第182話

文字数 4,175文字

 なぜ、葉尊のことを、思ったのか?

 それは、ついさっき、葉敬が、葉尊のことを、言ったからだ…

 葉問に対して、

 「…オマエの目的は、葉尊から、お姉さんを守ること…」

 と、言ったからだ…

 そして、それは、なにより、あの矢口のお嬢様が、言ったことと、同じだった…

 同じだったのだ…

 二人とも、葉尊のことを、同じように、言っていた…

 同じように、評価していた…

 そういうことだ…

 これは、どうしてか?

 考えた…

 つまりは、私には、わからんが、二人から見れば、葉尊は、見た目とは、違う…

 油断できん人物だと、評価しているということだ…

 そして、それは、葉問も、同じだった…

 つまりは、この矢田だけが、葉尊を信じていたわけだ…

 私の夫を信じていたわけだ…

 いや、

 違う…

 そうではない…

 だったら、一体、リンダやバニラは、葉尊をどう評価しているのか?

 わからんかった…

 が、

 少なくとも、葉敬や、葉問のように、葉尊を評価した声を聞いたことがなかった…

 この矢田の前で、

 「…葉尊は、信用できない人間…」

 とか、

 「…葉尊は、油断のできない人間…」

 と、言っているのを、聞いたことがなかった…

 なかったのだ…

 が、

 ただ、葉敬や葉問、そして、あの矢口のお嬢様の言う、葉尊の評価も、わからんでは、なかった…

 ただ、おとなしい人間は、いないからだ…

 葉尊は、私の前では、いつも、おとなしい…

 決して、私に反論したり、口答えしたりしない…

 が、

 それで、日本の総合電機メーカー、クールの社長を務めることなど、できるわけがない…

 そんな自己主張もなにも、しない人間に、大企業のCEОなど、できるわけがないからだ…

 だから、そんなことは、当たり前と言うか…

 葉尊が、自己主張を一切しない、弱っちい人間では、ないことは、ずっと、以前からわかっていた…

 だから、おそらくその姿を見て、あの矢口のお嬢様は、

 「…葉尊は、見た目とは、違う…」

 と、私に警告したのかも、しれん…

 私は、経営者としての葉尊の姿は、知らない…

 だから、私とあの矢口のお嬢様の見る葉尊は、違う…

 違うのだろう…

 そう、思った…

 そう、思ったのだ…

 そして、私は、このパーティーの会場を、隅から見た…

 リンダとバニラを、中心に、長い行列が、作られ、まるで、二人の即席の握手会や、即席の撮影会になっている…

 もちろん、パーティーの出席者全員が、リンダと、バニラの即席の握手会や撮影会に、並んでいるわけではない…

 が、

 それが、主流というか…

 後は、残った人間たちが、パラパラと、あちこちで、グラス片手に、談笑していたが、正直、なんとも、寂しい光景だった…

 このパーティーに参加した大半の人間が、リンダとバニラに握手してもらおうと、長い行列を作っていたからだ…

 私は、果たして、これで、いいのか? と、思った…

 リンダとバニラが、出席することで、このパーティーが、華やかに、彩られ、豪華になる…

 が、

 一方では、今回のように、さびれた光景が、あちこちに現れるというか…

 正直、なんともいえない光景だった…

 変な話、このパーティーの中にも、勝ち組と、負け組というか…

 大げさにいえば、社会の光と影の部分が、見えた気分だった…

 それは、なぜかと、いえば、このパーティーにも、若い女性は、数は、少ないが、出席していた…

 当たり前だ…

 やはり、パーティーには、若い女性たちが、必要…

 若い女性が、いることで、パーティーが、華やぐからだ…

 そして、その女性たちは、皆、それなりに、派手に着飾っていた…

 パーティー用の派手なドレスを着ているものも、いれば、私のように、和服を着ているものもいた…

 そして、なにより、その若い女性たちは、皆、美人だった…

 長身の美人のお姉さんたちだった…

 これは、おそらく葉敬が、仕組んだと言うか…

 準備したものでは、ないのか?

 ふと、思った…

 パーティーを開催するに、あたり、どこかのモデルの事務所か、なにかに、依頼して、美人のお姉さんたちを、このパーティーに派遣してもらったのではないか?

 ふと、気付いた…

 が、

 それは、無駄になった…

 リンダとバニラが、おおげさに、言えば、彼女たちの出番を奪ったからだ…

 私は、それを、思った…

 そして、案外、彼女たちの怒りは、リンダやバニラに向かうのでは?
 
 と、気付いた…

 このパーティーに派遣された、モデルのような美人のお姉さんたちは、仕事…

 もちろん、仕事=ビジネスで、やってきている…

 が、

 やはりというか…

 いかに、仕事でやってこようと、周囲のものから、ちやほやされれば、気分がいい…

 真逆に、今回のように、リンダやバニラにお客を奪われるというか…

 このパーティーの大半の出席者が、リンダやバニラに夢中になれば、誰もが、いい気持ちは、しない…

 そういうものだ…

 私は、思った…

 そして、思いながらも、葉敬は、よもや、こんな事態になることを、想定しなかったのだろうか?

 ふと、思った…

 リンダや、バニラを連れて来れば、もしかしたら、こんな事態になるかも? と、考えなかったのか? と、思った…

 ハッキリ言えば、このような事態になれば、今回、このパーティーに派遣されたモデルのお姉さんたちの、プライドを傷つける…

 それが、わからなかったのだろうか?

 そう、思った…

 そして、やはり、わからなかったのだろう…

 と、結論付けた…

 おそらく、葉敬の狙いは、今日、パーティーに参加した、この日本の政界や財界のお偉いさんを、いかに、楽しませるかだけ…

 それが、狙いだったからだ…

 そして、それを、きっかけに、この日本で、有力者の人脈を広げ、台湾の台北筆頭や日本のクールの商売に繋がれば、いい…

 そういう発想だろう…

 だから、そこに派遣された、モデルのお姉さんたちのことは、これっぽちも、考えて、いないに、違いなかった…

 いわば、弱肉強食というか…

 葉敬は、強いもの=政界や財界の大物にしか、興味がないに違いなかった…

 そして、それを、思えば、哀しかった…

 なぜなら、この矢田も、弱者…

 弱者だからだ…

 言葉は、悪いが、本来の立場は、あのモデルのお姉さんたちと、同じだった…

 決して、強者=勝ち組ではなかった…

 弱者=負け組だった…

 それが、偶然、葉尊に見初められ、葉尊の妻の座に就いた…

 それだけだった…

 だから、彼女たちの哀しみというか、怒りが、よくわかった…

 やはり、葉敬は、勝ち組だから、彼女たちの哀しみが、わからないのだろうか?

 葉敬は、勝ち組だから、弱者の気持ちが、わからないのだろうか?

 ふと、思った…

 そして、そんなことを、思いながら、葉敬は、同時に、敵を作っていると思った…

 せっかく、このパーティーに派遣された、モデルのお姉さんたちの恨みを買っていると、思った…

 自分は、気付かずとも、モデルのお姉さんたちの恨みを買っていると、気付いた…

 そして、案外、こんなことは、世の中に、ありふれているのだろうな、とも、考えた…

 本人は、気付かずとも、どこかで、誰かの恨みを買っている…

 そんなことは、この世の中に、ありふれているのだろうと、思った…

 そして、そんなことを、考えていると、このパーティー会場に、いるのが、なんだか、嫌になった…

 この場にいるのが、嫌になった…

 だから、そっと、会場から、離れた…

 会場から、出て、一人、廊下に、出た…

 これは、我ながら、内心、忸怩たるものが、あった…

 本当は、名目だけだが、今回のパーティーは、私と葉尊が、結婚半年を記念して開催されたものだったからだ…

 が、

 そんな、パーティーの主役が、ひとりだけ、そっと、パーティー会場から、抜け出すのは、我ながら、どうかと、思った…

 だから、後ろめたかった…

 が、

 一方で、ここから、逃げ出すわけではないと、自分に、言い訳した…

 ホントは、逃げ出したかったが、たとえ、名目だけでも、私と葉尊の結婚半年を祝ってのパーティーだから、ここから、逃げ出すわけには、いかなかった…

 もし、葉敬が、

 「…お姉さんは、どうした?…」

 と、言ったら、困るからだ…

 だから、ここから、逃げ出すわけには、いかんかった…

 いかんかったのだ…

 かといって、このパーティー会場には、いたくなかった…

 だからというか…

 このパーティー会場から、少し離れて、他の場所に行こうと、思った…

 そうすれば、少しは、気もまぎれる…

 そう、思った…

 そう、思ったときだった…

 「…お姉さん…どこに、行くつもりですか?…」

 という声が、背後から、かかった…

 私は、驚いた…

 まさか、いきなり、背後から、声をかけられるとは、思わんかった…

 そして、なにより、その声には、聞き覚えがあった…

 私は、背後を振り返りながら、

 「…なんだ? …葉尊…」

 と、言った…

 すでに、姿を見る前から、声の主が、葉尊だと、気付いていたからだ…

 「…どこに、行くつもりですか? …お姉さん?…」

 と、葉尊が聞いた…

 「…どこに、行くだと?…」

 と、私は、反射的に葉尊に言った…

 自分でも、思いがけず、ケンカ腰だった…

 やはりというか…

 さっき、聞いた葉敬の言葉と、あの矢口のお嬢様の指摘が、脳裏にあるからに、違いなかった…

 「…葉尊は、油断できないヤツ…」

 「…葉尊は、見た目とは、違う…」

 そう指摘されて、葉尊を、信用できるわけがなかった…

 これまで通り、葉尊を信用できるはずが、なかった…

 「…戻りましょう…お姉さん…」

 葉尊が、言った…

 私は、

 「…わかったさ…」

 と、すぐに、答えるはずが、なぜか、答えんかった…

 「…」

 と、無言だった…

 なぜか、葉尊の言葉に、素直に、従えんかった…

 理由は、わからん…

 いや、

 わかる…

 わかるに、決まっている…

 葉敬や葉問…それに、あの矢口のお嬢様の言葉が、私の頭の中に、あったからだ…

 …葉尊は、信用できない男…

 …葉尊は、見かけとは、違う男…

 という言葉が、私の頭の中に、あったからだ…

 だから、素直に、葉尊の言葉に従うことは、できんかった…

 できんかったのだ…

 だから、私は、

 「…」

 と、無言で、葉尊を見つめた…

 私の夫を、黙って、見つめた…

               
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