第165話

文字数 4,579文字

 「…さあ、行くゾ…」

 私は、言った…

 そう、言って、走り出した…

 すると、背後から、

 「…まったく、調子が、いいんだから…」

 と、いう、バニラの声が、聞こえてきた…

 が、

 私は、振り向かんかった…

 なぜなら、その通り…

 その通りだからだ…

 だから、振り向かんかった…

 すると、今度は、

 「…なかったことに、なってるのよ…」

 と、いう、リンダの声が、聞こえてきた…

 「…なかったことって?…」

 と、バニラ。

 「…なかったことは、なかったこと…このお姉さんは、自分に都合が悪いことは、すぐになかったことにするの…」

 さんざんな言われようだった(涙)…

 が、

 反論できんかった…

 なぜなら、その通り…

 その通りだからだ…

 「…まったく、得な、お姉さんよね…」

 リンダが、続けた…

 「…にも、かかわらず、そんな行動も、笑いに変えることが、できる…そんなことができるのは、このお姉さんだけ…」

 …私だけ?…

 どういう意味だ?

 「…あの六頭身で、平凡な顔が、それを、笑いに変えてる…いえ、あの顔と、あのカラダだから、できる…私やバニラではできない…この顔やカラダが、邪魔をする…」

 さんざんな言われようだった(怒)…

 つまりは、自分とバニラは、長身の美人だから、できないが、私は、平凡だから、笑いに変えることができると、言っているのだ…

 考えてみれば、まさに、その通りで、反論の余地がなかった…

 が、

 それを、この矢田の前で、口にすることは、許せんかった…

 面と向かって、口にすることは、許せんかった…

 この矢田のプライドが、いたく傷付いた…

 だから、もう一度、この場で、転んでみるか?

 とも、思った…

 わざと、転んで、リンダの邪魔をしてやるか?

 とも、思った…

 が、

 それは、さすがに、できんかった…

 いくらなんでも、わざとらし過ぎる…

 だから、できんかった…

 だから、諦めた…

 が、

 心の中では…心の奥底では、諦めんかった…

 一ミリも、諦めんかった…

 いつか、きっと、このリンダに、目にものを、見せてやるさ…

 いつか、きっと、このリンダに、生き恥をかかせてやるさ…

 私の思いは、強まった…

 強まったのだ…

 この矢田トモコに、対する、これまでの数々の無礼を忘れることが、できんかった…

 ホントは、リンダに助けて、もらったことの方が、はるかに、多かったが、それは、なし…

 私の中で、なかったことにした(笑)…

 まあ、つまりは、プラスとマイナスを合わせて、計算してみれば、ホントは、リンダに助けられたプラスの面の方が、はるかに、大きかったが、それでも、このリンダは、心の奥底では、この矢田を、バカにしているところがあった…

 この矢田を、下に見ているところがあった…

 当然、私は、それに気付いていた…

 が、

 これまでは、わざとそれに気付いていないフリをしていた…

 それを、指摘すれば、色々面倒なことになるからだ…

 また、なにより、私には、味方が少ない…

 葉尊に嫁いだ、この矢田には、味方が少ない…

 だから、少なくとも、表面上は、この矢田に好意的な態度を取っているリンダを敵に回すわけには、いかんかった…

 なにしろ、周りは、敵だらけ…

 そんな中で、表面だけとはいえ、リンダは、この矢田の数少ない味方だったからだ…

 だから、敵に、回すわけには、いかんかった…

 いかんかったのだ…

 が、

 それも、まもなく終わる…

 この矢田が、葉尊と離婚すれば、もうなんの関係もない…

 だから、このリンダに、復讐できる…

 だから、このリンダを、痛い目に遭わすことができる…

 が、

 その機会は、たぶん、永遠になかった(涙)…

 なぜなら、私とリンダは、元々、住んでいる世界が、違う…

 だから、そもそも、接点が、ない…

 接点が、なにも、なかったからだ…

 だから、今日、この女に、復讐しようと、目論んだ…

 このリンダに、復讐しようと、考えた…

 が、

 できんかった(涙)…

 いや、

 まだ、時間は、ある…

 まだ、離婚式まで、時間がある…

 いや、

 なんなら、離婚式の最中でも、いい…

 ハッキリ言って、離婚式の最中に騒動を起こすのは、気が引けるが、この際、目をつぶろう…

 なにしろ、離婚式だ…

 結婚式ではない…

 だから、これから、葉尊と結婚するのではない…

 葉尊と別れるのだ…

 だから、なにが、あっても、構わない…

 立つ鳥跡を濁さずというが、その逆だ…

 その真逆だ…

 私とリンダは、もはや、腐れ縁…

 その腐れ縁を断つのに、誰になにを、言われようと、構わんさと、思った…

 が、

 不安が、あった…

 葉尊ではない…

 葉尊の父の葉敬だ…

 葉敬は、いつも、私の味方だった…

 なぜか、知らんが、私の味方だった…

 以前、私が、葉敬の前で、バニラと対立したときですら、なぜか、知らんが、葉敬は、私を擁護した…

 この矢田の側に立った…

 なぜだかは、わからん…

 が、

 いつも、そうだった…

 そうだったのだ…

 葉敬は、バニラとの間にマリアがいる…

 バニラは、葉敬の愛人…

 にも、かかわらず、私の肩を持った…

 そして、それは、演技でも、なんでもなかった…

 本心から、バニラではなく、私を選んだ…

 この矢田を選んだのだ…

 が、

 これは、さっぱり、わからんかった…

 どうしてなのか、さっぱり、理解できんかった…

 が、

 これは、バニラにとって、面白いはずが、なかった…

 自分の事実上の夫である、葉敬が、私の側に立つ…

 これが、面白いはずがなかった…

 だから、これを、思えば、このバニラが、この矢田に、色々難癖をつけるのも、わからんではなかった…

 これまで、すっかり、この事実を忘れていたが、このバカ、バニラが、この矢田に難癖をつけるのも、わからんでは、なかったのだ…

 さらに言えば、バニラの娘のマリアは、この矢田になついている…

 もしかしたら、マリアは母親のバニラよりも、この矢田になついている可能性もあった…

 だから、これを、思えば、このバカ、バニラが、この矢田に素直に、従うわけがなかった…

 なにがあっても、この矢田に、いちいち難癖をつけるのも、わからんでは、なかったのだ…

 なにしろ、旦那と娘が、自分ではなく、この矢田の側に立っている…

 これが、面白いはずが、なかったからだ…

 私は、今さらながら、その事実に、気付いた…

 気付いたのだ…

 そして、考えれば、考えるほど、不思議と言うか…

 それまで、わからんことが、わかってきた…

 いや、

 わかってきたのではない…

 今、言った葉敬のことではないが、結論が、出ないことも、ある…

 だから、要するに、これまで、気付かなかったことに、気付いたと、言うのが、正しい…

 これまでは、そこまで、考えなかったことを、考えるようになったと、言うのが、正しい…

 そう、思った…

 と、そのときだった…

 「…お姉さん…早く、して下さい…」

 と、いう声がした…

 そして、その声は、男の声だった…

 リンダでも、バニラでも、ない男の声だった…

 私は、その声に、聞き覚えがあった…

 私の夫の葉尊の声だった…

 慌てて、声のする方を見ると、夫の葉尊が、黒のタキシードを着て、目の前に、立っていた…

 そして、その姿は、実に、カッコよかった…

 今さらだが、カッコよかった…

 この六頭身で、巨乳で、童顔の矢田トモコとは、実に、不似合い…

 スラリとした長身で、実に、黒のタキシードが、似合った…

 おまけに、イケメンだった…

 だから、私とは、実に、不釣り合いだったが、私の夫だった…

 誰が見ても、まったく、不釣り合いだったが、私の夫だった…

 だから、遠慮なく、

 「…どうした? オマエ、その恰好は?…」

 と、私は、聞いた…

 つい、聞いてしまった…

 「…どうしたと、言われても…」

 葉尊が、口ごもった…

 すると、代わりというか、

 「…そんなに、時間がないの?…」

 と、リンダが、焦って、聞いた…

 「…いや、まだ、時間はある…」

 葉尊が、答える…

 「…ただ、心配になって、こうして、見に来ただけだ…」

 「…そう…」

 リンダが、呟く…

 リンダが、ホッとして、呟く…

 リンダが、安心して、呟いた…

 すると、今度は、バニラが、

 「…葉敬は?…」

 と、聞いた…

 当たり前だった…

 バニラは、葉敬の愛人であり、娘のマリアの父親だったからだ…

 「…オヤジは、もう、別室に待機している…」

 葉尊が、答えた…

 「…そう…」

 バニラが、安心したように、答えた…

 それから、

 「…だったら、リンダ…後は、よろしく…お姉さんの面倒を見て…私は、葉敬に会いに行ってくる…」

 と、言うや、すぐに、駆けだして、その場を離れていってしまった…

 嬉しそうな表情で、この場から、離れていってしまった…

 バニラにとっては、私より、葉敬が大事なのだろう…

 当たり前だった…

 バニラは、まだ21歳…

 考えて見れば、若い…

 だから、どうしても、自分の恋人や、夫に、夢中になる…

 これが、例えば、私のように、35歳になれば、違ってくる…

 たしかに、好きではあるが、好きが、違うと言うか…

 21歳のときよりも、夢中になれない…

 これは、なにも、恋愛に限らない…

 趣味でも、なんでも、同じ…

 もっと、わかりやすく言えば、中学や高校のときよりも、三十代では、何事も夢中になれない…

 男でも、女でも、若いときの方が、夢中になれる…

 恋愛ならば、十代のときの方が、相手に夢中になれるし、いっしょにいれば、ドキドキする…

 このドキドキは、二十代、三十代でも、同じだが、やはりというか、十代ほどのドキドキがない…

 ドキドキ=ときめきはない…

 これは、趣味も、同じ…

 アイドルの追っかけでも、鉄道でも、漫画でも、アニメでも、なんでも、同じ…

 十代ほど、夢中になれない…

 夢中=集中力と、いっていいかも、しれない…

 これは、勉強に端的に現れる…

 三十代では、十代のときのように、勉強に、集中できない…

 そういうことだ(笑)…

 いささか、説明が、長くなったが、だから、バニラは、葉敬に遭いたいのだと、思った…

 21歳のバニラだから、一刻も早く、葉敬に遭いたいのだと、思った…

 すると、今度は、リンダが、

 「…じゃ、葉尊…お姉さんを、頼むわ…」

 と、言い出した…

 私は、思わず、目が点になった…

 …私を頼むって? …一体?…

 すると、そんな私の気持ちが、私の表情に、現れたのだろう…リンダが、

 「…この格好では、パーティーに出席できないでしょ? …お姉さん?…」

 と、言って、笑った…

 「…私は、これから、ドレスに着替えて来る…お姉さんは、葉尊に着替える部屋を、聞いて、着物にでも、着替えてきて…」

 と、言うや、バニラ同様、早足で、この場から、走り去った…

 残されたのは、私と葉尊だけになった…

 私たち夫婦だけになった…

 私は、唖然としたが、すぐに、

 「…では、行きましょう…お姉さん…お姉さんが、着物に着替える部屋まで、お連れします…」

 と、葉尊が、言った…

 「…わかったさ…」

 と、私は、答えた…

 「…わざわざ、迎えに来てくれて、礼を言うゾ…葉問…」

 私は、言った…

 すると、目の前の葉尊のカラダが、ビクッと、動揺するのが、わかった…

 明らかに、動揺したように、揺れた…

               

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