第11話

文字数 5,775文字

 エレベーターが、社長室のある階に着いた…

 私は、まるで、ロボットのように、ギクシャクした動きで、エレベーターを降りた…

 まるで、無理やりにでも、カラダを動かしている感じだった…

 そして、それを見た、バニラが、

 「…プッ!…」

 と、吹き出した…

 「…ナニッ? …お姉さん…どうしたの?…」

 「…なんでもないさ…」

 私は、ロボットのように、ギクシャク動きながら、言った…

 「…なんでもないって…なんでもないわけじゃないでしょ? その動きは…」

 「…自分でも、わからないのさ…なぜか、緊張して…カラダが自由に、動かないのさ…」

 「…カラダが、動かない?…」

 「…そうさ…」

 私の答えを聞くと、バニラが、面白そうに、

 「…お姉さん…それは、きっと予感よ…」

 と、言った…

 「…予感だと? …どういう意味だ?…」

 「…きっと、葉尊は、社長室で、人目のつかないところで、美人の秘書と、イチャイチャしているのよ…」

 「…なんだと?…」

 「…お姉さんは、それを予感したの…だから、その事実を見たくなくて、カラダが動かなくなったんだと思う…」

 …バカな?…

 …葉尊が?…

 …私の夫が?…

 …そんなバカなことはない!…

 私は、心に、誓ったというか、ありえないと、思った…

 葉尊は、私に首ったけ…

 なぜか、知らないが、首ったけだ…

 正直、私は、自分のルックスに自信はないが、だからといって、葉尊が、私以外の女と不倫しているとは、思わない…

 なにより、それなら、葉尊の身近には、このバニラや、あのリンダのような美女が、いる…

 この二人と、不倫するのが、筋というか…

 一番ありえるからだ…

 私は、そう思った…

 私は、そう信じた…

 その一方で、違うかも? とも、思った…

 葉尊は、私と同じ…

 同じだ…

 なにが、同じかと言えば、近過ぎるのだ…

 バニラとリンダと近過ぎるのだ…

 私が、バニラやリンダと仲良くなって、身近に感じるのと、同じで、葉尊も、バニラとリンダと親しい…

 すると、不倫はできなくなる…

 恋は、できなくなる…

 親しければ、親しいほど、互いに、相手に異性を感じなくなるからだ…

 男女とも、幼稚園児時代から知っている幼馴染(おさななじみ)同士が、互いに、異性を感じないのと同じだ…

 恋というものは、見知らぬ者同士だから、できる…

 互いに、昔から相手を知り過ぎていると、当たり前だが、ときめかない…

 ドキドキしない…

 だから、恋は生まれない…

 そういうことだ(笑)…

 なにより、バニラは、葉尊の父、葉敬の愛人…

 葉尊が、バニラに手を出すわけがない…

 それを思えば、リンダも同じ…

 リンダは、葉尊の幼馴染(おさななじみ)…

 だから、恋をするはずがない…

 不倫をするはずがない!

 私は、そんなことを、考えた…

 カラダは、ロボットのように、ギクシャクして、動かなかったが、その代わりに、頭は、めまぐるしく回転した(笑)…

 回転した結果、葉尊は、このバニラとも、リンダとも、不倫をしていないと、決定づけた…

 だから、会社の身近な秘書たちとも、不倫していないと、決定づけた…

 そして、安心した…

 葉尊が、不倫をした証拠はないが、私の頭の中で、葉尊は、不倫していないと、決定づけたからだ…

 だから、安心した…

 ホッとした…

 すると、

 「…お姉さん…なにをホッとした顔をしているの?…」

 「…葉尊が、不倫していないと、気付いたからさ…」

 「…どうして、そんなことが、お姉さんに、わかるの?…」

 「…わかるさ…」

 「…どうして?…」

 「…だって、葉尊の周りには、オマエやリンダのようなとびきりの美女がいるだろ? …その美女のオマエたちに手を出さない以上、葉尊は、誰とも、不倫しないさ…」

 私は、自信満々に断言した…

 私の言葉に、バニラは、絶句した様子だった…

 言葉を失った様子だった…

 「…葉尊は、私を裏切らないさ…」

 「…どうして、そんなこと、お姉さんにわかるの?…」

 「…葉尊は、私に首ったけだからさ…」

 私は、言った…

 むろん、冗談だ…

 が、

 私の言葉を聞いたバニラが、考え込んだ…

 「…たしかに、それはある…」

 じっくりと、考え込みながら、呟いた…

 「…お姉さんには、ひとには、ない魅力がある…」

 …魅力?…

 …どんな?…

 …この矢田に、どんな魅力が?…

 「…なぜか、憎めない…嫌いになれない…」

 「…」

 「…それでいて、目立つ…決して、美人でもなんでもない…でも集団の中にいると、いつのまにか、お姉さんが、集団の主役になる…決して、リーダーとか、そういうものじゃなく、ただ目立つ…なぜか、目が離せなくなる…」

 バニラが、考え込みながら、言う…

 「…だから、お姉さんを見ると、このバニラや、リンダが、持つルックスという武器が怪しくなる…自信がなくなる…最初は、誰もが、私やリンダに憧れるけど、いつのまにか、お姉さんに取って代わられるというか…葉尊が、そのいい例ね…」

 私は、驚いた…

 まさか、このバニラが、まるで、この矢田に負けたようなことを、言っているのだ…

 驚かないわけには、いかなかった…

 いや、

 やはり、このバニラは、頭がおかしくなったのかもしれない…

 いや、

 もしかしたら、

 私は、このバニラが、私をからかっている? と、思った…

 が、

 その表情を見ると、真剣だった…

 次に、

 お芝居をしている? と、思った…

 が、

 やはり、お芝居をしているようには、見えんかった…

 だとすれば、結論は、一つしかない…

 このバニラは、頭がおかしくなったのだ…

 思えば、初めて会ったときから、少々、変なヤツだと思った…

 日本でいえば、ヤンキー上がりの世界のトップモデル…

 しかも、この矢田トモコを、葉尊の妻だと知りながら、平然と、ケンカを売る性格の悪さ…

 だが、それも、すべて、このバニラが、頭がおかしいと思えば、わかる…

 理解できる…

 そして、頭のおかしなバニラと、このまま、いっしょにいれば、いつ、この矢田トモコに、襲いかかってくるかもしれんと、気付いた…

 何度もいうように、この矢田トモコは、身長159㎝…

 対する、バニラは、身長180㎝…

 闘って、勝てる相手ではない!

 かといって、頭がおかしいのだから、私が、涙ながらに、

 「…助けてくれ…許してくれ…」

と、バニラに土下座しても、許してはくれんだろう…

 なにしろ、頭がおかしいのだから、仕方がない…

 と、そこまで、考えると、

 …逃げよう!…

 と、思った…

 一刻も早く、社長室に逃げ込もうと思った…

 今、エレベーターから、降りて、社長室までは、後少し…

 社長室には、当たり前だが、葉尊がいる…

 夫の葉尊がいる…

 葉尊ならば、たとえバニラと殴り合いになっても、勝てるだろう…

 葉尊も、身長は、バニラと同じ180㎝…

 ただし、葉尊は、男だから、当然、殴り合いになれば、バニラに勝てる…

 それに、気付いた…

 だから、急いで、駆ければ、間に合う…

 なんとかなる…

 バニラから逃げ切れる…

 そう、気付いたら、途端に、私のカラダが、動き出した…

 まるで、別人のように、動き出した…

 ギクシャクしたかカラダが、ウソのように、なめらかに動き出した…

 恐怖のためだ…

 頭のおかしくなったバニラから逃れるために、私は、いつしか、全速力で、廊下を走り出した…

 それを見た、バニラが、

 「…一体、どうしたの? …お姉さん…急に走り出して…」

 と、私に声をかけてきたが、私は、振り返らなかった…

 振り返れば、バニラの餌食になることは、明らかだったからだ…

 私は、まるで、陸上競技者のように、全速力で、廊下を走った…

 私は、元々、スポーツ万能…

 走ることには、自信がある…

 「…ねえ…どうしたの? …お姉さん…ちょっと、待って…」

 と、背後から、声をかけてきたが、私は、振り返らなかった…

 振り返れば、私の負けだからだ…

 負け=死だからだ…

 私はただ、ゴールを目指して、走った…

 ゴール=社長室を目指して、走った…

 私の姿を見た、社長室の受付の女のコが、

 「…お…奥様…」

 と、目を仰天させた…

 「…な、なんで?…走って?…」

 「…わ…わけは、あ…あとで、話す…さっさと、葉尊に会わせろ!…」

 いち早く、社長室の受付に辿り着いた、私は、叫んだ…

 私は、スニーカー…

 それに対して、

 バニラは、ヒールを履いていた…

 だから、バニラは、走れない…

 この矢田トモコの勝ちだ…

 いかに180㎝と長身のバニラでも、ヒールを履いていては、走れない…

 私は、そこに勝機を見た…

 勝機を見抜いたのだ…

 「…は…はやくしろ! バニラが来る…私の命がかかってるんだ!…」

 「…奥様の命?…」

 「…そうだ!…」

 私は、短く、かつ、力強く言った…

 なにしろ、緊急時…

 私の命が、かかっているんだ…

 本当なら、この受付の女にも、

 「…お仕事、ご苦労様です…」

 とか言って、日頃の苦労をねぎらってやるのが、社長夫人としての役目だが、それは、無理…

 できんかった…

 なにしろ、頭のおかしい、バニラが、今か今かと、背後から迫っているのだ…

 「…早くしろ! 葉尊に連絡するんだ…頭のおかしなバニラが、私に迫っている!…」

 そう言ったときだった…

 背後から、

 「…誰が、頭がおかしいんだって…」

 と、不気味な声が聞こえた…
 
 むろん、バニラの声だった…

 私は、振り返らんかった…

 頭のおかしなバニラになにを言っても、無駄だからだ…

 私は、震える声で、

 「…オ…オマエさ…オマエが…あ、あたまが、おかしくなったのさ…」

 と、言った…

 「…ど…どうして、わ…わたしが、頭がおかしいの?…」

 バニラが、息を切らせながら、怒りを抑えた声で、聞いた…

 だから、私は、震える声で、

 「…さ…さっき、オマエは、わ、わたしが、オマエや、リ、リンダに勝っていると言ったな…そ…それで、気付いたのさ…」

 と、答えた…

 「…オマエは、あ…あたまが、おかしい…平凡な私が、どうあがいても、オ…オマエやリ…リンダに勝てるはずがないさ…」

 私が、震える声で、言うと、バニラが、なにも、言わんかった…

 沈黙した…

 だから、私は、バニラの反応が、気になり、恐る恐る、背後を振り返った…

 振り返って、バニラを見た…

 バニラは、

 「…なに? …なんだ? …そういうこと?…」

 と、自分自身を納得させるように、言った…

 「…お姉さん…私が、頭がおかしくなったと思ったんだ…」

 と、納得するように、言った…

 と、そのときだった…

 「…い、一体、ど、どうしたんですか?…」

 と、葉尊が、息せき切って、社長室から走って、現れたのだ…

 受付の女のコが、急いで、葉尊に連絡したのだった…

 「…お姉さんの命の危険があるって?…」

 葉尊は、言いながら、私を見た…

 そして、ホッとした…

 「…お姉さん…大丈夫だったんですか?…」

 「…全然、大丈夫なんかじゃないさ…」

 私は、言った…

 「…危なかったさ…」

 「…危なかった?…」

 葉尊が、言いながら、近くのバニラに気付いた…

 「…バニラ…キミが、いて、お姉さんが危険に遭うのを、防げなかったのか?…」

 「…バカ…葉尊…私に危害を加えるのは、コイツだ…」

 「…コイツ?…」

 「…このバニラだ…」

 私は、私の太く短い指で、目の前のバニラを指差した…

 すると、当たり前だが、葉尊が仰天した…

 「…バニラが、お姉さんに危害を加える? …どういう意味ですか?…」

 葉尊が、当惑する…

 すると、バニラが、

 「…このお姉さんは、私が、頭がおかしくなったと思ったの…」

 と、葉尊に告げた…

 「…バニラが、頭がおかしく?…」

 「…そうさ…バニラは頭がおかしくなったのさ…」

 と、私は息せき切って、葉尊に告げた…

 「…どうして、頭がおかしく…バニラは、いつもの通りですが…」

 葉尊が、バニラを見て、言った…

 「…そうじゃないさ…頭がおかしいのさ…」

 「…どこが?…」

 葉尊が、当惑した…

 すると、バニラが、

 「…このお姉さんに、お姉さんは、私やリンダよりも、魅力があるって、言ったの…そしたら、私が、頭がおかしくなったと思って、いきなり走り出して…」

 と、葉尊に告げた…

 「…当たり前さ…私が、オマエやリンダに勝てるわけがないだろ? …それを、オマエが、本気で言うから、頭がおかしくなったと、悟ったのさ…」

 「…だったら、葉尊も頭がおかしいんじゃないの?…」

 「…なんだと?…」

 「…だって、私やリンダが身近にいても、お姉さんを選んだわけでしょ?…」

 「…」

 「…お姉さんが、私が、頭がおかしいと思えば、葉尊も同じ…しかも、葉尊は、お姉さんと結婚したんだから、私以上に、頭がおかしいはず…」

 …そう言われると、なんと言っていいか、わからなかった…

 いや、

 違う…

 「…それは、オマエやリンダが葉尊の身近にいるからさ…」

 「…どういうこと?…」

 「…身近過ぎれば、恋に落ちない…異性を感じなくなる…だからさ…」

 「…だったら、葉尊は、どうして、お姉さんを選んだの? …たしかに、お姉さんの言うことは、わかるけど、葉尊の立場なら、私やリンダ以外にも、美人は、たくさん知っているはずよ…それでも、お姉さんを選んだ…それは、お姉さんに魅力があるからよ…」

 バニラが、ダメ出しをした…

 しかしながら、

 そんな、

 …魅力…

 …魅力…

と、言っても、誰が、どう見ても、私が、このバニラや、リンダに勝る魅力があるとは、思えんかった…

 バニラやリンダに勝てるとは、思えんかった…

 このバニラの話は、わかるが、どうしても、納得できんかった…

 だから、

 「…」

 と、黙った…

 なんと、答えていいか、わからんかったからだ…

 すると、近くで、

 「…矢田か…相変わらず、ダメな女だ…」

 と、いう声がした…

 …ダメな女?…

 私は、その言葉に、敏感に反応した…

 …この矢田が、ダメな女だと?…

 …どこのどいつが、そんなことを言うんだ?…

 …許せん!…

 私は、その声の主を確かめるべく、声のした方を振り返った…

 と、

 そこには、私がいた…

 いや、

 正確には、私そっくりな女がいた…

 私そっくりな女=矢口トモコが、立っていた…

                

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