第7話
文字数 6,015文字
「…お姉さん…なにをグズグズしているの? …葉尊が、待っているんでしょ?…」
先に歩いた、バニラが、私を振り返って、言った…
が、
すでに、神様から警告を受けた私は、このバニラに、油断しなかった…
あの矢口トモコにも、だ…
それが、わかった私は、
「…すまん…バニラ…」
と、謝った…
いいひとを、演じたのだ(苦笑)…
「…バニラ…すまんかった…」
と、さらに、謝罪を重ねた…
「…もう、お姉さん…グズグズしないで…」
じれったそうに、バニラが、呟いた…
私は、自分の短い足を全力で、動かした…
すると、バニラは、そんな私を見て、
「…お姉さん…背が低いんだから、さっさとしないと…私より、20㎝は、低いんだから…」
と、私の気にすることを、わざと、言った…
…相変わらず、性格の悪い女だ…
…ひとの身長のことをネタにして…
私は、頭にきたが、なにも、言わなかった…
今は、このバニラに関わっている暇はない…
今の問題は、バニラではない…
あの矢口トモコだ…
スーパー・ジャパンのお嬢様だ…
一体、なにが、目的で、このクールの本社にやって来たのか、わからないが、油断はできない…
あの矢口トモコの狡猾さは、このバニラの比ではない…
バニラは、直情径行…
常に、思ったことを、口にして、思った通りに、行動する…
だから、ある意味、わかりやすい…
非常に、行動が、単純で、わかりやすい…
が、
あの矢口トモコは、違う…
正直、なにを、考えているか、さっぱり読めん…
わからん…
この矢田トモコの頭脳を持ってしても、だ…
そもそも、口にすることと、やっていることが、まったく、違う…
常に、本音を隠しているからだ…
だから、行動が、さっぱり、読めん…
だから、ある意味、これほど、怖い人間は、いない…
なにしろ、行動が、読めんのだ…
その言動を詳細に、見ていても、さっぱり、わからない…
常に、本音を隠して、行動しているからだ…
こんな人間が、身近にいては、一大事…
たとえ、会社で、席を並べて、何年もいっしょに、仕事をしていても、なにを考えているか、さっぱりわからないのだ…
これに、比べれば、バニラは、まるで、子供…
お子様だ(笑)…
思ったことを言い、その通りのことを、行動する…
だから、行動が、読める…
なにを、考えているか、手に取るように、わかる…
思えば、これ以上、わかりやすい人間は、いない…
だから、バニラが、なにをしようと、全然、怖くない…
怖いのは、なにを考えているか、さっぱり、わからない人間…
あの矢口トモコだ…
私は、あらためて、思った…
私は、あらためて、肝に銘じた…
そして、クールの本社ロビーに向けて、歩き出した…
私は、クールの本社ビルに、バニラと並んで、入った…
本社ビルといっても、案外、殺風景なものだ…
まるで、ホテルのロビーのようだった…
奥に受付があり、その前に、来客が、安らげるように、多数のソファが、用意されている…
私は、そんな光景を目の当たりにして、一瞬、気後れしたが、バニラは、違った…
なにしろ、世界のトップモデルだ…
どんなところも、場慣れしているのだろう…
躊躇する、私とは、対照的に、スタスタと、ロビーに行き、
「…バニラ…バニラ・ルインスキーと、言います…今日、社長の葉尊さんに、呼ばれて…」
と、受付の女のコに、告げた…
私は、その陰にいた…
いや、
正確には、決して、バニラの陰にいたわけではない…
ただ、180㎝と長身のバニラの陰に、隠れる形になったのだ…
身長159㎝の私は、バニラの陰に隠れて、見えなかったに過ぎない…
が、
私自身は、まったく、そんなことを、気にしなかった…
なぜなら、そんなことより、いますぐ葉尊に会うことが、大切だからだ…
むしろ、バニラが、受付で、葉尊を、呼び出して、くれて、ありがたかった…
私では、ことによると、不審者扱いされるかもしれないからだ…
私が、葉尊の妻であることを、知っているか、どうかも、怪しいからだ…
たしかに、先日、クールの大運動会で、若手女子を率いて、私が、センターで、AKBや、乃木坂のように、華麗に、ダンスを披露したが、それを、知っているか、どうかも、怪しかった…
なにしろ、社長の妻といっても、一般人…
それほど、社内で、知られているわけでは、ないだろうからだ…
が、
あろうことか、その受付の女のコは、私に気付いた…
「…お…奥様?…」
と、突然、席を立ち上がり、私に呼びかけた…
「…社長の奥様ですよね?…」
私は、驚いたが、
「…そうさ…」
と、すぐに、答えた…
「…よく、わかったな…」
「…ハイ…先日、奥様と、いっしょに、ダンスをいっしょにやって…私の顔に見覚えはありませんか?…」
私は、その顔を見た…
たしかに、見た覚えは、あるかもしれんが、名前までは、わからなかった…
だから、
「…すまん…見たような顔だとは、思うが、名前までは、思い出せん…許せ…」
と、私は、正直に、告白した…
すると、その女のコは、
「…たぶん、名前は、名乗っていませんよ…」
と、告げた…
…なにっ? 名乗ってない?…
…だったら、どうして?…
私は、思ったが、言えんかった…
不用意に、口を開けば、その女のコを、傷つける可能性もあるからだ…
さすがに、35歳ともなれば、二十代前半の眼前の女のコを、不用意に、傷つけるわけには、いかなかった…
すると、
「…あのときは、秘書課にいたんですよ…」
と、受付の女のコが、続けた…
「…秘書課だと?…」
私も、つい口を開いた…
「…だったら、なぜ、受付に?…」
「…移動になったんです…」
と、女のコは、笑った…
「…奥様といっしょに、あのステージで、ダンスを踊ったのは、私の一生の思い出です…」
ニコニコと、笑いながら、実に楽しそうに、私に語りかけた…
…この娘…案外、悪い人間では、ないのかもしれん…
私は、思った…
私と踊ったことが、一生の思い出とは?…
実に、いい娘ではないか?
気付いた…
素直な、いい娘だ…
そう思った…
心の底から、思った…
と、そのときだった…
「…さっき、奥様と、ホント、良く似た方が、受付に来られて、ビックリしました…」
…なんだと?…
…やはり、あの矢口トモコは、ここへ来たのか?…
私は、動揺した…
みっともないほど、動揺した…
やはり、あの矢口トモコが、ここへ来たのかと、これで、確信を得たが、どうして、ここへやって来たのか、までは、わからない…
私は、真っ先に、その理由を知りたかったが、この受付の女のコに、それを聞いても、当たり前だが、わからないに違いない…
「…私、本当に、驚きました…世の中に、あれほど、似た人がいるなんて…」
女のコが、続けた…
私は、当然、矢口トモコを知っていたが、
「…世の中に、似たような人間は、案外、いるものさ…」
と、言っただけだった…
極端な話、ここで、この私と、あの矢口トモコとの因縁を語っても、仕方がないからだ…
それは、このバニラも同じだった…
私が、そんなことを、考えていると、
「…いけない…すぐに、社長室に電話します…」
と、受付の女のコが、慌てて、席に座った…
それから、
「…一階のロビーの関口です…社長室ですか? …」
と、電話した…
それから、
「…今、ロビーに、社長の奥様と、モデルのバニラ・ルインスキーさんが、見えられて…」
と、話を続けた…
「…ハイ…でしたら、このまま、お通ししても、構わないんですね…」
と、言い、すぐに電話を切った…
そして、
「…今の会話をお聞きになったように、すでに、社長室では、葉尊社長が、お待ちのようです…」
と、受付の関口と言った女子は、告げた…
「…ありがとう…」
と、バニラが、礼を言った…
私も、また、
「…すまん…手間をかけて…」
と、礼を言った…
すると、
「…お二人とも、これが、私の仕事ですから…」
と、受付の関口が、ニコニコと、告げた…
私は、その通りだと、思ったから、なにも、言わなかった…
が、
バニラは、
「…たとえ、仕事でも、自分に好意を持つ方が、連絡してくれるのは、ありがたいことよ…関口さん…」
と、口を開いた…
その言葉に、受付の関口は、
「…そんな…世界的に有名なモデルのバニラさんに、そんな言葉を頂いて、嬉しいです…」
と、感激した…
私は、その光景を見て、
「…バカ…関口…騙されちゃ、いかん!…このバニラは口先だけの女だ…オマエは、騙されているんだ!…」
と、声を大にして、言いたかったが、言えんかった…
さすがに、立場上、ここで、そんなことは、
言えん…
クールの社長夫人という立場がある…
そのクールの社長夫人が、
「…この女は口先だけだ…本当は、腹黒い、性悪女だ…」
と、その正体をバラしたかったが、黙っていた…
まるで、貝になったように、口をつぐんだ…
つくづく、地位を得るというのは、難しい…
大変だ…
思っていることの半分も、口に出せなくなる(涙)…
私は、思った…
だから、私は、その関口に、軽く頭を下げて、その場から、歩き出そうとした…
すると、
「…奥様…」
と、私の背中に、関口が、声をかけた…
だから、私は、足を止めて、振り返った…
「…なんだ?…」
「…今日は、真剣なんですね?…」
…真剣?…
…どういう意味だ?…
私は、悩んだ…
だから、
「…どうして、真剣なんだ?…」
と、聞こうとしたところ、バニラが、
「…どうして、真剣なの?…」
と、先に、関口に聞いてしまった…
すると、
「…目です…」
と、躊躇うことなく、関口が、答えた…
…なんだと?…
…目だと?…
…どういう意味だ?…
そのわけを聞こうとしたところ、先に、
「…今日の奥様は、目が笑ってません…」
と、断言した…
「…目が笑ってない?…」
と、バニラが、口を挟んだ…
「…ハイ…奥様は、いつも明るく、笑っています…たとえ、口では笑っていても、目が笑ってないひとは、世間にいっぱいいます…でも、奥様は違います…」
「…どう違うの?…」
「…いつも、楽しそうに、笑いながら、周囲の人間に接します…なにより、いつも目が笑ってます…だから、奥様に接した人間は、皆、奥様のファンになります…もちろん、私も、です…」
と、関口が力強く言った…
「…だから、そんな奥様と、ダンスを踊ったのは、私の一生の思い出です…」
関口が続けた…
私は、驚いた…
まさか、たかだか、ダンスを踊ったことが、そんなに凄いことだとは、微塵も思いもしなかったからだ…
どんな小さなことも、恩着せがましく、言う…
それが、私のポリシーだったが、あのときは、そんなこと、微塵も考えんかった…
なにより、35歳で、久々にダンスを踊っただけあって、一曲踊っただけで、息も絶え絶え…
死にそうだった(涙)…
だから、そんな余裕など、なかった…
はっきり、言って、私にとって、思い出したくない黒歴史だった…
それが、まさか、一生の思い出とは?
わからん…
さっぱり、わからん…
立場が、違えば、こうも、感想が違うのか?
ただただ、驚いた…
そして、それを思うと、この関口になんと、声をかけていいか、わからなかった…
だから、私は、なんと声をかけるべきか、悩んでいると、
「…このお姉さんは、いつも、そうなの…」
と、突然、バニラが、口を出した…
私は、驚いた…
一体、なにが、いつも、そうなのか?…
悩んだ…
考えた…
すると、
「…お姉さんは、いつも、自分のことは、後回しにして、周囲の人間のことを、考える…いわば、理想のリーダー」
と、バニラが、私を持ち上げた…
私は、バニラが、頭がおかしくなったのでは?
と、思った…
きっと、精神が錯乱したんだろうと、思った…
ついに、このときが、きた…
バニラ・ルインスキー、発狂す、だ…
思えば、出会ったときから、少々、おかしな女だとは、思っていたが、こんなにも、早く頭がおかしくなるとは、思わなかった(笑)…
それに、気付いた私は、いち早く、この場から逃げ出そうとした…
いち早く、バニラから、離れようとした…
まさかとは、思うが、いきなり、私に襲いかかってくるかもしれないからだ…
何度も言うように、私は、身長159㎝…
片や、バニラは、180㎝…
身長差、実に、21㎝…
まともに殴り合って、勝てる相手ではない…
バニラが、発狂すれば、逃げ出すしかない…
だから、慌てて、スタスタと、一人エレベーターに向かった…
一刻でも早く、バニラから離れて、最上階の夫の葉尊のいる社長室に逃げ込もうと思ったのだ…
夫の葉尊なら、バニラと殴りあっても、勝てるからだ…
そう考えて、その場から、走り出そうとすると、
「…ホントに、そうですね…」
と、受付の関口が、相槌を打った…
「…いつも、ニコニコと、笑顔で、周囲の者を元気づける、リーダーです…」
と、関口が続けた…
が、
これを、聞いて、私は、この場から、逃げ出せなくなった…
リーダーが、部下を置いて、逃げ出すわけには、いかないからだ…
たとえ、頭がおかしくなったバニラに襲われて、殺されても、この場から、逃げ出すわけには、いかなかった…
それを、思うと、思わず、泣きそうになった…
自分の惨めな境遇を思うと、涙が出そうになった…
その私の肩を、そっと、誰かが触れた…
見上げると、バニラだった…
「…さあ、行きましょう…お姉さん…」
頭のおかしなバニラが、私を誘った…
気の弱い、私は、今にも泣き出しそうな表情で、バニラに従った…
実に惨めだった…
バニラは、そんな私に気付いたのだろう…
「…お芝居よ…お芝居…」
と、いきなり声をかけた…
「…お芝居?…」
「…まさか、受付の子にまで、ホントは、クールの社長夫人は、根性のねじ曲がった、女だなんて、口が裂けても言えないでしょう…言えば、社内で、葉尊の立場もなくなる…」
私は空いた口が、塞がらなかった…
思わず、ポカンと口を開けて、バニラを見上げた…
「…まったく、このバニラ様に、礼を言ってもらいたいぐらいよ…」
バニラが、その美貌で、不機嫌そうな、表情を見せた…
私は、頭にきたが、同時に、安心した…
バニラが、頭がおかしくなってないことに、気付いたからだ…
「…さあ、ずんぐりむっくりのおチビちゃん…早く行くわよ…」
バニラが、私に宣言した…
私は、
「…なんだと?…」
と、内心、激怒したが、これが、バニラだった…
バニラ・ルインスキーだった…
その圧倒的な美貌と、真逆のねじ曲がった心の持ち主…
それが、このバニラ・ルインスキー…
その正体だった(爆笑)…
先に歩いた、バニラが、私を振り返って、言った…
が、
すでに、神様から警告を受けた私は、このバニラに、油断しなかった…
あの矢口トモコにも、だ…
それが、わかった私は、
「…すまん…バニラ…」
と、謝った…
いいひとを、演じたのだ(苦笑)…
「…バニラ…すまんかった…」
と、さらに、謝罪を重ねた…
「…もう、お姉さん…グズグズしないで…」
じれったそうに、バニラが、呟いた…
私は、自分の短い足を全力で、動かした…
すると、バニラは、そんな私を見て、
「…お姉さん…背が低いんだから、さっさとしないと…私より、20㎝は、低いんだから…」
と、私の気にすることを、わざと、言った…
…相変わらず、性格の悪い女だ…
…ひとの身長のことをネタにして…
私は、頭にきたが、なにも、言わなかった…
今は、このバニラに関わっている暇はない…
今の問題は、バニラではない…
あの矢口トモコだ…
スーパー・ジャパンのお嬢様だ…
一体、なにが、目的で、このクールの本社にやって来たのか、わからないが、油断はできない…
あの矢口トモコの狡猾さは、このバニラの比ではない…
バニラは、直情径行…
常に、思ったことを、口にして、思った通りに、行動する…
だから、ある意味、わかりやすい…
非常に、行動が、単純で、わかりやすい…
が、
あの矢口トモコは、違う…
正直、なにを、考えているか、さっぱり読めん…
わからん…
この矢田トモコの頭脳を持ってしても、だ…
そもそも、口にすることと、やっていることが、まったく、違う…
常に、本音を隠しているからだ…
だから、行動が、さっぱり、読めん…
だから、ある意味、これほど、怖い人間は、いない…
なにしろ、行動が、読めんのだ…
その言動を詳細に、見ていても、さっぱり、わからない…
常に、本音を隠して、行動しているからだ…
こんな人間が、身近にいては、一大事…
たとえ、会社で、席を並べて、何年もいっしょに、仕事をしていても、なにを考えているか、さっぱりわからないのだ…
これに、比べれば、バニラは、まるで、子供…
お子様だ(笑)…
思ったことを言い、その通りのことを、行動する…
だから、行動が、読める…
なにを、考えているか、手に取るように、わかる…
思えば、これ以上、わかりやすい人間は、いない…
だから、バニラが、なにをしようと、全然、怖くない…
怖いのは、なにを考えているか、さっぱり、わからない人間…
あの矢口トモコだ…
私は、あらためて、思った…
私は、あらためて、肝に銘じた…
そして、クールの本社ロビーに向けて、歩き出した…
私は、クールの本社ビルに、バニラと並んで、入った…
本社ビルといっても、案外、殺風景なものだ…
まるで、ホテルのロビーのようだった…
奥に受付があり、その前に、来客が、安らげるように、多数のソファが、用意されている…
私は、そんな光景を目の当たりにして、一瞬、気後れしたが、バニラは、違った…
なにしろ、世界のトップモデルだ…
どんなところも、場慣れしているのだろう…
躊躇する、私とは、対照的に、スタスタと、ロビーに行き、
「…バニラ…バニラ・ルインスキーと、言います…今日、社長の葉尊さんに、呼ばれて…」
と、受付の女のコに、告げた…
私は、その陰にいた…
いや、
正確には、決して、バニラの陰にいたわけではない…
ただ、180㎝と長身のバニラの陰に、隠れる形になったのだ…
身長159㎝の私は、バニラの陰に隠れて、見えなかったに過ぎない…
が、
私自身は、まったく、そんなことを、気にしなかった…
なぜなら、そんなことより、いますぐ葉尊に会うことが、大切だからだ…
むしろ、バニラが、受付で、葉尊を、呼び出して、くれて、ありがたかった…
私では、ことによると、不審者扱いされるかもしれないからだ…
私が、葉尊の妻であることを、知っているか、どうかも、怪しいからだ…
たしかに、先日、クールの大運動会で、若手女子を率いて、私が、センターで、AKBや、乃木坂のように、華麗に、ダンスを披露したが、それを、知っているか、どうかも、怪しかった…
なにしろ、社長の妻といっても、一般人…
それほど、社内で、知られているわけでは、ないだろうからだ…
が、
あろうことか、その受付の女のコは、私に気付いた…
「…お…奥様?…」
と、突然、席を立ち上がり、私に呼びかけた…
「…社長の奥様ですよね?…」
私は、驚いたが、
「…そうさ…」
と、すぐに、答えた…
「…よく、わかったな…」
「…ハイ…先日、奥様と、いっしょに、ダンスをいっしょにやって…私の顔に見覚えはありませんか?…」
私は、その顔を見た…
たしかに、見た覚えは、あるかもしれんが、名前までは、わからなかった…
だから、
「…すまん…見たような顔だとは、思うが、名前までは、思い出せん…許せ…」
と、私は、正直に、告白した…
すると、その女のコは、
「…たぶん、名前は、名乗っていませんよ…」
と、告げた…
…なにっ? 名乗ってない?…
…だったら、どうして?…
私は、思ったが、言えんかった…
不用意に、口を開けば、その女のコを、傷つける可能性もあるからだ…
さすがに、35歳ともなれば、二十代前半の眼前の女のコを、不用意に、傷つけるわけには、いかなかった…
すると、
「…あのときは、秘書課にいたんですよ…」
と、受付の女のコが、続けた…
「…秘書課だと?…」
私も、つい口を開いた…
「…だったら、なぜ、受付に?…」
「…移動になったんです…」
と、女のコは、笑った…
「…奥様といっしょに、あのステージで、ダンスを踊ったのは、私の一生の思い出です…」
ニコニコと、笑いながら、実に楽しそうに、私に語りかけた…
…この娘…案外、悪い人間では、ないのかもしれん…
私は、思った…
私と踊ったことが、一生の思い出とは?…
実に、いい娘ではないか?
気付いた…
素直な、いい娘だ…
そう思った…
心の底から、思った…
と、そのときだった…
「…さっき、奥様と、ホント、良く似た方が、受付に来られて、ビックリしました…」
…なんだと?…
…やはり、あの矢口トモコは、ここへ来たのか?…
私は、動揺した…
みっともないほど、動揺した…
やはり、あの矢口トモコが、ここへ来たのかと、これで、確信を得たが、どうして、ここへやって来たのか、までは、わからない…
私は、真っ先に、その理由を知りたかったが、この受付の女のコに、それを聞いても、当たり前だが、わからないに違いない…
「…私、本当に、驚きました…世の中に、あれほど、似た人がいるなんて…」
女のコが、続けた…
私は、当然、矢口トモコを知っていたが、
「…世の中に、似たような人間は、案外、いるものさ…」
と、言っただけだった…
極端な話、ここで、この私と、あの矢口トモコとの因縁を語っても、仕方がないからだ…
それは、このバニラも同じだった…
私が、そんなことを、考えていると、
「…いけない…すぐに、社長室に電話します…」
と、受付の女のコが、慌てて、席に座った…
それから、
「…一階のロビーの関口です…社長室ですか? …」
と、電話した…
それから、
「…今、ロビーに、社長の奥様と、モデルのバニラ・ルインスキーさんが、見えられて…」
と、話を続けた…
「…ハイ…でしたら、このまま、お通ししても、構わないんですね…」
と、言い、すぐに電話を切った…
そして、
「…今の会話をお聞きになったように、すでに、社長室では、葉尊社長が、お待ちのようです…」
と、受付の関口と言った女子は、告げた…
「…ありがとう…」
と、バニラが、礼を言った…
私も、また、
「…すまん…手間をかけて…」
と、礼を言った…
すると、
「…お二人とも、これが、私の仕事ですから…」
と、受付の関口が、ニコニコと、告げた…
私は、その通りだと、思ったから、なにも、言わなかった…
が、
バニラは、
「…たとえ、仕事でも、自分に好意を持つ方が、連絡してくれるのは、ありがたいことよ…関口さん…」
と、口を開いた…
その言葉に、受付の関口は、
「…そんな…世界的に有名なモデルのバニラさんに、そんな言葉を頂いて、嬉しいです…」
と、感激した…
私は、その光景を見て、
「…バカ…関口…騙されちゃ、いかん!…このバニラは口先だけの女だ…オマエは、騙されているんだ!…」
と、声を大にして、言いたかったが、言えんかった…
さすがに、立場上、ここで、そんなことは、
言えん…
クールの社長夫人という立場がある…
そのクールの社長夫人が、
「…この女は口先だけだ…本当は、腹黒い、性悪女だ…」
と、その正体をバラしたかったが、黙っていた…
まるで、貝になったように、口をつぐんだ…
つくづく、地位を得るというのは、難しい…
大変だ…
思っていることの半分も、口に出せなくなる(涙)…
私は、思った…
だから、私は、その関口に、軽く頭を下げて、その場から、歩き出そうとした…
すると、
「…奥様…」
と、私の背中に、関口が、声をかけた…
だから、私は、足を止めて、振り返った…
「…なんだ?…」
「…今日は、真剣なんですね?…」
…真剣?…
…どういう意味だ?…
私は、悩んだ…
だから、
「…どうして、真剣なんだ?…」
と、聞こうとしたところ、バニラが、
「…どうして、真剣なの?…」
と、先に、関口に聞いてしまった…
すると、
「…目です…」
と、躊躇うことなく、関口が、答えた…
…なんだと?…
…目だと?…
…どういう意味だ?…
そのわけを聞こうとしたところ、先に、
「…今日の奥様は、目が笑ってません…」
と、断言した…
「…目が笑ってない?…」
と、バニラが、口を挟んだ…
「…ハイ…奥様は、いつも明るく、笑っています…たとえ、口では笑っていても、目が笑ってないひとは、世間にいっぱいいます…でも、奥様は違います…」
「…どう違うの?…」
「…いつも、楽しそうに、笑いながら、周囲の人間に接します…なにより、いつも目が笑ってます…だから、奥様に接した人間は、皆、奥様のファンになります…もちろん、私も、です…」
と、関口が力強く言った…
「…だから、そんな奥様と、ダンスを踊ったのは、私の一生の思い出です…」
関口が続けた…
私は、驚いた…
まさか、たかだか、ダンスを踊ったことが、そんなに凄いことだとは、微塵も思いもしなかったからだ…
どんな小さなことも、恩着せがましく、言う…
それが、私のポリシーだったが、あのときは、そんなこと、微塵も考えんかった…
なにより、35歳で、久々にダンスを踊っただけあって、一曲踊っただけで、息も絶え絶え…
死にそうだった(涙)…
だから、そんな余裕など、なかった…
はっきり、言って、私にとって、思い出したくない黒歴史だった…
それが、まさか、一生の思い出とは?
わからん…
さっぱり、わからん…
立場が、違えば、こうも、感想が違うのか?
ただただ、驚いた…
そして、それを思うと、この関口になんと、声をかけていいか、わからなかった…
だから、私は、なんと声をかけるべきか、悩んでいると、
「…このお姉さんは、いつも、そうなの…」
と、突然、バニラが、口を出した…
私は、驚いた…
一体、なにが、いつも、そうなのか?…
悩んだ…
考えた…
すると、
「…お姉さんは、いつも、自分のことは、後回しにして、周囲の人間のことを、考える…いわば、理想のリーダー」
と、バニラが、私を持ち上げた…
私は、バニラが、頭がおかしくなったのでは?
と、思った…
きっと、精神が錯乱したんだろうと、思った…
ついに、このときが、きた…
バニラ・ルインスキー、発狂す、だ…
思えば、出会ったときから、少々、おかしな女だとは、思っていたが、こんなにも、早く頭がおかしくなるとは、思わなかった(笑)…
それに、気付いた私は、いち早く、この場から逃げ出そうとした…
いち早く、バニラから、離れようとした…
まさかとは、思うが、いきなり、私に襲いかかってくるかもしれないからだ…
何度も言うように、私は、身長159㎝…
片や、バニラは、180㎝…
身長差、実に、21㎝…
まともに殴り合って、勝てる相手ではない…
バニラが、発狂すれば、逃げ出すしかない…
だから、慌てて、スタスタと、一人エレベーターに向かった…
一刻でも早く、バニラから離れて、最上階の夫の葉尊のいる社長室に逃げ込もうと思ったのだ…
夫の葉尊なら、バニラと殴りあっても、勝てるからだ…
そう考えて、その場から、走り出そうとすると、
「…ホントに、そうですね…」
と、受付の関口が、相槌を打った…
「…いつも、ニコニコと、笑顔で、周囲の者を元気づける、リーダーです…」
と、関口が続けた…
が、
これを、聞いて、私は、この場から、逃げ出せなくなった…
リーダーが、部下を置いて、逃げ出すわけには、いかないからだ…
たとえ、頭がおかしくなったバニラに襲われて、殺されても、この場から、逃げ出すわけには、いかなかった…
それを、思うと、思わず、泣きそうになった…
自分の惨めな境遇を思うと、涙が出そうになった…
その私の肩を、そっと、誰かが触れた…
見上げると、バニラだった…
「…さあ、行きましょう…お姉さん…」
頭のおかしなバニラが、私を誘った…
気の弱い、私は、今にも泣き出しそうな表情で、バニラに従った…
実に惨めだった…
バニラは、そんな私に気付いたのだろう…
「…お芝居よ…お芝居…」
と、いきなり声をかけた…
「…お芝居?…」
「…まさか、受付の子にまで、ホントは、クールの社長夫人は、根性のねじ曲がった、女だなんて、口が裂けても言えないでしょう…言えば、社内で、葉尊の立場もなくなる…」
私は空いた口が、塞がらなかった…
思わず、ポカンと口を開けて、バニラを見上げた…
「…まったく、このバニラ様に、礼を言ってもらいたいぐらいよ…」
バニラが、その美貌で、不機嫌そうな、表情を見せた…
私は、頭にきたが、同時に、安心した…
バニラが、頭がおかしくなってないことに、気付いたからだ…
「…さあ、ずんぐりむっくりのおチビちゃん…早く行くわよ…」
バニラが、私に宣言した…
私は、
「…なんだと?…」
と、内心、激怒したが、これが、バニラだった…
バニラ・ルインスキーだった…
その圧倒的な美貌と、真逆のねじ曲がった心の持ち主…
それが、このバニラ・ルインスキー…
その正体だった(爆笑)…