第133話

文字数 4,543文字

 あのバカめ!

 バカ、バニラめ!

 今に見ていろ!

 今に見ていろ…だ!

 この善良な矢田トモコが、怒りに、身を震わせていると、

 「…どうしたの? …お姉さん…そんなに、真っ赤な顔をして…」

 と、リンダが、言った…

 私は、即座に、

 「…バニラさ…」

 と、答えた…

 「…バニラが、どうしたの?…」

 「…あのバカ、バニラに、騙されたのさ…」

 「…バニラに騙された? …どういうこと?…」

 「…今日、ここにやって来た理由さ…」

 「…お姉さんが、ここにやって来た理由?…」

 「…そうさ…今朝、あのバカ、バニラに、頼まれたのさ…」

 「…バニラに?…」

 リンダが、驚きの声を上げた…

 正直、意外だった…

 「…そうさ…だって、考えて見ろ…なにも、なければ、今日、ここに、私が、やって来るわけがないだろ?…あのバカ、バニラに、マリアが、心配だから、と言われて…ひとのいい私は、つい、わかった…私が、なんとか、してやるさと、言ったのさ…」

 私は、言った…

 すると、リンダと、ファラドが、目を見合わせた…

 正直、困った様子だった…

 ファラドが、

 「…それは、たぶん、偶然だと思う…」

 と、遠慮がちに、言った…

 「…なに、偶然だと?…」

 私は、言った…

 「…そんな偶然が、あるか!…」

 私は、怒鳴った…

 怒鳴ったのだ…

 「…いや、ホントに、偶然だと、思う…今日、オレが、ここに、逃げ込んだのは、兄貴が、この保育園から、出たのを、見たから、だ…」

 「…なんだと?…」

 「…オレは、兄貴の監視役だ…だから、オヤジの命を、守っただけだ…」

 「…それに…」

 と、今度は、リンダが、口を挟んだ…

 「…今さっき、お姉さんは、ひとのいい、私は、バニラに頼まれてと、言ったけれども、それは、ホントは、調子のいいの、間違いではないの…」

 リンダが、言った…

 私は、頭に来た…

 そんなことはない…

 そんなことは、あるはずがない…

 私が、ムキになって、反論しようとすると、

 「…プッ!…」

 と、ファラドが、吹き出した…

 「…まったく、アンタを、見ていると、楽しいというか…」

 「…なんだと?…」

 「…見ていて、飽きない…それでいて、根は、善良…善良そのもの…兄貴が、憧れるのも、わかる…」

 ファラドが、笑う…

 実に、楽しそうに、笑う…

 「…まったく、アンタを見ていると、実に楽しくなる…なんというか、いつも、いっしょに、いたくなるというか…」

 ファラドが、続けた…

 「…まるで、アンタといると、人生が、楽しくなる…生きていると、いうことが、楽しくなる…」

 ファラドが、言う…

 すると、隣のリンダが、

 「…でしょ?…」

 と、相槌を打った…

 「…ホント、このお姉さんは、誰からも、好かれる…どんな人間も、お姉さんを見て、嫌いになる人間は、皆無…誰も、いない…」

 リンダが、笑いながら、言う…

 「…このリンダ・ヘイワースが、世界中を飛び回り、さまざまな人間に会ったけれども、このお姉さんのように、魅力のある人間は、いない…」

 リンダの顔が、いつのまにか、真顔に、なった…

 「…このお姉さんには、どんな美人も、お金持ちも叶わない…このお姉さんを前にすると、美人に生まれるとか、お金持ちに生まれるとか、いうのは、確かに、大事だけれども、
それが、どれほどの意味を持つのか、考え込んで、しまう…」

 リンダが、なにやら、難しいことを、言い出した…

 「…このお姉さんは、どこに、行っても、誰が、相手でも、自分の味方にすることが、できる…だから、どこに、行っても、誰かが、助けてくれる…そして、それが、生きてゆく上で、どれほど、大切なのか、教えてくれる…」

 「…なんだと?…」

 「…たしかに、リンダの言うことは、わかる…あの猜疑心の塊(かたまり)の兄貴が、このお姉さんにだけは、別格…心を開いたというか…まるで、鎧(よろい)を、脱ぐように、心を開いた…」

 ファラドが、言う…

 すると、リンダが、すぐさま、

 「…それが、お姉さんよ…」

 と、言った…

 「…このお姉さんの力…どんな地位のある人間も、このお姉さんの前では、形無し…骨抜きに、される…」

 「…たしかに、そうだな…」

 ファラドが、苦笑した…

 「…このお姉さんには、このリンダ・ヘイワースも、形無し…このハリウッドのセックス・シンボルと、言われた、このリンダ・ヘイワースも、このお姉さんと、男を争えば、このお姉さんに、負ける…」

 「…なんだと?…」

 そ、そんな、バカな…

 この矢田トモコが、リンダに、勝つ…

 ハリウッドのセックス・シンボルに、勝つ…

 そんなことが、あるはずがない…

 そんな夢みたいなことが、あるはずが、ない…

 私は、思った…

 「…現に、ファラド、アナタも、この私と、お姉さんのどっちを、取るかと、言われれば、お姉さんを、取るでしょ?…」

 リンダの質問に、ファラドは、苦笑するだけで、

 「…」

 と、答えなかった…

 だから、それが、不満なリンダは、

 「…答えて…」

 と、催促した…

 すると、ファラドが、

 「…外に、連れて歩くのは、リンダで、ウチで、いっしょに、過ごすのは、このお姉さんかな…」

 と、笑った…

 その答えを聞いて、

 「…うまく、逃げたわね…」

 と、リンダが、笑ったが、私は、笑えんかった…

 なぜなら、

…外では、リンダ…

…内では、この私…

ということは、この矢田トモコを、外に連れて歩けんということだ…

たしかに、リンダと、私を比べて、私が、劣るのは、わかる…

が、

それを、ハッキリと、目の前で、言われて、嬉しい人間は、いない…

いないのだ…

だから、

「…ファラド…オマエ、ちょっとばかり、イケメンだからと言って、この矢田トモコを、甘く見てもらっては、困るゾ…」

と、言ってやった…

「…たしかに、この私は、リンダよりも、少しばかり、ルックスが、劣るさ…だが、それは、少しばかりさ…ちょっとだけさ…誤差の範囲さ…」

私は、言った…

きつく、言ったのだ…

すると、目の前のファラドが、当惑した…

どう返答して、いいか、わからない様子だった…

すると、リンダが、

「…お姉さん…ファラドを、困らせないで…」

と、ファラドに助け舟を出した…

「…こんなイケメンが、お姉さんを、好きだと、言うんだから…それで、いいでしょ?…」

私は、リンダの言葉を、聞きながら、ふと、気付いた…

なにか、親密というか…

昨日、今日、会ったばかりじゃない…

そんな感じだった…

だから、

「…オマエたち、知り合いなのか?…」

と、聞いた…

とりわけ、ファラドではなく、リンダに聞いた…

「…ええ…」

リンダが、恥ずかしそうに、笑った…

「…このリンダ・ヘイワースの守備範囲は、広いの…」

「…なんだと?…」

「…よく言うよ…」

と、ファラドが、口を出した…

「…そのルックスと、知名度を武器に、どんな世界にも、触手を伸ばして、知り合いを作ろうとしているだけだろ…」

「…なんだと?…」

「…アンタが、なんの目的で、そんなことを、しているかは、わからないが、今度ばかりは、それが、役だった…感謝するよ…」

「…なに、感謝だと? …どういう意味だ?…」

「…このリンダが、真っ先に、兄貴の野心を、伝えてくれた…だから、今回の騒動に対処できた…」

「…対処だと?…」

「…簡単なことよ…」

リンダが、口を開いた…

「…さっきも言ったように、オスマンが、園児に嫌われていた…だから、どうして、嫌われていたのか、考えた…ちょうど、お姉さんが、子供たちを引き連れて、壇上で、列車ごっこやムカデごっこを楽しんでいたでしょ? それを、見て、気付いたの?…」

「…なんだと?…」

「…なにより、私は、そのときのオスマンの顔を見ていた…すると、オスマンは、心底、羨ましそうに、お姉さんを、見ていた…それで、気付いたの…」

「…私を羨ましがってた…」

「…そう…」

リンダは、短く、答えた…

が、

その短い返答が、すべてだった…

どんな長い説明よりも、わかりやすかった…

「…オスマンが、なぜ、お姉さんを羨ましがってみていたのか? 考えた…それが、今度の騒動の根幹というか…」

リンダが、説明する…

「…オスマンが、なぜ、お姉さんを、羨ましそうに、見ているか、考えた…そこから、オスマンの狙いと、いうか…本当の性格に気付いたの…」

リンダが、続ける…

「…本当の性格だと?…」

「…策士策に倒れるというか…策士は、常に、自分が、他人に、どう見られ、どう、評価されるか、考える…大げさに、いえば、自分の一挙手一投足が、他人に、どう見られるか、考えて、行動する…だから、疲れる…家に、帰って、誰にも、見られない、ひとりきりの時間になったときに、ホッとするというか…」

「…」

「…そして、そんな生活を送るファラドは、お姉さんが、羨ましくて、仕方がなかった…」

「…私が、羨ましい?…」

「…そうだ…アンタが羨ましい…」

ファラドが、口を出した…

「…さっきも、言ったが、アンタは、天衣無縫…誰からも、束縛されず、言いたいことを、言い…やりたいことを、やる…にも、かかわらず、誰かも、嫌われず、むしろ、好かれる…兄貴のように、常に、他人の動静に、気を遣い、生きてきた人間にとっては、これほど、羨ましい存在は、ない…誰にも、気を遣わず、好き勝手に、生きているにも、かかわらず、誰からも、好かれる…兄貴にとって、アンタは、あり得ない存在…夢のような存在だ…」

ファラドが、絶賛する…

私は、嬉しかった…

実に、嬉しかった…

ファラドのようなイケメンが、私を絶賛する…

実に、嬉しかったのだ…

が、

続けて、

「…まあ、アンタも、お世辞にも、美人でも、なんでもない…それゆえ、小人症の兄貴も、アンタに、親近感を、持ったのかもな…」

と、言った…

「…なんだと?…」

その言葉で、それまで、有頂天だった私の心が、冷や水を浴びせられた気分になった…

それまで、絶好調だった私の気分に、冷や水を浴びせられた気分に、なった…

だから、私は、

「…オマエ…ファラド…少しばかり、イケメンだからって、調子に乗ってるんじゃ、ないさ…」

と、言ってやった…

「…人間、顔じゃないんだ…少しばかり、顔がいいからって、生意気、言ってるんじゃないさ…」

 私が、顔を真っ赤に、して、言ってやった…

 私は、このファラドが、許せんかった…

 許せんかったのだ…

 たしかに、この矢田トモコは、リンダと、比べれば、少しばかり、ルックスが、劣る…

 が、

 あくまで、少しばかりだ…

 誤差の範囲だ…

 だから、私は、頭に来たのさ…

 私が、ファラドに、文句を言うと、

 「…オレは、別に、顔の話は…」

 と、戸惑った…

 「…ウソを言うんじゃないさ…」

 私は、言ってやった…

 「…オマエは、イケメンだからって、調子に乗っているのさ…」

 私は、頭に来て、ファラドを、睨んだ…

 私の細い目を、さらに、細くして、睨んだのだ…

 ちょうど、そのときだった…

 「…矢田ちゃん…そんなところで、なにを、しているの?…」

 と、いう声がした…

 私は、その声に聞き覚えがあった…

 誰が、聞いても、子供の声…

 しかも、女のコの声だった…

 振り向くと、そこには、

 マリアの姿があった…

 あの、バカ、バニラの娘のマリアの姿が、あった…

               
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み