーをオークションにサイン入りで出すなんて、言葉を言えたんだ…」

 私は、頭に来た…

 誰が、聞いても、ウソ…

 ウソ八百だったからだ…

 「…葉尊…アイツは、悪いヤツさ…オマエも気を付けろ…オマエが、酔っ払って、理性を失えば、ヤンが、リンダに変わって、色仕掛けで、迫るゾ…そしたら、葉尊…オマエなんか、イチコロさ…」

 私は、不機嫌に言った…

 「…イチコロ?…」

 「…そうさ…ヤンが、リンダの格好で、オマエに迫って見ろ…オマエだけではない…この世の中の男という男が、リンダに屈服するゾ…リンダの色気に屈服するゾ…」

 私は、自信を持って言ってやった…

 自信を持って、断言してやった…

 あのリンダは、色気の塊…

 バニラも美しいが、色気では、到底リンダに及ばない…

 私が、男であれば、密室で、リンダと二人きりになれば、どういう気持ちになるか、わからない…

 っていうか、すでにリンダの色気に圧倒されて、自分を抑えることができるかどうか、わからない…

 それほどの色気の持ち主だった…

 私の言葉に、葉尊は、考え込んだ…

 だから、

 「…葉尊…オマエが、リンダを信じる気持ちはわかるさ…だが、それとこれとは、別さ…」

 私は、言った…

 「…真面目なオマエの友人さ…私だって、悪く言いたくないさ…でも、これが、事実さ…あの女の正体さ…」

 私は、言ってやった…

 いかに、夫の友人でも、言わずには、いられなかったのだ…

 なにより、夫の葉尊が、リンダの毒牙にかかっては、困る…

 そんなことになれば、私は、葉尊に離婚されて、一人ぼっち…

 また、元のフリーター生活に戻ることになる…

 それだけは、なんとしても、避けねば、ならん…

 私は、思った…

 だから、

 「…とにかく、あの女には、気をつけろ…」

 と、葉尊に念を押した…

 すると、

 「…お言葉ですが、お姉さん…」
 
 と、葉尊が言った…

 「…なんだ?…」

 「…ヤン…いえ、リンダは、そんな人間じゃないと思います…」

 「…なんだと? …葉尊…オマエは、私が信じられないのか?…」

 「…いえ、そうでは、ありません…」

 「…じゃ、なんだ?…」

 「…ヤン、いえ、リンダは、同一性障害です…」

 「…なんだ、それは?…」

 「…要するに、カラダは、女でも、心は男です…」

 「…なんだと?…」

 「…ボクも、心に病があり、学生時代、それに悩みました…」

 私は、夫が、葉問のことを、言っているのだと、感じた…

 葉問は、葉尊のもう一つの人格…

 つまり、葉尊は、多重人格…

 葉尊は、元々、双子…

 葉問という弟がいたが、葉尊の不注意で、葉問が、死んだ…

 その事実が受け入れらない葉尊は、自分で、自分の中に、葉問を作り出した…

 それが、葉問…

 つまり、葉尊と葉問は、同じ人間…

 同じ人間だから、カラダが、同じ…

 いわば、一人の人間の中に、二人の人間がいる状態だ…

 「…ヤンも、それは、同じでした…」

 「…同じ?…なにが、同じなんだ?…」

 「…共に、心の病を抱えていました…だから、それに、気付いた、ボクとヤンは、同病相憐れむというか、急速に惹かれました…でも、それは、男と女の愛情ではなく、友情です…」

 「…友情だと?…」

 「…ハイ…」

 私は、葉尊の言葉に考え込んだ…

 たしかに、葉尊の言葉は、わかる…

 わかるのだ…

 だが、それを認めるわけには、いかん…

 いかんのだ…

 「…オマエは、騙されているのさ…」

 私は、言ってやった…

 「…騙されている? どうして、そんなことが、お姉さんにわかるんですか?…」

 おとなしい葉尊が、珍しく、気色ばんだ…

 「…どうしてだと?…」

 「…ハイ…」

 「…リンダの色気を見れば、わかるだろ!…」

 私は、教えてやった…

 「…あれが、性同一障害の女が、出す色気か? …そんなことは、あるまい…」

 「…」

 「…性同一障害が、まるっきりのウソだとは、思わん…だが、自分に、女を意識する部分がなければ、女の色気を出すことは、できんだろ?…」

 私の言葉に、夫の葉尊は、

 「…」

 と、黙った…

 だから、私は、

 「…だろ?…」

 と、さらに念を押した…

 「…リンダが、性同一障害だとしても、完全な性同一障害とは、思えん…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…女の部分が残っているのさ…さもなければ、リンダ・ヘイワースとして、あれほどの色気が出せるはずがない…」

 「…」

 「…パンティーの件もそうさ…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…リンダの内面が、百%の男なら、自分のパンティーをオークションに売りに出すなんて、冗談でも、言わないさ…」

 「…どうして、言わないんですか?…」

 「…葉尊…オマエは、男だろ?…」

 「…ハイ…」

 「…だったら、わかるはずさ…」

 「…どうして、わかるんですか?…」

 「…男なら、自分の下着をオークションに出品するなんて、冗談でも言わないさ…女だから、言うのさ…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…昔、私の若い頃に、ブルセラショップというのがあってな…」

 「…ブルセラショップ?…」

 「…女子中学生や、女子高生が、自分の使用したパンティーなどの下着を店に売って、店は、それを商売にしたのさ…店は、それを店頭に並べて、売るのさ…」

 「…」

 「…だが、売るのは、当たり前だが、女…若い女さ…男ではない…仮に男が、同じ状況になっても、恥ずかしがって、売らんゾ…」

 「…」

 「…つまり、そういうことさ…リンダは、内面は、男と言ってるが、百%の男ではないということさ…」

 私の言葉に、葉尊が、考え込んだ…

 文字通り、考え込んだ…

 私は、黙って、夫の葉尊を見ていた…

 どう、対応するのか、知りたかったからだ…

 「…たしかに、お姉さんの言うことは、わかります…」

 「…だろ?…」

 「…ですが、ボクは、ヤンを信じたい…」

 「…なんだと?…」

 「…ヤンが…リンダが、お姉さんのいうような人間だとは、どうしても、思えないんです…」

 葉尊が、悩みながら、言った…

 苦悩しながら、言った…

 …マズい!…

 私は、思った…

 このままでは、葉尊は、私ではなく、ヤン=リンダを信じてしまう…

 そうなれば、今回のことは、いいとしても、なにか、あったときに、私ではなく、ヤン=リンダを選ぶことになる…

 そうなれば、徐々に、私と葉尊の間に亀裂が生じ、最終的に、離婚となる…

 葉尊と別れることになる…

 そうなれば、私は再び一人ぼっち…

 一人ぼっちの35歳のフリーターに舞い戻ることになる…

 なんとかせねば、ならん!

 ヤン=リンダに傾いた、葉尊の心を、私に引き寄せねば、ならん…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 だから、

 「…葉尊…オマエの気持ちは、わかるさ…」

 私は、重々しく言った…

 「…私が、オマエでも、そう言うさ…」

 「…お姉さんでも?…」

 「…そうさ…」

 「…だったら…」

 夫の葉尊が嬉しそうに、言いかけるのを、

 「…まあ、聞け…」

 と、私が、遮った…

 「…要するに、オマエが、まだ、若いからさ…」

 「…ボクが若いから?…」

 「…そうさ…誰もが、学生時代の友人を信じたいし、信じようと思う…それは、はっきり言えば、オマエが、若いときに、知り会ったからさ…」

 「…どういう意味ですか? …お姉さん?…」

 「…誰もが、そうさ…例えば、オマエが、今日の昼間、会社で、初対面の人間と知り合って、今度、飲もうと約束する…」

 「…」

 「…その人間とは、初対面とは、思えないほど、意気投合する…でも、やはり、警戒感というか、どうしても、心が開けない部分があるものさ…」

 「…」

 「…だが、これが、小学校や中学校、高校、と、学生時代に知り合った人間は、違う…例えば、たいして、仲が良くなかった人間でも、どこか、安心するというか…要するに、いつ、知り会ったか、どうかが、大切さ…」

 「…いつ、知り会ったか、どうか…ですか?…」

 「…そうさ…要するに、子供時代に知り会った人間の方が、誰もが、安心するのさ…だから、ハッキリ、言えば、評価が、甘くなる…」

 「…評価が、甘く? …どういう意味ですか?…」

 「…要するに、どんなに、性格の悪い人間でも、アイツは、ああいうヤツだからの一言で、すませてしまう…でも、歳をとって、知り会えば、そういうわけには、いかなくなる…誰が見ても、性格が悪い人間は、嫌だから、近寄らない…だから、ハッキリ言えば、社会に出て、知り会った人間の方が、その人間の能力や性格を、正当に、評価することになるのさ…」

 「…」

 「…オマエが、ヤン=リンダを、評価するのも、それと、同じさ…」

 「…」

 「…学生時代に知り会ったから、どうしても、評価が、甘くなる…だから、どうしても、ヤン=リンダを信じたくなるのさ…」

 「…そんな…」

 と、絶句して、私の言葉に葉尊は、考え込んだ…

 文字通り、悩んだ…

 だから、私は、さらに、追い打ちをかけた…

 「…大人になれ…葉尊…」

 「…大人に?…」

 「…そうさ…学生時代の評価ではなく、今の評価で、ヤン=リンダを見ろ…そうすれば、学生時代の評価とは、違った評価で、ヤン=リンダを見れる…」

 「…違う評価で?…」

 「…そうさ…それが、大人になるということさ…」

 「…」

 「…葉尊…私が、どうして、オマエにこんなことを言うのか、わかるか?…」

 「…わかりません…」

 「…オマエが、クールの社長だからさ…」

 「…社長だから?…」

 「…そうさ…オマエは有名人さ…だから、有象無象(うぞうむぞう)のものが、たくさん寄って来る…」

 「…有象無象…どういう意味ですか?…」

 「…取るに足らない人間たちさ…そんな人間たちが、オマエに取り入ろうと、やって来る…オマエに取り入って、少しでも、いい目を見ようと、やって来る…私は、それに、注意しろと、オマエに教えてやってるのさ…」

 言いながら、実は、その有象無象の中に、私が、いると、気付いた…

 私、矢田トモコがいると、気付いた(爆笑)…

 なにより、この矢田トモコが、有象無象の人間…取るに足らない人間だった(爆笑)…

 葉尊が、金持ちだから、近付いたに過ぎなかった…

 いわば、有象無象の代表である、この矢田トモコが、葉尊に、有象無象の人間に、気を付けろと、言っているのだ…

 考えれば、これ以上の、皮肉はなかった…

 なかったのだ(笑)…

 葉尊は、私の言葉に悩んだ…

 悩み抜いた…

 私は、さらに、悩む葉尊に追い打ちをかけた…

 「…葉尊…」

 「…なんですか?…」

 「…リンダは、オマエが言うように、そんなに悪いヤツじゃないさ…」

 「…悪いヤツじゃない?…」

 「…だから、困るのさ…」

 「…どういうことですか?…」

 「…学校でも、会社でも、いっしょさ…例えば、クールで、リストラを実施しようとする…そのときに、コイツは、残したい…真逆に、コイツは、真っ先に辞めてもらいたいと、思う人間は、誰もが、いっしょさ…だが、大抵は、どっちつかずの人間…そんなに優秀ではないし、すぐに辞めさせたいほど、ひどくはない…そんな人間さ…」

 「…」

 「…ハッキリ言えば、リンダもそんな、どっちつかずの人間の一人さ…だから、オマエも悩むのさ…」

 私は、言ってやった…

 葉尊に言ってやった…

 葉尊が、悩むのが、わかった…

 これまで以上に、葉尊が悩むのが、わかった…

 「…葉尊…オマエは、人柄がいい…でも、それは、経営者としては、失格だゾ…」

 「…失格?…」

 「…経営者は、ひとを切る非情さを、持ち合わせねば、ならん…そして、そのために、孤独になる…」

 「…孤独に?…」

 「…そうさ…クールの従業員も、リストラを実施すれば、社長である、葉尊…オマエを、非情な人間として見て、距離を置くだろう…当たり前のことさ…だから、孤独になる…会社で、一人ぼっちになる…」

 「…そんな…」

 「…そんなじゃないさ…そういうものさ…そんなときに、どうすればいいと、思う?…」

 「…どうすればいい? …わかりません…」

 「…家族を大事にするのさ…私を大事にするのさ…私は、オマエの味方だ…葉尊…どんなときも、オマエの味方だ…この世の中で、私以上、オマエを大切に思う人間はいないさ…」

 私は、啖呵を切った…

 が、

 これは、事実だった…

 今、私は、ここで、葉尊を失えば、元のフリーターの生活に逆戻り…

 それだけは、なんとしても、避けねば、ならんかった…

 だから、今、葉尊の説得に力を入れた…

 私より、リンダを大切にされては、堪らんからだ…

 私とリンダ…どちらを選べと、言われて、リンダを選ばれては、堪らんからだ…

 だから、私は、以前、読んだ本や、テレビやネットで、知った知識を総動員して、葉尊を説得した…

 全身全霊で、説得した…

 なにしろ、この矢田トモコの未来がかかっているのだ…

 この先も、クールの社長夫人でいられるか、どうかの未来が、かかっているのだ…

 それを、思えば、至極、当たり前のことだった(笑)…

                
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