第7話

文字数 6,015文字

 「…お姉さん…なにをグズグズしているの? …葉尊が、待っているんでしょ?…」

 先に歩いた、バニラが、私を振り返って、言った…

 が、

 すでに、神様から警告を受けた私は、このバニラに、油断しなかった…

 あの矢口トモコにも、だ…

 それが、わかった私は、

 「…すまん…バニラ…」

 と、謝った…

 いいひとを、演じたのだ(苦笑)…

 「…バニラ…すまんかった…」

 と、さらに、謝罪を重ねた…

 「…もう、お姉さん…グズグズしないで…」

 じれったそうに、バニラが、呟いた…

 私は、自分の短い足を全力で、動かした…

 すると、バニラは、そんな私を見て、

 「…お姉さん…背が低いんだから、さっさとしないと…私より、20㎝は、低いんだから…」

 と、私の気にすることを、わざと、言った…

 …相変わらず、性格の悪い女だ…

 …ひとの身長のことをネタにして…

 私は、頭にきたが、なにも、言わなかった…

 今は、このバニラに関わっている暇はない…

 今の問題は、バニラではない…

 あの矢口トモコだ…

 スーパー・ジャパンのお嬢様だ…

 一体、なにが、目的で、このクールの本社にやって来たのか、わからないが、油断はできない…

 あの矢口トモコの狡猾さは、このバニラの比ではない…

 バニラは、直情径行…

 常に、思ったことを、口にして、思った通りに、行動する…

 だから、ある意味、わかりやすい…

 非常に、行動が、単純で、わかりやすい…

 が、

 あの矢口トモコは、違う…

 正直、なにを、考えているか、さっぱり読めん…

 わからん…

 この矢田トモコの頭脳を持ってしても、だ…

 そもそも、口にすることと、やっていることが、まったく、違う…

 常に、本音を隠しているからだ…

 だから、行動が、さっぱり、読めん…

 だから、ある意味、これほど、怖い人間は、いない…

 なにしろ、行動が、読めんのだ…

 その言動を詳細に、見ていても、さっぱり、わからない…

 常に、本音を隠して、行動しているからだ…

 こんな人間が、身近にいては、一大事…

 たとえ、会社で、席を並べて、何年もいっしょに、仕事をしていても、なにを考えているか、さっぱりわからないのだ…

 これに、比べれば、バニラは、まるで、子供…

 お子様だ(笑)…

 思ったことを言い、その通りのことを、行動する…

 だから、行動が、読める…

 なにを、考えているか、手に取るように、わかる…

 思えば、これ以上、わかりやすい人間は、いない…

 だから、バニラが、なにをしようと、全然、怖くない…

 怖いのは、なにを考えているか、さっぱり、わからない人間…

 あの矢口トモコだ…

 私は、あらためて、思った…

 私は、あらためて、肝に銘じた…

 そして、クールの本社ロビーに向けて、歩き出した…


 私は、クールの本社ビルに、バニラと並んで、入った…

 本社ビルといっても、案外、殺風景なものだ…

 まるで、ホテルのロビーのようだった…

 奥に受付があり、その前に、来客が、安らげるように、多数のソファが、用意されている…

 私は、そんな光景を目の当たりにして、一瞬、気後れしたが、バニラは、違った…

 なにしろ、世界のトップモデルだ…

 どんなところも、場慣れしているのだろう…

 躊躇する、私とは、対照的に、スタスタと、ロビーに行き、

 「…バニラ…バニラ・ルインスキーと、言います…今日、社長の葉尊さんに、呼ばれて…」

 と、受付の女のコに、告げた…

 私は、その陰にいた…

 いや、

 正確には、決して、バニラの陰にいたわけではない…

 ただ、180㎝と長身のバニラの陰に、隠れる形になったのだ…

 身長159㎝の私は、バニラの陰に隠れて、見えなかったに過ぎない…

 が、

 私自身は、まったく、そんなことを、気にしなかった…

 なぜなら、そんなことより、いますぐ葉尊に会うことが、大切だからだ…

 むしろ、バニラが、受付で、葉尊を、呼び出して、くれて、ありがたかった…

 私では、ことによると、不審者扱いされるかもしれないからだ…

 私が、葉尊の妻であることを、知っているか、どうかも、怪しいからだ…

 たしかに、先日、クールの大運動会で、若手女子を率いて、私が、センターで、AKBや、乃木坂のように、華麗に、ダンスを披露したが、それを、知っているか、どうかも、怪しかった…

 なにしろ、社長の妻といっても、一般人…

 それほど、社内で、知られているわけでは、ないだろうからだ…

 が、

 あろうことか、その受付の女のコは、私に気付いた…

 「…お…奥様?…」

 と、突然、席を立ち上がり、私に呼びかけた…

 「…社長の奥様ですよね?…」

 私は、驚いたが、

 「…そうさ…」

 と、すぐに、答えた…

 「…よく、わかったな…」

 「…ハイ…先日、奥様と、いっしょに、ダンスをいっしょにやって…私の顔に見覚えはありませんか?…」

 私は、その顔を見た…

 たしかに、見た覚えは、あるかもしれんが、名前までは、わからなかった…

 だから、

 「…すまん…見たような顔だとは、思うが、名前までは、思い出せん…許せ…」

 と、私は、正直に、告白した…

 すると、その女のコは、

 「…たぶん、名前は、名乗っていませんよ…」

 と、告げた…

 …なにっ? 名乗ってない?…

 …だったら、どうして?…

 私は、思ったが、言えんかった…

 不用意に、口を開けば、その女のコを、傷つける可能性もあるからだ…

 さすがに、35歳ともなれば、二十代前半の眼前の女のコを、不用意に、傷つけるわけには、いかなかった…

 すると、

 「…あのときは、秘書課にいたんですよ…」

 と、受付の女のコが、続けた…

 「…秘書課だと?…」

 私も、つい口を開いた…

 「…だったら、なぜ、受付に?…」

 「…移動になったんです…」

 と、女のコは、笑った…

 「…奥様といっしょに、あのステージで、ダンスを踊ったのは、私の一生の思い出です…」

 ニコニコと、笑いながら、実に楽しそうに、私に語りかけた…

 …この娘…案外、悪い人間では、ないのかもしれん…

 私は、思った…

 私と踊ったことが、一生の思い出とは?…

 実に、いい娘ではないか?

 気付いた…

 素直な、いい娘だ…

 そう思った…

 心の底から、思った…

 と、そのときだった…

 「…さっき、奥様と、ホント、良く似た方が、受付に来られて、ビックリしました…」

 …なんだと?…

 …やはり、あの矢口トモコは、ここへ来たのか?…

 私は、動揺した…

 みっともないほど、動揺した…

 やはり、あの矢口トモコが、ここへ来たのかと、これで、確信を得たが、どうして、ここへやって来たのか、までは、わからない…

 私は、真っ先に、その理由を知りたかったが、この受付の女のコに、それを聞いても、当たり前だが、わからないに違いない…

 「…私、本当に、驚きました…世の中に、あれほど、似た人がいるなんて…」

 女のコが、続けた…

 私は、当然、矢口トモコを知っていたが、

 「…世の中に、似たような人間は、案外、いるものさ…」

 と、言っただけだった…

 極端な話、ここで、この私と、あの矢口トモコとの因縁を語っても、仕方がないからだ…

 それは、このバニラも同じだった…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…いけない…すぐに、社長室に電話します…」

 と、受付の女のコが、慌てて、席に座った…

 それから、

 「…一階のロビーの関口です…社長室ですか? …」

 と、電話した…

 それから、

 「…今、ロビーに、社長の奥様と、モデルのバニラ・ルインスキーさんが、見えられて…」

 と、話を続けた…

 「…ハイ…でしたら、このまま、お通ししても、構わないんですね…」

 と、言い、すぐに電話を切った…

 そして、

 「…今の会話をお聞きになったように、すでに、社長室では、葉尊社長が、お待ちのようです…」

 と、受付の関口と言った女子は、告げた…

 「…ありがとう…」

 と、バニラが、礼を言った…

 私も、また、

 「…すまん…手間をかけて…」

 と、礼を言った…

 すると、

 「…お二人とも、これが、私の仕事ですから…」

 と、受付の関口が、ニコニコと、告げた…

 私は、その通りだと、思ったから、なにも、言わなかった…

 が、

 バニラは、

 「…たとえ、仕事でも、自分に好意を持つ方が、連絡してくれるのは、ありがたいことよ…関口さん…」

 と、口を開いた…

 その言葉に、受付の関口は、

 「…そんな…世界的に有名なモデルのバニラさんに、そんな言葉を頂いて、嬉しいです…」

 と、感激した…

 私は、その光景を見て、

 「…バカ…関口…騙されちゃ、いかん!…このバニラは口先だけの女だ…オマエは、騙されているんだ!…」

 と、声を大にして、言いたかったが、言えんかった…

 さすがに、立場上、ここで、そんなことは、
言えん…

 クールの社長夫人という立場がある…

 そのクールの社長夫人が、

 「…この女は口先だけだ…本当は、腹黒い、性悪女だ…」

 と、その正体をバラしたかったが、黙っていた…

 まるで、貝になったように、口をつぐんだ…

 つくづく、地位を得るというのは、難しい…

 大変だ…

 思っていることの半分も、口に出せなくなる(涙)…

 私は、思った…

 だから、私は、その関口に、軽く頭を下げて、その場から、歩き出そうとした…

 すると、

 「…奥様…」

 と、私の背中に、関口が、声をかけた…

 だから、私は、足を止めて、振り返った…

 「…なんだ?…」

 「…今日は、真剣なんですね?…」

 …真剣?…

 …どういう意味だ?…

 私は、悩んだ…

 だから、

 「…どうして、真剣なんだ?…」

 と、聞こうとしたところ、バニラが、

 「…どうして、真剣なの?…」

 と、先に、関口に聞いてしまった…

 すると、

 「…目です…」

 と、躊躇うことなく、関口が、答えた…

 …なんだと?…

 …目だと?…

 …どういう意味だ?…

 そのわけを聞こうとしたところ、先に、

 「…今日の奥様は、目が笑ってません…」

 と、断言した…

 「…目が笑ってない?…」

 と、バニラが、口を挟んだ…

 「…ハイ…奥様は、いつも明るく、笑っています…たとえ、口では笑っていても、目が笑ってないひとは、世間にいっぱいいます…でも、奥様は違います…」

 「…どう違うの?…」

 「…いつも、楽しそうに、笑いながら、周囲の人間に接します…なにより、いつも目が笑ってます…だから、奥様に接した人間は、皆、奥様のファンになります…もちろん、私も、です…」

 と、関口が力強く言った…

 「…だから、そんな奥様と、ダンスを踊ったのは、私の一生の思い出です…」

 関口が続けた…

 私は、驚いた…

 まさか、たかだか、ダンスを踊ったことが、そんなに凄いことだとは、微塵も思いもしなかったからだ…

 どんな小さなことも、恩着せがましく、言う…

 それが、私のポリシーだったが、あのときは、そんなこと、微塵も考えんかった…

 なにより、35歳で、久々にダンスを踊っただけあって、一曲踊っただけで、息も絶え絶え…

 死にそうだった(涙)…

 だから、そんな余裕など、なかった…

 はっきり、言って、私にとって、思い出したくない黒歴史だった…

 それが、まさか、一生の思い出とは?

 わからん…

 さっぱり、わからん…

 立場が、違えば、こうも、感想が違うのか?

 ただただ、驚いた…

 そして、それを思うと、この関口になんと、声をかけていいか、わからなかった…

 だから、私は、なんと声をかけるべきか、悩んでいると、

 「…このお姉さんは、いつも、そうなの…」

 と、突然、バニラが、口を出した…

 私は、驚いた…

 一体、なにが、いつも、そうなのか?…

 悩んだ…

 考えた…

 すると、

 「…お姉さんは、いつも、自分のことは、後回しにして、周囲の人間のことを、考える…いわば、理想のリーダー」

 と、バニラが、私を持ち上げた…

 私は、バニラが、頭がおかしくなったのでは?

 と、思った…

 きっと、精神が錯乱したんだろうと、思った…

 ついに、このときが、きた…

 バニラ・ルインスキー、発狂す、だ…

 思えば、出会ったときから、少々、おかしな女だとは、思っていたが、こんなにも、早く頭がおかしくなるとは、思わなかった(笑)…

 それに、気付いた私は、いち早く、この場から逃げ出そうとした…

 いち早く、バニラから、離れようとした…

 まさかとは、思うが、いきなり、私に襲いかかってくるかもしれないからだ…

 何度も言うように、私は、身長159㎝…

 片や、バニラは、180㎝…

 身長差、実に、21㎝…

 まともに殴り合って、勝てる相手ではない…

 バニラが、発狂すれば、逃げ出すしかない…

 だから、慌てて、スタスタと、一人エレベーターに向かった…

 一刻でも早く、バニラから離れて、最上階の夫の葉尊のいる社長室に逃げ込もうと思ったのだ…

 夫の葉尊なら、バニラと殴りあっても、勝てるからだ…

 そう考えて、その場から、走り出そうとすると、

 「…ホントに、そうですね…」

 と、受付の関口が、相槌を打った…

 「…いつも、ニコニコと、笑顔で、周囲の者を元気づける、リーダーです…」

 と、関口が続けた…

 が、

 これを、聞いて、私は、この場から、逃げ出せなくなった…

 リーダーが、部下を置いて、逃げ出すわけには、いかないからだ…

 たとえ、頭がおかしくなったバニラに襲われて、殺されても、この場から、逃げ出すわけには、いかなかった…

 それを、思うと、思わず、泣きそうになった…

 自分の惨めな境遇を思うと、涙が出そうになった…

 その私の肩を、そっと、誰かが触れた…

 見上げると、バニラだった…

 「…さあ、行きましょう…お姉さん…」

 頭のおかしなバニラが、私を誘った…

 気の弱い、私は、今にも泣き出しそうな表情で、バニラに従った…

 実に惨めだった…

 バニラは、そんな私に気付いたのだろう…

 「…お芝居よ…お芝居…」

 と、いきなり声をかけた…

 「…お芝居?…」

 「…まさか、受付の子にまで、ホントは、クールの社長夫人は、根性のねじ曲がった、女だなんて、口が裂けても言えないでしょう…言えば、社内で、葉尊の立場もなくなる…」

 私は空いた口が、塞がらなかった…

 思わず、ポカンと口を開けて、バニラを見上げた…

 「…まったく、このバニラ様に、礼を言ってもらいたいぐらいよ…」

 バニラが、その美貌で、不機嫌そうな、表情を見せた…

 私は、頭にきたが、同時に、安心した…

 バニラが、頭がおかしくなってないことに、気付いたからだ…

 「…さあ、ずんぐりむっくりのおチビちゃん…早く行くわよ…」

 バニラが、私に宣言した…

 私は、

 「…なんだと?…」

 と、内心、激怒したが、これが、バニラだった…

 バニラ・ルインスキーだった…

 その圧倒的な美貌と、真逆のねじ曲がった心の持ち主…

 それが、このバニラ・ルインスキー…

 その正体だった(爆笑)…

                

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