第14話

文字数 7,128文字

 …なにも、変わらない…

 六年、経っても、なにも、変わらない…

 私は、つくづく、考えた…

 しかし、考えてみれば、たかだか、六年ぐらいで、人間の中身が変わるわけがない…

 変わるのは、態度…

 たとえば、腹の中では、どう思っていても、態度には、出さなくなった…

 そういうことだ…

 だから、ちょっと見には、わからない…

 それが、よくわかるのは、例えば、結婚してから…

 男女とも、結婚して、いっしょに住む…

 それが、例えば、会社で、知り会った場合などなら、ずっと、いっしょに住むことで、会社では、決して、見られなかった素顔を知る場合がある…

 会社では、いつも、ニコニコと、穏やかな人柄なのに、家では、いつも、イライラして、会社の同僚の悪口ばかり言っているとか(笑)…

 つまり、会社と家での顔が、真逆…

 そして、それに驚いていると、その夫なり、妻なりの、学生時代の友人が、家に遊びにやって来て、

 「…オマエは、昔から、ひとの悪口ばかりだからな…」

 と、言うのを、耳にして、驚くというか…

 パートナーの素顔を知る…

パートナーの本性を知る…

 そんな光景は、世間にありふれている(笑)…

 要するに、中身は、変わらないが、歳を取り、それでは、マズいので、態度に出すことを、しなくなった…

 それだけだ…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…いや、葉尊社長、今日は、安心しました…」

 と、矢口トモコが言った…

 …安心?…

 …どういうことだ?…

 私は、私の細い目で、隣に、座った矢口トモコを見た…

 私そっくりの、矢口のお嬢様が、なにを言い出すのか、確かめた…

 「…今日、このクールの本社ビルに入るときに、偶然、この葉尊社長の奥様と会いました…」

 「…お姉さんと?…」

 と、葉尊…

 矢口のお嬢様は、それに、無言で、頷いた…

 「…実に、六年振りです…」

 矢口のお嬢様が言った…

 「…六年振りに、この矢田と会いました…」

 矢口のお嬢様が、しみじみと言った…

 「…そして、驚くほど、なにも、変わってなかった…」

 「…変わってない?…」

 と、葉尊…

 「…そう、変わってない…」

 矢口のお嬢様が、しみじみと、言う…

 「…ひとは、誰もが、とっさのときに、その人間の本性というか、中身が出るものです…」

 「…どういうことでしょうか?…」

 「…今日、この矢田と、このクールの本社ビルに入るときに、偶然、会いました…そのとき、当然、この矢田は、驚いたでしょう…なにしろ、六年振りに、再会したわけですから…」

 「…」

 「…だから、とっさに、この矢田が、どんなことを、言うのか、興味がありました…なにしろ、今は、この矢田は、クールの社長夫人です…これは、アタシも、当然、知っていました…」

 「…」

 「…だから、今は、六年前と違って、偉いわけです…にもかかわらず、アタシと会ったときに、発した言葉は、お嬢様、お久しぶりで、ございます…でした…六年前と、なにも変わってないわけです…」

 「…」

 「…自分の地位は、変わっても、少しも中身も態度も変わらない…これを、見て、アタシは、安心しました…」

 …な、なんと!…

 矢口のお嬢様が、私を褒めた…

 私を持ち上げた!

 これは、一体、どういうことだ?…

 この裏には、一体、なにがある?…

 どんな目的がある?

 私は、思った…

 思いながら、慌てて、目の前の葉尊と、バニラの顔を見た…

 一体、目の前の二人が、どういう態度を見せるのか、知りたかったからだ…

 すると、目の前の葉尊とバニラは、二人とも、顔を見合わせていた…

 それから、葉尊が、

 「…このお姉さんは、いつも、そうなんです…」

 と、嬉しそうに口を開いた…

 「…自分が、どんなに立場が変わろうが、以前と、なにも変わらない…」

 …なんだと?…

 …どういうことだ?…

 私は、驚いて、葉尊を見た…

 夫の葉尊の顔を見た…

 「…父も、そんなお姉さんの姿を見て、一目で、好きになりました…それは、もちろん、ボクも、です…」

 「…それは、私も…」

 バニラが、口を挟んだ…

 「…このお姉さんは、いつも、同じ…変に威張ったり、クールの社長夫人になったからと言って、態度が、横柄になったり、することがない…」

 なんだと?…

 「…このお姉さんは、なにも変わらない…地位や権力を得ても、以前のまま…たとえ、矢口さんのスーパーで、パートやアルバイトをしていても、今、矢口さんに会っても、威張らないに決まっている…どんなに偉くなっても、なにも変わらない…そして、そんな人間は、滅多にいない…私が知る中では、お姉さんだけ…この矢田のお姉さんだけ…」

 バニラが、私を褒めた…

 褒めまくった…

 これは、なにか、裏がある!

 目的がある…

 私は、それに、気付いた…

 直観した…

 この性格のねじ曲がったバニラ・ルインスキーが、素直に私を褒めるわけがない…

 それとも、やはり、頭がおかしくなったのか?

 元々、ヤンキー上がりのひねくれ者だ…

 右を見ろ、と言えば、左を見るような、ひねくれ者だ(笑)…

 ろくな人間じゃない!…

 ただ、美人なだけ…

 びっくりするほどの美人なだけ…

 その美人を武器にして、世間で、のし上がっただけの女だ…

 その中身は、腐っている…

 その性格の腐った女が、真面目な顔をして、私を褒めた…

 これは、一体、なぜ?

 と、ここまで、考えて気付いた…

 コイツ、きっと、リンダの後釜に座ろうと思っているんだ…

 リンダ…リンダ・ヘイワースも、今でこそ、ハリウッドのセックス・シンボルと言われているが、元はといえば、モデル出身…

 つまり、このバニラと同じだ…

 そして、今、リンダが、アラブの王族に気に入られ、アラブの王族の妻とか、愛人とかに、なって、ハリウッドから消えれば、自分が、後釜に座ろうと、思っているに違いない…

 そして、そのために、今、演技の勉強をしているのだ…

 ホントは、心の底から、私を嫌っているくせに、まるで、私を尊敬するかのような言動を取る…

 そして、それを周囲に悟らせない…

 まさに、役者…

 女優の鏡だ…

 自分が、なにを考えていようと、周囲に悟らせない…

 やはり、この女は、強敵…

 強敵だ…

 しかしながら、この女を今、敵に回すわけには、いかん…

 なにしろ、私の目下の敵は、この矢口トモコ…

 スーパー・ジャパンのご令嬢だ…

 同時に、二人の敵と戦うわけには、いかん…

 あのヒトラーですら、その著書、我が闘争の中で、同時に、二国と戦争する愚を主張したではないか?

 まあ、結局は、ヒトラーは、ソ連、イギリス、アメリカと、戦争をおっぱじめて、しまったが(笑)…

 当初の主張は、二国とは、戦わないだった…

 それは、この矢田トモコも同じ…

 ヒトラーと、同じ…

 が、

 この矢田は、ヒトラーの愚を犯さない…

 今、このバニラと、矢口のお嬢様と戦うわけには、いかない…

 二人を同時に敵に回せば、私の敗北は、必死…

 一人でも、十分、しぶといというか、強敵なのに、二人では、私が、勝てるわけがない…

 だから、ここは、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、我慢するしかない…

 それを悟った私は、ニヤリとバニラに笑いかけた…

 全身全霊を上げて、バニラに笑いかけた…

 すると、どうだ?

 「…お姉さん…目が血走っている…」

 と、またも、バニラが怯えた…

 「…顔が、笑っているのに、目が笑ってない…」

 私は、そんなことを、言われて、どうして、いいか、わからなかった…

 暗中模索した…

 どうして、いいか、さっぱりわからんかった…

 すると、

 「…葉尊社長…」

 と、矢口のお嬢様が、口を出した…

 「…なんですか? 矢口さん…」

 「…いいひとを、奥様に迎えましたね…」

 「…ありがとうございます…」

 「…この矢田は、敵を作らない…どんな人間も、自分の味方にすることができる…きっと、この先も葉尊社長の力になるでしょう…」

 矢口のお嬢様が、歯が浮くお世辞を言った…

 が、

 あろうことか、葉尊は、そのお世辞を真に受けた…

 「…ありがとうございます…ですが、今、すでにその通りになってます…」

 「…その通りになっている?…」

 「…今、こうして、矢口さんと、親しくさせて頂いている…当社の製品を、直接、矢口さんの会社で、取り扱わなくても、矢口さんを知る、財界人は多い…お姉さんが、その矢口さんと親しいことで、この私も、日本の財界人と、より親しくなれる…」

 葉尊が、思いがけないことを、言った…

 私は、驚いた…

 まさか、夫の葉尊が、そんなことを、言うとは、思わなかったからだ…

 「…たしかに…」

 矢口のお嬢様が笑った…

 葉尊も、笑った…

 バニラも、笑った…

 だが、

 私は、笑わなかった…

 いや、

 笑えなかったのだ…

 このバニラが、私を褒める…

 この矢口のお嬢様が、私を褒める…

 居心地が悪いっていえば、これ以上、悪いことはない…

 なにしろ、宿敵が、私を褒めているのだ…

 私を油断させようと仕向けているのだ…

 だが、

 この矢田トモコ、35歳…

 そんなことも、わからぬほど、甘くはない…

 そんなことも、わからぬ、お子様ではないのだ…

 油断大敵…

 敵に足元をすくわれるかもしれん、危険がある…

 おそらくは、この矢口トモコも、バニラもまた、この矢田トモコを褒めて、褒めて、私が、自滅する機会を窺っているのかもしれん…

 実は、この矢田トモコは、お調子者…

 結構、ヨイショに弱い…

 周囲に、気持ちよく乗せられて、失敗したことなど、数えきれん…

 まさに、数えきれん(涙)…

 とりわけ、それは、酒だった…

 「…矢田ちゃんだったら、まだまだイケる…」

 と、おだてられて、一杯の酒が、二杯になり、それが、三杯、四杯と続き、しまいには、わけのわからん状況に陥ったことも、一度や二度どころではない…

 だが、それは、若いときの話…

 せいぜい25歳までの話だ…

 それ以降は、めっきり、その手の失敗は、減った…

 それは、単純に、歳のせいもあるし、学生時代の友人と、飲み歩かなくなったことも大きい…

 誰でも、そうだが、学生時代の友人は、やはり、学生時代の友人に過ぎない…

 どういうことかと、言えば、学生でなくなれば、自然と、付き合わなくなると、いうことだ(笑)…

 高校時代の友人にしろ、大学時代の友人にしろ、時が経てば、大抵は、付き合わなくなる…

 それが、現実だ…

 会社の同僚は、いつも、職場で、顔を合わせるものだが、学生時代の友人は、休みの日に無理に時間を作って、会わなければ、ならなくなる…

 すると、どうだ?

 たとえば、恋人がいれば、学生時代の友人に優先して、会おうとする…

 だから、学生時代の友人とは、休みの日でも、なかなか、会えなくなる…

 そして、そのうちに、会話も噛み合わなくなる…

 それぞれが、置かれた環境が、違うからだ…

 だから、例えば、学生時代の友人の誰かが、

 「…アタシの職場に、とんでもないヤツがいて…」

 と、いう話題をしても、当然、学生時代の友人たちは、その職場の同僚を知らないから、

 「…へェー、そうなんだ…」

 と、でも言って、相手の話に頷くしかなくなる…

 つまりは、学生時代の友人に共通するものと、いえば、単なる思い出話…

 あのとき、こうだった…

 あのとき、どうだった…

 と、いう思い出話だけだ…

 現実に、今も職場でいっしょにいるわけではないから、仕方がないといえば、仕方がない…

 共通するのは、学生時代の思い出だけだからだ…

 だが、それが、続くと、うんざりするものが出てくる…

 辟易するものが、出てくる…

 いつも会って、昔話をしていても、仕方がないからだ…

 それで、離れる…

 例えば、六人いた友人も、一人欠け、二人欠け、しまいには、誰も会わなくなる…

 一人欠け、二人欠け、仲間が、四人になり、三人になれば、しまいには、

 「…アタシも、もういいや…」

 と、会わなくなる者が、続出するからだ…

 残念ながら、そういうものだ…

 なにより、話が合わなくなる…

 これは、以前も書いたかもしれないが、それぞれが、置かれた環境が、違うから、学生時代と、性格が、変わってくる…

 いわゆる、見聞き、したものが、違う…

 体験したものが、違う…

 だから、当然、学生時代と、性格も変わってくる…

 これも、大きい…

 私は、25歳前後で、学生時代の友人と、あまり会わなくなった…

 これは、私が、二十歳で、短大を卒業したから…

 だから、5年…

 高校は、18歳で、卒業したから、7年…

 それぐらいの時間が経つと、自然と離れた…

 そして、それ以降は、付き合うのは、職場の同僚が、大半になった…

 私は、自分でいうのも、なんだが、結構好かれる…

 短期間で、職場の同僚から、

 「…矢田ちゃん…」

 と、呼ばれ、すぐに職場に馴染めた…

 むろん、私とて、スーパーマンではない…

 どんな職場にも、馴染めるほど、器用ではない…

 が、

 大半の職場は、簡単に馴染めた…

 そして、それは、私自身が、軽いからだろうと、思った…

 誰が、見ても、私は、軽い…

 だから、すぐに、知り会った人間から、

 「…矢田ちゃん…」

 と、呼ばれ、親しくなる…

 が、

 その反面、偉ぶることができない…

 なぜなら、いつも、

 「…矢田ちゃん…」

 だからだ…

 親しみやすさは、威厳のないことの裏返しでもある…

 威厳があれば、威張れるが、反面、他人と親しくなるのが、難しくなる…

 なぜなら、どう見ても、話しかけにくいからだ…

 真逆に話しかけやすい人間には、威厳はない…

 だから、表裏一体というか…

 私のように、親しみやすい人間は、偉くなっても、偉く見えないし、威厳がある人間は、親しい友人が、できにくい…

 威厳がある人間は、仲間というより、部下になる…

 どういうことかといえば、自分が、グループで、ボスになるからだ…

 だから、ドラえもんのジャイアンではないが、他人の上に立ちたくなる…

 自然と、グループの中で、いつも自分が中心になるからだ…

 威厳がある人間は、いわゆる、リーダーシップがある人間が、多い…

 だから、友人ではなく、部下になる…

 そして、そういう人間は、会社に入って、勘違いしやすくなる…

 集団の中で、いつもリーダーシップを取れるから、会社でも、自分が、偉くなれるものと、錯覚する人間が多い…

 そして、周囲の人間も、若ければ、相手の能力がわからない…

 だから、リーダーシップがあるから、彼、あるいは、彼女は、出世すると、勘違いする…

 大げさにいえば、東大出身で、頼りがいがない新人よりも、偏差値40の工業高校を出ても、リーダーシップがある人間の方が、優れていると、心の底から、思う人間も少なからず、いる(爆笑)…

 そして、そう思う人間もまた、同じ偏差値40前後の人間…

 だから、他人を評価するのに、威厳があるか、ないか、などという誰にも、わかりやすい基準でしか、他人を評価できないからだ…

 リーダーシップを取れるから、偉い…

 リーダーシップを取れないから、ダメだ…

 そのぐらいの基準でしか、他人を評価できない…

 出身高校や出身大学の偏差値を見れば、頭のレベルは、一目瞭然なのに、それは、一切無視する(笑)…

 そんな人間が、会社で、評価されるわけはないし、出世できるはずもない…

 そして、私が見たところ、出世できない人間ほど、出世したい人間が、多かった(笑)…

 これは、驚いた…

 そして、なぜ、そうなのか、考えた…

 すると、わかったのは、一言でいえば、頭が悪いからだった…

 自分の能力も、他人の能力もわからない…

 だから、単純なことでも、できれば、すごく、できなければ、ダメなヤツと、考える…

 以前も書いたが、例えば、パソコンの入力作業が早ければ、アイツは、凄い…

 ミスをしなければ、凄い…

 すべての判断基準が、その程度だった(笑)…

 私が、良かったのは、その程度の判断能力よりは、上だったこと…

 なにより、色々なバイトを繰り返し、さまざまな職場の人間を知っていたから、頭の良い人間も、悪い人間も知っていた…

 それが、ビックリするほど、役に立った…

 だから、大げさにいえば、早い段階で、相手の能力が、見極められた…

 要するに、比較する人間や職場があったからだ…

 それが、役だった…

 そして、自分でいうのもなんだが、私は、他人に好かれるらしい…

 これも、以前も書いたが、

 「…矢田…あんなヤツと関わっちゃダメ!…」

 と、身近に言ってくれる人間が、必ずいた…

 もっとも、今となっては、私が、少々頼りないから、面倒を見てやろうと、思っただけなのかもしれない(笑)…

 まあ、いずれにしても、私には、いつの時代も、どんなときも、味方がいたということだ(笑)…

 そして、そんな人間たちに守られて、私は、この歳まで、生きてきた…

 それは、まさに、僥倖…

 私の頼りなさが、生んだ僥倖だったのかもしれない(爆笑)…

 私は、思った…

 そして、今、バニラと、矢口のお嬢様が、言ったことを、肯定的に、捉えれば、私の頼りなさが、うまい具合に、味方を作ったとも、いえるかもしれない…

 頼りないから、威張らない…

 威厳がないから、威張らない…

 それが、誰よりわかっているから、威張らないだけなのに、バニラも矢口のお嬢様も、もしかしたら、それを肯定的に捉えたのかもしれない…

 私にとっては、風が吹けば桶屋が儲かるの例えではないが、まさに、好都合だった…

 バニラと矢口のお嬢様を、私の仮想敵と、密かに、捉えたのに、気付かれなかったからだ…

 これは、実に、好都合だった(笑)…

                

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